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4月1日と2日の朝のこと。機械オンチの日常と、頑張るという言葉が苦しいのは何故かという気付きのお話

・4月1日のこと

知人のおさがりで貰ったiMac…

テンション高く使い始めたはいいが、最初からつまづいてしまっている…

私が悪いのではない。


多分普通に買うよりも、譲渡されてから使い始める時の方が難易度が高いのだ。色々と初期化されていたり、古い型なのでアップデート出来るものと出来ないものがあったり、1番重大なのがiTunesが使えなくて一切のアプリがダウンロード出来ない…

上記の現状説明文を見ればお分かり頂けると思うのだが、私は壊滅的な機械オンチである。

自分の現状すら説明できない。

道に迷う人が『今どこにいますか』と聞かれても答えられないのと同じで、機械オンチに『今のPCの現状を説明して下さい』なんて言ったって意味不明爆発なのだ。


こんなんでよくオンラインクラスの講師なんて務められたものだ。

でもこんな私でも出来ちゃうくらいオンラインで何かをすることは簡単なのだ。難しいのは何かをダウンロードしたりカスタムしたり、PCを最初に使えるまでセットすることの方なのだ、きっと。


それでも、4月1日は何時間もかけてiMacと向き合い、せめて自分のブログとYouTubeは見られるようになった(最初はそれすらも再生できなかったり画面が真っ白になったりして叶わなかった)。

偉い、自分。

でも、もうここらが限界だ。


誰か、誰か私の知人でmacに詳しい方、こじれたmacでも問題なくセットアップできるくらいに詳しい方、謝礼なら喜んでお支払いしますので我が家に来てセットアップして頂けないでしょうか。

連絡お待ちしています(切実)。


・4月2日朝のこと

朝起きてノート時間を楽しんだ後、懲りずにまたiMacと向き合う。

しかしもう何度向き合ったって同じだ。

誰か救世主に早く出会えますように。


もうMacの話からは離れよう。


今日明日は、旦那さんが連休。

でも今朝は5時起きして入社式に出かけて行った。

頑張れー。


最近の気付きなのだけど、

【頑張れ】

という言葉を言われると苦しい、もう頑張っているのにこれ以上どう頑張れと言うんだ、と思ってしまう時って、『自分がやりたくないこと』を『やらされている』意識になってしまっている時なのだと気付いた。

やりたくないから、もう嫌だから、これ以上やれと言われると辛くなる。


でももしそれが好きなことだったら?

自分がやりたくてやりたくて、積極的に取り組んでいる事だとしたら?

『好きなだけ頑張っていい』なんて夢のような状況だし、『頑張れ』と言ってくれる誰かの存在はプレッシャーどころか、自分のやりたいことを応援してくれる最高のスポンサーのように感じるのではないだろうか。


過去の私は『頑張れ』なんて言ってくる相手が大嫌いだった。

自分は絶対に大事な人に『頑張れ』なんてつらい言葉はかけないと、ヘンな高を括っていた。


そもそも間違っていたのは『頑張れ』という言葉ではなく、自分の生きる姿勢働く姿勢の方だったのだ。


実は私はハードワーカー時代、親に『頑張れ』と言われて『もう頑張ってるもん!』と怒鳴ってしまったこともある。

お母さんは怒った私を見て訳が分からないという顔をしていたのだけど、何故その行き違いが起きたのか。それが今なら分かる。

私はハードワーカー時代、仕事を『やらされている』と思っていた。『自分には何も選べなくて、ただ働くしか無くて、もう本当に嫌だ』と嘆いてばかりいた。だから、これ以上苦しめというのか…という受け取り方しか出来なかったのだ。


頑張っていいんだ♡

やったー♡

と思える働き方・生き方をしよう。


これからはそうしよう。

大事なことに気付けて良かった。


今回は機械オンチの日常と、頑張るという言葉が苦しいのは何故か、というお話になりました。

それでは、また更新するかもしれません。


10記事まで書けたら、知人や仕事関係の皆様にもこのnoteの存在を公表しようと思う^^





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