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プライドマンスに学ぶ子育て

親が子供へ様々な期待を抱くのは当然のことです。子供が”よくできる子”だと親も自分自身の成功のように誇らしく感じます。ただ、どうしても目に見える成功ばかりに目がいってしまいがちです。学歴や地位などはこの社会に生きるために場合によっては自分を守る鎧になることもありますが、幸せとは決して=にはなりません。私はカウンセリングの経験からも、幸せとはなるべく自分らしく生きることではないかと思っています。そのままの自分を受け入れてくれる人達が居て、その中で自分らしく人としての成長を遂げていくこと。

幸せの仕組み

マズローの(幸福)欲求5段階ピラミッドに分かりやすく表現されているように、底辺とその上にある生理的欲求と身の安全の欲求が満たされていると、次に出てくるのは社会的欲求です。これは家族など近い人たちからそのままの自分を受け入れられ、安心して生活できること、自分の居場所があることです。私たちは子供にこの場所を提供してあげられているでしょうか。この3段階目が満たされて自己承認が生まれます。
Maslow's Hierarchy of Needs

子供が伸び伸びと成長できる理想的な家庭環境は、子供が自分らしくいることの出来る、安心して暮らせる場所です。お父さんお母さんから「そのままのあなたが大好きだよ」と子供を受け入れて尊重しサポートしてくれる。。。こんな場所があれば外で辛いことがあっても家で心をリチャージする事ができるのではないでしょうか。

自分の重荷を子供へ渡さないために

TVで見るゲイや同僚がクィアなのは気にならないし、いろんな人がいるのは理解できるんだけど、自分の子供が、となると話は違うと感じる人も多いかも知れません。親なら子供になるべく乗り越える壁が少ない、幸せな人生を送ってほしいと願います。ストレートじゃないといじめられたり出世できなかったりと、ただでさえ幸せな人生を送るのはそう簡単ではないのに、“普通”ではないことで苦難が増えることを懸念します。
「子供は親の鏡」という表現がありますが、子育ては親自身が持つ自己嫌悪や不安、育ってきた環境からのトラウマなどが子育ての端々に出るものです。それに気づいているかないかで子育てのクオリティーに差が出ます。LGBTのコミュニティーに対して(どんなことに対しても同じですが)嫌悪感があり、受け入れられない方は、その感覚はどこから来るのかじっくりと掘り下げてみることをおすすめします。さらに、誰に対してもですが否定感・嫌悪感を持つのは子育てだけではなく、自分自身の心と体の健康に良くありません。自分が知らないうちに背負ってきた重荷は、なるべく次の世代に背負わすことのないようにしたいものです。

男の子、女の子の枠を超えた視野

前のブログで書いたように、少数派への差別というものは多数派の協力と努力によってなくなっていくものです。
子供が小さい頃から男の子・女の子を超えてお友達を見れるように大人がサポート出来るといいです。例えば息子さんに『好きな女の子はいるの?」と聞く代わりに「好きな子いるの?その子は女の子?男の子?」 と聞きます。息子さんが「えー!僕男だから好きな子は女の子に決まってるじゃん」というような反応だったら、「男の子が好きになる男の子もいるよー」って返します。些細なことに思えますが、”ママとパパは”誰を好きになろうとあなたを受け入れるよ”というメッセージと、”男の子が男の子を好きになる人もいるんだよ”というメッセージを伝えておくためです。
ナイーブに聞こえるかも知れませんが(ナイーブさを忘れないことは子育てでは大事です)、”世の中には色んな人達がいるからこそ世界は美しい”というメッセージを子育てを通して伝えたいと思っています。そして自分の先入観をぐっとこらえて子供の新鮮な目で世の中を見ることで、子供は親を信頼し大きくなっても失敗談も含めてオープンに話してくれるようになります。
娘の幼稚園の初日の事を思い出しました。お迎えに行くと「レオはね、ママが2人いてパパはいないんだって」と言いました。子供は私たちの反応をガッツリ観察しています。私は「そう、ママが2人いる人もいれば、パパが2人の人もいるよー」と返すと、「OK!」とすっきりしたように友達のいるブランコのエリアへ走って戻って行きました。

男の子色、女の子色を超えたランドセル選び

私の子供時代はランドセルの色のチョイスが赤と黒しかありませんでした。現在の小学生は好きな色を自由に選べるイメージですが実際はどうでしょうか。息子が「僕はピンク色が好きだからランドセルはピンクにする」と言ったらあなたはどう答えますか?「ピンクは女の子の色だから青とかにしたほうがいいよ」と答えるかもしれません。そんな決まりはないはずなのに、答え方次第で大人社会が勝手に’ピンクは女性らしい色’というイマジネーションに欠ける概念を押し付けることになります。幼稚園生ならもうすでにそれは分かっていると思いますが、それでも僕はピンクがいいって自分の’好き’を主張しているところは大事にしてあげたいと私は感じます。「ピンクのランドセルで学校にいくと、お友達になんでピンクなのーって言う子がいるかもしれないけど、X Xがそれでもピンクが良いなら、パパはピンクのランドセルを買ってあげるよ!もしお友達になんか言われたらいつでもパパに言ってね。」

自分らしく生きることは決して楽なことではない

生まれた時の性別によって、振る舞い方、好きなもの、格好、好きになる性別、職種、と社会や家族からの目には見えない見込みや期待で私たちは囲まれています。そしてそれらは私たちにプレッシャーとしてのしかかってくる事も多いです。宗教にも似た側面があると思いますが、ある意味それらに疑問を抱く事なく「男だからこうするべき」と決まったレールを歩んでいく方が楽な事もあると思います。反対に、自分の心のコンパスを頼りに歩んでいくことは、家族や友人に理解されなかったりして、孤独に挑戦しないといけないことも多くあるからです。山を歩く時、人が何度も歩いた跡を沿って行くのが一番楽なのと似ています。ただ、何度も他の人が通る道は平坦で新しい発見が少ないです。自分で開拓していく道を行くと、外の世界も自分の内の世界も広がります。

人生の中での宝物(自己肯定感/プライドから生まれる幸福感)を得るのは簡単な事ではないです。自分のそのままを受け入れてくれる人達がいて、試行錯誤しながらも自己向上をし、人に感謝し感謝されて出来てくるものです。 レインボーがLGBTの象徴になっているのは多様で寛大である愛を表現していると思います。さらに、空にかかる虹は色と色の間にはっきりした線はなく、全体的にグラデーションになっています。これは『こうするべき』と人を性別や肌の色でカテゴライズするのではなく、変化と成長を続ける私たち人間の自由な可能性を表しています。社会の宝である子供たちのそのままを受け入れ、子供たちが思う存分に自己発揮出来る社会を思い描いてみませんか。

”Love is Love”(愛は愛)ですよね🏳️‍🌈

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