見出し画像

私が生まれた日は天気が良かったという事実

「あやかが生まれた日は、とっても天気が良かったんだよ
あぁ、赤ちゃんが生まれたんだなーすごく幸せだなぁって思ったんだよ。
本当に嬉しかったなぁ。」

妹が生まれた日に、
病院から帰る道中
車の助手席に乗って
父から聞いたエピソードだ。
その日もよく晴れていて、木々からこぼれ落ちるように太陽の光がキラキラしていて
その光景を、4k動画くらい、クリアに、
何度も再生できるくらいハッキリと覚えている。

小学3年生の頃だった。

私は祝福されて生まれてきたんだという事を
その話を聞いた時に、心の底から実感したのだと思う。
確かな愛の中に自分がいて、
確かな愛の中で妹が生まれて、
絶対に大丈夫なんだ。と思ったことを強く覚えてる。

……………

何年もかけて、
私たち家族は離れたり、形を変えたり、
それは自分が家族を持ったり、
妹が結婚したりして、
元の家族の形とは別の形になったけど、

あの日、父が言った言葉を
未だに心のどこかで、信じている。

信じているというか、
例え何があったとしても、
38年前に起きた、事実なのだ。

父との関係や、家族の形は変わったけど、
私が生まれた瞬間に、嬉しかったんだよってこと、
妹が生まれた瞬間に、幸せだったんだよってことも
何年経っても変わらぬ事実だ。

父に対して、懐疑的になることもあったけど、
あの日、妹が生まれた日に
その話をしてもらってよかった。
それは、とても感謝している。
………………

週末は久々に実家に帰ってきて、
母と、私と、私の娘2人と、
ハリーポッターと賢者の石をみた。
ハリーポッターシリーズの1番最初の作品だ。
久々に鑑賞するから、結構色々忘れてて、
あれは2だった?その展開は3だった?
とか言いながら、
初めてハリーポッターをみる子供達の前で、容赦なくネタバレをしながら、とっても盛り上がった。

私がすっかり忘れてた描写の一つに
“みぞの鏡”の描写がある。
夜中、部屋を抜け出したハリーが、大きな鏡を見つけて、鏡の前に立つと、
もう亡くなっているはずのお父さんとお母さんがニコニコと映って、ハリーの肩に手を置いた。
その鏡の中のハリーはすごく幸せそうにしていたから、鏡の前のハリーも嬉しくなって、思わずロンを起こしに行くのだけど
ロンにはハリーのお父さんお母さんが見えなくて、それどころか、自分しか見えないという。
勉強やスポーツで優秀な成績をおさめて成功している自分が見えるよ!と。

そこで、その鏡の映すものが、
見るものの強い願望を映し出すのだと知って、愕然とする。というくだり。

すっかり忘れていたくせに、
何故だかとっても切なくなって、
それで、冒頭の話を思い出したのだ。

………………
冒頭の父の言葉は、
家族に対して反発したとき、
家族に対して疑問を抱いた時、
1人で悩まなければならなかったときに、
何度も思い出す、
私にとっての“みぞの鏡”だった。

いろんなことがあったけど、
この言葉に随分と救われてきた。
心が離れそうになる時に、
それでも自分は愛されて生まれてきたんだと、
何度も思いだして、その度に勇気が湧くような気がした。

やっぱり言葉って大事だね。
ハリーポッターの世界のように魔法はないからね。
言葉はもしかしたら魔法みたいに使えることもあるかもね。

いつか、娘たちが、辛くなった時に、
思い出せる言葉を伝えるのは、
私の使命だ。

あなたが生まれた日は、すごくすごく晴れてたんだよ、と。
そして、みんな、あなたにあえて、すごく、嬉しかったんだよ、と。

伝えることで、彼女たちがこの言葉に救われる日が、くるのだろうか?


……………

さて。今私は、仕事帰りの電車の中でこれを書いている。
乗っている電車の車掌さんが、私の住む街の名前を読み上げた。

今夜も娘たちを迎えに行く。
私のことを待っててくれてるから。
生まれた日のことを話す前に、
話したいことがたくさんある。

今日何をしたの?
誰と遊んだの?

そんな言葉が溢れる日常が、これからも続きますように。

今日もいい子にしてたかな。
どんなことがあっても、
永遠に私にとってはいい子たち。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?