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《世界史》エジプト最後の女王・クレオパトラ7世

こんにちは。
本日はエジプト最後の女王・クレオパトラ7世について取り上げます。

B.C.356年、アレクサンドロス大王が亡くなりました。彼には妻子がいましたが、彼の部下たちが覇権を争うようになります(織田信長の死後の織田家ようですね)。彼の部下による王朝が各地に成立しますが、そのなかのひとつがプトレマイオス朝でした。

クレオパトラ7世(B.C.69〜B.C.30)

クレオパトラ7世は紀元前69年プトレマイオス12世の娘として生まれました。国際都市アレキサンドリアで成長したため、多言語を操る知的な女性になりました。
先述のようにプトレマイオス朝の人々はギリシア系の家系でしたが、古代エジプトの風習を取り込んでいました。クレオパトラはイシスの娘と自称していましたし、弟のプトレマイオス13世と結婚して共同統治していました。
しかし、そのプトレマイオス13世と対立するようになります。プトレマイオス13世から命を狙われたクレオパトラはある人物をたよることにします。
その人物こそ、ガイウス・ユリウス・カエサル(B.C.100?〜B,C.40)でした。
カエサルはエジプトに逃亡していた政敵を追ってきていました。クレオパトラは彼に接触し、プトレマイオス13世との仲介を求めたのです。このときについては、絨毯に包まれて運ばれたというエピソードが有名ですね。これはあくまでフィクションですが、カエサルとクレオパトラは愛人関係となりました。

ジャン=レオン・ジェローム『クレオパトラとカエサル』

カエサルと愛人関係になったクレオパトラはプトレマイオス13世と和解するどころか、殺してしまいます。さらに下の弟・プトレマイオス14世と結婚しますが、実権は彼女が握り、カエサルとの関係は続きました。B.C.47年、クレオパトラはカエサルの息子カエサリオンを出産します。
翌年にはローマに帰国したカエサルを追いかけて、息子と夫をつれてローマに向かいます。カエサルは彼女たちに邸宅を与え、クレオパトラの黄金像まで作るほど歓迎しましたが、ローマの人々からは顰蹙を買っていました。
クレオパトラとの関係や永久独裁者への就任から人々の反発を買ったカエサルは、B.C.44年暗殺されました。クレオパトラは息子カエサリオンが後継者となるのを望んでいましたが、後継者に指名されたのはオクタビアヌス(のちのアウグストゥス)でした。彼女は夢破れ、エジプトに帰国しました。帰国早々プトレマイオス14世が病死したため、息子のカエサリオンをプトレマイオス15世として即位させます。
カエサルの死後、ローマは内乱状態になり、カエサルの後継者オクタヴィアヌスや元部下アントニウスが実権を握ります。クレオパトラは彼らに対立していた一派を支援していたため、アントニウスから出頭を命じられます。このとき、彼女は大きな賭けにでました。
クレオパトラはアフロディーテの扮装をして、豪華な船団を引き連れ、会見場に登場したのです。音楽が奏でられ、薔薇の花びらが舞い散る素晴らしい演出に、アントニウスは心を奪われました。

アルマ=タデマ『クレオパトラとアントニウス』

また、こんなエピソードもあります。クレオパトラはアントニウスを宴に招き、歓待します。アントニウスにとってはいつもの宴と大差がありませんでしたが、クレオパトラは「もっと豪華な品があります」と酢を運ばせてきます。その酢に身につけていた真珠の耳飾りの片方を投げ入れたのです。真珠はみるみる溶けていき、クレオパトラはこともなげに「この真珠はプトレマイオス朝の家宝で、一万セステルチアしますの」と言い、さらにもう片方の耳飾りも投げ入れようとします。アントニウスは必死に止めました。

ヨルダーンス『クレオパトラの饗宴』


どちらも、エジプトの財力とクレオパトラ自身の知性がなければできないエピソードです。アントニウスはもともと武将だったので、そんな彼女に夢中になります。彼はオクタビアヌスの姉オクタヴィアと結婚していましたが離婚し、クレオパトラと再婚します。2人の間には3人の子どもたちが生まれました。
エジプトでマスオさん状態となってしまったアントニウスは当然ながらローマでの人気を失います。姉を離縁されたオクタビアヌスは二人の情事を宣伝し対立、B.C.31年両者の船団はアクティウムで対時します。クレオパトラが突然逃げ出したからアントニウスも追いかけ戦線が総崩れになったと言われていますが、はっきりしていません。どちらにせよ、二人は大敗し、エジプトへ逃げ帰りました。
クレオパトラはオクタヴィアヌスとの和平工作をしましたが、うまくいかず、カエサリオンを逃します。この様子を見ていたアントニウスがクレオパトラに捨てられると早合点し、自殺を図ります。瀕死の重傷を負ったアントニウスはクレオパトラのもとに運ばれますが、息絶えました。
クレオパトラもアントニウスの後を追い、胸をコブラに噛ませて自殺しました。享年39歳。カエサリオンも捕らえられ殺害されたため、プトレマイオス朝は滅亡しました。

伝説化

クレオパトラはローマの英雄2人を籠絡しました。また自殺という悲劇的な最期を迎えたことからも、伝説化していきます。フランスの哲学者パスカルは、
『クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、歴史は変わっていた』と記しましたし、多くの画家が作品に取り上げ、映画にもなりました。

カニッチャ『クレオパトラの死』
クレオパトラはコブラに噛ませた箇所は、胸と腕がありはっきりしない。エロティズムを表現するために胸にされることが多い。侍女が一緒に倒れて描かれることもある。
映画『クレオパトラ』
制作会社が破綻しそうになるほどの製作費が費やされた。


実際の彼女の魅力は容姿よりも他言語を操る知性と美声だったと言われています。彼女の遺体はまだ見つかっていないので、どのような容姿だったかは謎のため、人々の創作意欲を掻き立ててきたのでしょう。
彼女が2人を誘惑した理由はエジプトを守るためだったとされています。エジプトは大国でしたが、往時の勢いはなく、属国にならない形で新興国ローマの庇護を受けたかったのだろうというのです。たしかにその一面もあるでしょう。しかし、カエサリオンを出産したあたりから彼女自身の野心も芽生えてきたのではないでしょうか。アレクサンドロス大王の生まれ変わりようにカエサリオンを育てることに野心を燃やし、ローマの軍事力とエジプトの財力があれば不可能ではないと感じたからエジプトを離れてローマに行くという強硬策を選んだのでしょう。カエサルの死で夢破れたわけですが、諦め難くアントニウスと関係を結んだのではないでしょうか。
カエサリオンはオクタビアヌスに『カエサルの後継者になり得る存在』として殺されてしまいましたが、アントニウスとの子どもたちは前妻オクタヴィアに引き取られ、ローマ皇帝の親戚として血統を残しました。

クレオパトラの話、書き終わりました〜。世界三大美女の1人を取り上げられて、良かったです。
カエサルやオクタビアヌスについては後日詳しく取り上げる予定です。その準備のため、塩野七生先生の『ローマ人の物語』を部分的に読んでいるのですが、終わりそうな気がしません( ˙-˙ )
まぁ気長にやっていこうと思います。

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