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【ショートエッセイ】マザー・テレサ

マザー・テレサ


 あなたの敷地に入った途端、高原のように澄みきった涼やかな空気に抱かれ鳥のさえずりが聞こえてきました。庭木の緑は静かに潤み光っていました。コンクリートの廊下には、ボランティアを志願する世界中からの若者達が柔和な微笑みと共に座って列をなし、いつ呼ばれるか見当のつかない順番をただ嬉しそうに待っていました。

 あなたが姿を現わす直前に感じた空気の煌めきを私は今も忘れられません。現れたあなたは小柄で洗いざらしの白いサリーを着こなし笑みで顔をくちゃくちゃにしながら颯爽と歩いてきました。

 姿そのものは品の良い老婦人でしたが、凛としたおだやかな月の輝きを纏っているようなオーラに私の心はただひれ伏すしかありませんでした。

 私があなたの足元に跪きプロナム*を捧げた後、あなたが私の右手を力強く握りながら顔を近付けていろいろな話をしてくれていた時、心から安心して愛情の泉に浮かんでいるような感覚に包まれました。

 あなたは私に言いました。「この世で一番大切なものは愛です。あなたの愛情に余裕を感じたら、その愛を隣人にも分けてあげて下さい。一瞬の笑顔、たった一言の優しい言葉や挨拶でもいいのです。それで救われる人々もたくさんいます。私はこれから毎日あなたの幸せのために祈りを捧げましょう」と。そしてしっかりと抱き締めてくれました。

 宿った神の意志を悟ったあなたは、平和な地球を渇望しながら最後まで仕事をやり遂げました。

 私はあなたにもらった言葉を折に触れ唱えます。私のありふれた日常の中で、ほんの少しでもいいからあなたに近づけるような生き方を切に願いながら。


*プロナム:目上の人に対して敬愛を表現する触足の挨拶

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