ママは今日、時間をかけたい。
私はすごく気にしいだ。例えば、仕事。
自分に非がないことでも、相手が嫌な気分になったのでは?と怯える。
ギャラの未払いしてる相手でさえも、
ギャラが振り込まれていないということは、もしかして私が努力不足だったんじゃないだろうか。と怯える。怯えなくていいのに。
先日、ズンと悩むことがあった。これも多分、後から考えると何にそんなに悩んでいたんだろう?と思う程度のことなんだけど、それでもその日の自分に取っては、かなりショッキングな出来事だった。あぁ嫌だな。なんでかな。どうしてかな。
こういう時に、運転ってすごく良い。
まず、なんやかんや悩んでいる暇がなくなる。運転に全ての集中力を捧げて、ラジオを聴いたりすると気分転換になる。
ラジオから流れてくる音楽は、自分じゃ絶対に選ばない曲だったりして、それも良い。アーティストの顔すら浮かばないような、古い洋楽や、逆にSNSなどでブームに火がついた若い世代のアーティストの新曲など。
次から次へと流れてくる音楽に気持ちを委ねる。あとは、しっかり安全運転をするだけだ。
これが、この日は本当によかった。
あんなに気が滅入っていたのは何だったんだろう?と疑問に思うくらいに、運転すればするほど気分上々になっていった。
その日の職場から、家までは車で大体30分。あっという間のひと時で、ちょっとまだ少し運転していたかった。
とはいえ、我が家の娘たちを、保育所やら学童やらに迎えにいかねばならない時間だったので、2人をピックアップ。
ママは気が滅入っていたなんてことは当然ながら知らない娘たちは、
「ねぇ今日の夜ごはんなぁに?」
「ねぇ、今日パパおそい?はやい?」
「ねぇ、今日夜寝る前に読むお話はなににする?」
「ねぇ、今日学校で給食のフルーツが桃だったんだよ!」
ピーチクパーチク会話モード。
その声に私も気持ちを切り替えて、母モード。
「今日の晩ご飯は焼きそばと味噌汁だよ」
「今日パパは遅いって!残念」
「今日寝る前のお話は、寝る時に決めよう!」
「給食の桃は美味しいよね!缶詰のやつだよね!」
と、お答えする。
お答えしながら、つい、頭の中で、もう少しやっぱり気分転換が必要だったな。と後悔する。子供たちと会話を楽しみたいのに、いまいち気が乗らず、ため息が混じってしまう。
今日は、とことん、気分転換の日だ!そう決めて、ハンドルを逆に切った。
「少し遠くのスーパーに寄って帰ろうか!」
私の提案に
「イェーイ!!」
と乗っかる2人。
その最中も2人の話は止まらない。
こういう時、家族がいてくれてよかったな、と思う。
独身時代は、一人きりで永遠に思い悩んだ。その頃は運転もしていなかったし、気持ちの切り替えをうまくできずに、暴飲暴食とかしていたな。
当時の自分は、今振り返ってもあまり好きな人間ではなくて、
自分中心で、ワガママで、性格が悪かった。
いつでも悲しくて、恋愛もうまくいかなくて、悲壮感が漂っていたと思う。
常に誰かに認めてもらいたくて、認められないと、認められている誰かの悪口をいって過ごしていた。本当に、嫌なやつだった。
そして、そんな自分をひた隠しにして、生きていた。
だから、傍目では、いい子にうつっていたかもしれないね。
でも、全然いい子じゃなかったし、このころの自分には絶対に戻りたくないなと思う。
結婚して、子供が生まれて、少しはまともな人間になれたかな?と思うんだけど、それは、自分の中の真っ黒な部分がなくなったのではなくて、
そういう真っ黒な自分も認められるようになったからだと思う。
こういう自分も、自分なのだと。
悩むのも、羨むのも、まぁそれでいいじゃないか、と。
思えるようになったのだ。
そして、そんな自分のことを
「ママ大好き」
と言ってくれる、夫や娘たちにすごく救われている。
遠出して、立ち寄ったスーパーで、夕飯の買い物を終えて、急いで家に帰る頃には、すでに18時を回っていた。
急がなきゃいけない割に、最後の最後も回り道をして、普段と違う駐車スペースに車を停めた。最後の最後まで、気分転換をし続けた私に、長女がこう言った。
「ママ!わかった!ママは今日、時間をかける、ということをしたいんだね!」
わぁ!と思った。
言葉にできない、この気持ちを、長女があっさりと言葉にしてくれた。
「そうなんだよ、あのね、ママね、今日すごく嫌なことがあってね、それを、払拭するために、いろいろと試してみたんだよ。ありがとう!言葉にしてくれて!!ママは、時間をかけるということをして、それをあなたに認めてもらって、すごく嬉しいよ。」
長女はその話もニコニコ聞いてくれた。次女も、ニコニコしながらその話を聞いていた。
自分がいつでも自分らしく、それでいて常に元気で明るくいられるなんて、無理なことだ。
どんなにそれを心がけていても、真っ逆さまに落ちて行く瞬間もあるし、苦しい瞬間だってある。
だけど、いつでもちゃんとまた立ち上がれるんだ。
もう昔みたいに、自分自身から目を背けないし、
黒い自分がいることだって認められるから。
そして、そんな自分をそのまんま愛してくれる存在がそばにいるから。
また、辛くなったら「時間をかける」をやってみる。
気分転換をしながら、生きていく。
そうだ。
そうやって、なんとかこれからも、生きていくのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?