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ネパールで体験した、ヴィパッサナー瞑想とは?

こんばんは。
石垣島在住のAyakaです。

ネパールの旅で1番印象に残っている体験は10日間のヴィパッサナー瞑想体験。
その10日間の間では、体験したことが多すぎるので、少しずつ書き出していけたらと思います。

まず、ヴィパッサナー瞑想とは何か。
「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーの瞑想は、インド最古の瞑想法のひとつと言われています。
ただ、自分自身が体験することだけに集中して、その変化を観察する瞑想法。

10日間は、毎日瞑想を1日10時間以上行い、1回の瞑想は1〜2時間程度あります。
休憩は朝昼晩の食事休憩各1時間と、幾度かの5分休憩、21時頃から4時頃までの就寝時間。

それ以外の時間はずっと瞑想!
携帯などの電子機器、メモ帳やペン、本なども全て預けている為、瞑想以外何もすることがない。

瞑想の時間は、開始直後に瞑想誘導があり、最後に終了のマントラが流れる。

このヴィパッサナー瞑想は、宗教的なものではなく、ただ、瞑想中に体験すること集中して観察する練習。
例えば、足が痺れている、背中が痛い、なんだか眠くなってきた、無意識に少し動いてしまった…などなど。
瞑想を深めながら、少しずつ感覚を研ぎ澄ませ、自分の身体や思考を遠くの方から傍観する練習を行う。

最初の3日間で徹底的に体験するテーマは、アニッチャ。
パーリ語で無常と訳せるこの概念は、この世のもの全ては常に動いていて、一瞬たりとも同じ状態が続くことはない、というもの。
般若心経の中でいうところの、諸行無常。

この概念を瞑想体験を通して理解することで、ヨガや精神修行の弊害とも言われる、執着や嫌悪を手放すことにつながるという。

例えば、足が痺れて痛いなという感覚があるとする。そうしたら、どの脚部位がどのような感覚なのかを確認する。しばらく観察を続けていると、同じ足が痺れて痛い感覚でも、その部位や感覚に変化があることを発見するのだ。

やがて、痺れや痛みが他の痛くない部分の感覚と同じ感覚になることがある。
その体験を経て初めて、何事も変化するのだから、今好きなものが次の瞬間も同じ「好きなもの」かどうかはわからないし、今嫌いな人が明日も同じ「嫌いな人」かどうかもわからない。
ならば、執着も嫌悪もしてもしょうがないし、必要なくなるよね…。
ありのままの「今」、その現状をこの目でしっかりと見つめて判断することが大切なのだと。

何事も変わらない方がおかしい。
人間関係だって、体型だって、持っている知識だって、自分の感性だって、他人の心だって、ぜーんぶ、次の瞬間には変わっている。
でも、現代はどうも老化に悪いイメージを持っていたり、永遠の愛を神の前で誓わされていたり、スリムな体型や無毛を保つことが当たり前の理想とされいたり。
何事も変化する方が当たり前なのに、その一瞬の美しさに執着する傾向が見られ、やがて、自分や他者がそれをできていないと判断した際には嫌悪し攻撃するようになる。
ただ自分のエネルギーを浪費しているに過ぎないにもかかわらず。

だから、現状把握をしっかりして、今に強く根を張って生きるために瞑想を続けて、ありのままを見つめる、練習をしよう。
ヴィパッサナー瞑想は、こういった意図のもと行なわれている。

もし12日間携帯もPCも触る必要がない、素晴らしい機会があれば、皆様もぜひお試しください。

今回はこの辺で。
読んでくださったあなたに愛と感謝を込めて
Ayaka Sofia

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