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郁香という名と共に

「いくかちゃん?それともふみかちゃん?」

小学生の頃から、友人の親御さんにも、担任の先生にも、地域の方々にも、そう尋ねられては、初見で名前を正確に呼ばれた試しがない。

それなのにひらがなで綴ってしまえば、ありふれた名前になってしまう、そんな不思議な名に身を包んで今まで生きてきた。

初めまして、「郁香」と書いて「あやか」と申します。


1998年生まれ、関西在住の24歳。
大学時代には教育学を学び、現在も大好きなお寺や神社を訪ねることに夢中になりました。

2021年に強迫性障害とうつ病という精神疾患を抱えたことをきっかけに、大学卒業後からフリーランスとして活動を開始。そろそろ2年目を迎えます。

絶え間ない好奇心による日々の試行錯誤に、ときめきながら生きています。

ぬか漬けや梅干しを作りながら待っている時間に癒されます。手作りしなくていい食べ物をわざわざ手作りすることが好きです。

空模様を眺めながらよく散歩もします。似たものはあっても、決して同じ姿にならない、そんな儚さを含む姿に惹かれます。

そして私のこれから在りたい姿と大切にしたいものについて、自己紹介代わりの文章を。

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「なんか香ってきそうですね」

つい最近頂いた、そんなときめく言葉がここ数日の私の心の栄養だった。

大切な友人にデザインしてもらい、私の根幹となる「自分自身の興味関心の移ろいや変化を受け入れられるように」という想いが宝物のように大切に閉じ込められている名刺を渡した際に頂いた言葉。

「香る」というこの言葉を耳にした途端、20年以上連れ添ってきた「郁香」という名前が名刺から浮かび上がって見えて、ある記憶を連れてきた。

「郁香」というこの漢字は、両親が画数を基に名前辞典で導き出した名前で、「あやか」という読みの方が先に決まったそう。そんな自分の名前を「なかなか読んでもらえない名前」としか認識していなかったけれど、ある時転機が訪れた。

それは予備校で大学受験浪人をしていた時。

仲良くなった現代文の先生の添削指導を受けていると、先生はおもむろに私の書いた氏名欄の「郁香」という文字を指差しながら、こう言った。

「あやかちゃんのな、この郁香って漢字、『郁』は芳しい、あたたかい、包み込む、みたいな意味があるんやで。それに『香』がついている。『あたたかい包み込むような芳しい香り』の『郁香』。いい名前やな〜」

そして先生は、初めて聞く自分の名前の漢字の意味へ呆気に取られている私の目をじっと見つめると、にかっと笑ってこう続けた。

「もう、あなたにはこの名前の素養があるけど、この名前があなたにぴったり合うようになるのは20代半ばからやろうな、今後が楽しみやな!」

この記憶が一瞬にして鮮明に、まるで昨日の出来事のように脳裏に浮かび上がった。

そんな大切に脳裏に宿っていた記憶を友人に共有すると、「あやかちゃんはどんな香りをイメージする?」と尋ねられる。こんな素敵な質問が出来る友人に改めて尊敬の念を抱きながら、私はポツリポツリとこう言った。

「自然にある、色んな香りが混じった香り、雨が上がった後の葉に残る雨粒が日光に照らされた時の香り、混沌としているけれど爽やかな香り」

質問してくれた友人が言葉にして伝えてくれて自覚できたけれど、この香りのイメージは私の在りたい姿に近い。

ひとつで構成されているものではなくいろんなものが混じった香りを、自分の色んな変化を、あたたかく包み込むように生きたい。

そしてそんな私の在りたい姿は、予備校の先生が教えてくれた「郁香」の漢字の意味に集約されている。

そして改めてこの「郁」という漢字を調べてみると、「文化がさかん」「文物がさかん」という意味が現れてきた。(出典:「一期一名」より)文章を書き、文章をこよなく好み、古典も現代もあらゆる文化に興味を持つ私にやはりぴったりな漢字のよう。

予備校の先生が「あなたに合うようになる」そう告げてくれた20代半ばを、もうすぐ迎える。

在りたい姿も、過去の私も、今の私も濃縮した、この「郁香」という名こそが肩書きを持たない私の唯一の肩書きである。

この名と共に生き抜きたい、そう自身の名に想いを馳せながら、私は無常な日常を今日も生きている。


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