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【あべ本#11】樋口陽一・山口二郎編『安倍流改憲にNOを!』

学者が本気でタコ殴り

「安倍流改憲」とか「アベ改憲」に反対するというフレーズを見るたびに、「じゃあ安倍流じゃなければいいのか?」「谷垣流・岸田流・石破流なら賛成か?」という疑問がわいてきます。

特に石破氏に関しては、フルスペックの集団的自衛権論者であり、安倍総理への対抗馬がいないからとはいえ、朝日新聞などが応援しているかのようなスタンスで報じていたのには驚きでした。

本書はさすがにそのようなうかつな角度のつけ方はしていません。憲法学、政治学、社会学などの教授を務めるそうそうたる方々が、自身の専門分野において安倍政権の「手口」をタコ殴りにしており、専門知識に乏しい私としては、読むのもなかなか骨が折れました。

「安倍流改憲」なるものは一体何なのかというと、つまるところ嘘でもダブルスタンダードでも、矛盾している状況があっても関係なく解釈改憲を勧めたうえ、さらに実際の改憲すらも押し切ろうとしている「手口」というところでしょうか。また、以前は検討されていた96条(改憲手続き)を改憲することで9条改憲へのハードルを下げんとする「手口」、あるいは環境権などとっつきやすいもので「お試し改憲」をして本丸の9条に向かう「手口」なども含んでいるようです。まあそれに対しては私もNOですが(ついでに9条3項加憲もNO)。

なお、プロフィールを見たら執筆者の全員が「立憲デモクラシーの会」の関係者だったことを申し添えておきます。

3回読んでも理解できない

専門家が専門分野に引き付けて書いた文章を、門外漢も門外漢の私が茶々を入れようというのだから大変なことです。そこで、今回は特に印象的だった一編に絞りました。

それは三浦まり氏の「『戦争ができる国』へ向けて『女性が輝かされる』日本」。

安倍政権は、一方では「日本会議的古色像然とした家族・女性像を守っている」といわれながら、他方では「女性の社会進出を打ち出している」。この論考ではその矛盾を「戦争できる国にするためである」としています。

「……え?」って思いますよね。私も思いました。

もちろん私も「輝け女性」と言われても「輝きを強要しないでください」とは思いますよ。

しかしこれが、「戦争をするために女性を無理やり輝かせようとしている!」という話になる。「戦争ができる国」と「女性が輝く社会」政策は《密接な関係を持っていることを意味しよう》とまで言っているのです。

正直、この論文を3回読みました。3回目は図まで書きながら。安倍政権の政策すべてが「戦争ができる国」に帰結する、という結論から逆算して女性政策を解釈しているとしか思えなかったからです。論文では「女性政策=成長戦略=富国強兵」としていますが、以下、内容を要約してみるとこんなことになります。

アクロバティックすぎる論理展開

(梶井による要約)――安倍政権的な価値観の中では、女性は働かされるが、政府は女性の賃金格差などを埋めようという発想もなく、報われないまま。それは女性に男性のサポート的な、家事育児を含むケア役割を押し付けるため。

本来なら外注や施策、あるいは夫の育児参画によって「免除/軽減」されるはずの育児も、政府が育児政策に注力せず「3年間抱っこし放題」という、結局は「無償」で女性(母親)に育児を押し付けてキャリア断絶を招くのみ。これもケア役割押し付けにつながる。育児に国費を投じないのは、福祉よりも軍事費に回したいから。

結婚支援や少子化対策に国が介入し、自民党憲法案では「家族」を全面に打ち出す。「戦争できる国」において女性は家庭内で最底辺に置かれ、本来は戦争に最も反対する母たる女性に、「戦争し勝つための資源調達」を行わせるために「女性を輝かそうとしている」のだ!――(終)

分かりますか、この論理。や、もちろん要約が悪いのだというご指摘もあると思いますので、気になる方は直に論文を読んでみていただきたいのですが。

普通に考えると、戦争したい国が女性に求めることは、一つは女性兵士増であり女性兵士の職域開放でしょう。これについては少し触れながらも「結局はケア職域に追いやられる」という話になっている。

もう一つは産めよ増やせよで「兵士になる子供をたくさん産ませるため、女性は家庭の中で子育てに専念しろ」となるのが普通。日本会議系というか古い世代の保守(でなく古い世代自体かも)にこの手の思考を持っている人が多いのは体感としても分からなくはない。

