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「論争」が生きていた時代 服部龍二『高坂正堯』(中公新書)

理想と現実の接点を求めて

96年に亡くなった高坂正堯を、リアルタイムで読んだことはない。

本書を読んで、同時代に時事評論を読めた方、テレビでの解説に触れた方がうらやましくなった。彼自身の分析や意見もさることながら、彼の周囲には建設的な「論争」が生きていたからだ。高坂自身がそれを生み出してもいた。

現実主義、リアリズム論の代名詞と言っていい高坂だが、決して理想主義をお花畑と切り捨てるのではなく、その出会うところを探して論争し、時には論敵に会いにも行き、相手方との接点を模索していたようなのだ。

「昔の理想主義論者と、現在のお花畑論者ではそもそもの質が違う」と言う意見もあるかもしれない。また、それは正しい面もあるだろう。では現実主義者、リアリズム論者を気取る側はどうなのか? 高坂が28歳(!)で『中央公論』誌上で論壇デビューした時点で書いた次の一文を、何度でもかみしめなければなるまい。

《国家が追求すべき価値の問題を考慮しないならば、現実主義は現実追従主義に陥るか、もしくはシニシズムに堕する危険がある》

論壇も論争も瀕死の状態

高坂は政治に近づきすぎ、御用学者と呼ばれかねないほどの「踏み込み」もあったようだが、しかしその政治への接近は、個人的な好き嫌いや論敵つぶしのための徒党組みではもちろんなく、また単なるお先棒担ぎでもなかった。自身が研究した結果、正しいと思う道筋を、少しでも現実政治に反映しようとの思いだったのではないか。

もちろん、学者であるところの高坂同様に、現在、日々学問をされている学者の方、研究者、専門家の方々も同じように、自身の研究成果が何らかの形で国民が考える材料として提供されること、それが現実に良い影響を及ぼすことを期待されていると思う。その中で、意見がすれ違う専門家もいることだろう。しかし今、「論壇」は死につつあり、高坂が行ってきたような生きた、しかもハイレベルの「論争」は行われなくなり、論敵への批判も言いっぱなしの一方通行になるばかりだ。

熟考ができないツイッターバトル

なるほどツイッターやブログでは、論争のようなものが日々展開されてはいる。しかしお互いが相手の意見を尊重しつつ、しかしそれでも矛盾や問題点を指摘し、聴衆である私たちに「フェアなレフェリー」としての審判を求めるようなものではない。

審判を務めるには、審判自身も論争のバックグラウンドや経緯を知り、新たな知見を取り入れ学ぶことが必要とされる。今は、高坂が生き活躍した20世紀とは違い、素人であってもネットで様々な情報を得ることができる。実に様々すぎて、判断材料に使えるものなのかどうかを見分けるところから労力がいる。だが勉強している時間がないくらい、次々に論争のテーマが沸いては消えていく。沈黙は誠実さの表れでもある一方、その沈黙さえも、「この件に関しては勉強不足なので」と言い訳しなければならない場合もある。

それだけではない。ファンネルを飛ばす、という表現がある。ネット上で力を持っている論者が批判されたときに、自らそれに応対するのではなく、論者のファンやフォロワーを煽って敵陣を攻撃させることを指すらしい。煽らなくても勝手に敵陣へ突撃するファンネルもあるだろう。

つまり、論客と思しき人物であっても、そこで行われているのは剥き身の個人としての戦いだけではなく、ある種の団体戦でもあるのだ。どれだけの人間がいいねを押し、リツイートやシェアで拡散するか。ファンネルと呼ばれる人たちが、どれだけ論敵にダメージを与えるか。

論争の中身はもちろん大事だ、今だって。しかしそこに、沈思黙考や熟考というものはない。そんなことをしていたら「相手は黙った、論破されたからだ」と喧伝されかねない。スキを見せれば、ファンネルたちは離れるだけでなく、翻って自分を攻撃してくるかもしれず、次々にコメントを投下していかなければならない。

昔をうらやんでも仕方がないのだが、数か月かけて書いた論文への反論がさらに数か月後に別の雑誌に掲載され、また別の雑誌で数か月後に応戦するというある種の牧歌的なやり取りの中で、醸成されていったものが確かにあったろう。

喧々囂々ではない侃々諤々の再建を

本書で随所に引用されている高坂の「功績」(その時々の意見)に学ぶところは多い。70年代末に高坂が指摘していた問題が、今なお課題として残っていることもわかり、これは高坂に先見の明があったのもあるが、日本が課題解決を先送りしてきた結果でもあるだろう。先のトランプによる「日米同盟破棄言及」も、高坂が指摘した課題の延長線上にある。

高坂の時代であれば、トランプ発言が大きな論争を巻き起こし、日本のこれからの在り方を根本から考え直すべきか否か、侃々諤々の議論があちらの雑誌やこちらの雑誌で行われ、時には雑誌も左右も越境しての論争もあったかもしれない。

しかし今は喧々囂々どころか、あちこちで散発的に触れられただけで、すぐに別のニュースにとってかわられてしまう。

(ここで侃々諤々と喧々囂々の使い分けにご注目・笑)

70年代末に指摘されていた問題が、今なお課題として残ったままなのは、先送りだけでなく、日本国内での論争が絶えたからではないかとさえ思ってしまうのだ。

うらやましがっていても詮無き事。それができる環境と場所を、小さくてもいいから持たなければならない。まずは、その意識を持つことから。


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