筆者の三浦氏も《「戦争ができる国」にとって人口規模が国力を決定する》のだから《働きながら子育てしやすい社会を作れば出生率の回復も見込めるはずである》と書いています。

ではなぜ安倍政権がそういう政策をとっていない(「働け、しかし子育てしやすくはしない!」という状況になっている)かというと、三浦氏によれば「産む性としての女性に過度に焦点を当てることで、そうでない女性に肩身の狭い思いをさせ、事実上迫害することが『戦争ができる国』の政策目標だから」ということになるらしい。難解でよくわからないのですが、あまりにアクロバティックな論理展開ではないでしょうか。

私が考える限りでは「(日本会議のコア部分とは違って)安倍総理はさほど古色蒼然とした家庭像を持っていない」(昭恵夫人を見よ)うえ、「女性の社会進出政策を取らない/否定する」という流れは日本はもちろん国際社会的にもあり得ない方針で、しかも選挙的にも(ほとんどの人は反対しないから)打ち出しやすい、というところじゃないかと思います。

もう一つ分からないのは、結婚への国家の介入に反対しながら、育児への福祉政策は「足りない」としているところです。自民党が打ち出しながらも撤回した「育休3年義務化法案=3年間抱っこし放題法案」を「女性のキャリアを断絶させ、母親に無償で育児をさせる狙い」としていますが、育児休業給付金などの手当てもあり、国家が育児をサポートしていないわけでもない。

まあ確かに安倍政権には「親学」系の影響がちらついているので「子供は3歳までは母親のの手で」という発想が、素直に「そうしたい母親の希望に応じた」ものかどうか疑わしくはあるのですが、「戦争する国」を警戒するなら、子育てや子供の教育に国が関与する方が怖い気がします。

キラキラ系兼業主婦とキャラ弁がやり玉に

さらにぎょっとしたのは「キラキラ系奥様」を称揚する風潮や女性誌へのこんな苦言です。

家族のことを第一に考え、家族の幸せのために生きる「輝いた」女性は、女性誌を見ればごく普通にありふれている。夫と子ども中心の生活を送り、ゆるい働き方で家計を助けたり生き甲斐を求める女性は、あくせく働く女性よりもむしろキラキラした存在として理想化する女性誌は枚挙に暇がない。キャラ弁(動物や人気キャラクターなどが再現された弁当)作りが母親の愛の証とでも言いたげな記事も珍しくない。…(中略)…「戦争をしない国」での家族の幸せを支える母親は、「戦争をする国」ではなおいっそう重要な使命を果たす存在として、その「活躍」と「輝き」を称揚されるに違いないのだ。

やー、これは正直目がチカチカしてしまいました。私も「家族のために(ゆるい)仕事も家事もおしゃれも頑張る私のキラキラ日常☆」系の雑誌は苦手ではありますが(というか想定読者から外れている)、どちらかといえば「あくせく働く」女性であるところの私でも、キャラ弁にたいしてこんな思いを抱いたことはありませんでした……。何か「ゆるく働いて」のところに違った思惑を感じてしまうのは、斜めに見すぎでしょうか。

それこそ、女性の自由じゃないでしょうか。それとも何でしょうか、「ゆるく働いて後は家族のことを考えている」ような女性は、あっという間に「戦争できる国」に動員されてしまうとでも? 

(ただ、読者の一部がその後、「キラキラ系兼業主婦」への道を歩むのではないかと思われる女性ファッション誌『ViVi』が自民党に狙い撃ちされた件は、三浦氏の懸念を強めたかもしれません)

もちろん、かつて戦時下において家族物語や女性の働きが称揚されたことは事実なのだと思います。女性の社会進出自体が、戦争をきっかけに進んだ面もある。そもそも福祉の拡大が、戦争を契機にしてもいる。「いざとなればキャラ弁づくりさえも動員の道具に!」という警戒は、1ミリも根拠がないものではないとは思います。が、あれもこれも、すべては「安倍政権の施策はすべて『戦争できる国』に帰結する」という前提から逆算するのは無理があるのではないでしょうか。

少し前には女性誌が集団的自衛権に関する記事を掲載し、安倍総理の女性人気は芳しくないという情報もありました。その手の女性誌(いわゆる女性週刊誌だったかと)とキラキラ系女性誌では違うのでしょうが、女性の性的自己決定権を主張しながら、キラキラ系女性や(もはや論外として扱われている)タカ派女性を、知ってか知らずか戦争にまい進する愚か者扱いするかの論調では、女性への説得においていい効果をもたらさないのではという気がしました。


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