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そばでいつも見てるから、覚えててね

新生児は、あまりかわいくないとずっと聞かされていたのに、出産直後、看護師さんに抱かれてきた葵さんは、あまりにもあまりにもかわいくてびっくりしてしまった。

私は半日かかったお産でヘトヘトだったのに、「かわいい、かわいい!」とかなり騒いだらしい。覚えてないけど。

ずっとずっと見ていたい。泣いた顔も、寝てる顔も。

おっぱい、おむつ、ねんねの繰り返しの時は、私は彼女の世界のすべてで、望むものはすべて私が与えてやり、危険がせまれば、その気になれば私が守ってやれた。

でも、そんな時なんて、ほんのひと時。

2歳頃の葵さん。顔のパーツはあまり変わらない。

彼女が成長して行動範囲が大きくなるたびに、私ができることはなくなっていく。

移動にはいつも抱っこしていたのが、手をつないでの歩き、やがてその手さえも離して。

いつも目の届くところにいた時間は、だんだんと短くなって、私の知らない時と場所へと。

私ができることといえば、いってらっしゃいと、おかえりを言ってやること。

それから、一日楽しく、元気で活動できるように、無事に帰ってくるように、と祈ること。

葵さんの人生というまぶしい世界から、私は徐々に存在感をなくしていく。それはまったく健全で、何より葵さんが順調に成長している証なのだけど。

漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の主人公・鬼太郎のお父さん、目玉おやじ。

わが子鬼太郎を案じるあまり、自らの遺体の左の眼球に魂を宿らせて生き返り、眼球に小さな身体と手足が生えた現在の姿に変わった、それが目玉おやじ。
お父さんの一念で、妖怪になってしまったのだ。

わが子の行く末を見守りたいという、私の願いの強さは、目玉おやじに負けていない気がする。

仏教では、こんな思いは執着といい、成仏できない原因である。私、お化けになっちゃうのか?というか、すでにある意味お化け?でも、私の執着が、葵さんの人生にマイナスになるなら、執着を捨ててさっさと成仏する覚悟もある。いや、お化けになる覚悟と、どっちもどっち?

私が死んだ後、葵さんがおいしいものを食べている時、私のことを思い出したらそれは、私がそばにいるというサインだよ、と葵さんにはすでに話している。

死後、この世を思いのままうろうろできるものかどうかは、わからないけど。なにせ死んだことがないし。


拝啓あんこぼーろさんの小説『つくね小隊、応答せよ!』の最終話が8月の終わり、noteに投稿された。
https://note.com/peacedes/n/n3c5df9186d4e?magazine_key=mf92ca8714cae

https://note.com/peacedes/m/mf92ca8714cae

第一話が、2021年12月27日の発表だから、おおよそ8ヶ月かかっての完結。
小説は、第二次世界大戦末期、東南アジアのとある小島が舞台。部隊は離散し、なおも島に残された3人の若い日本人兵と、3人を守る、人ではない存在三体、早太郎(犬)、金長(狸)、狐。
3人の日本人兵、それぞれをかけがえなく思う家族の、無事に帰ってきてほしいという願いに応えて、早太郎、金長、狐は3人を守るために、日本から遠く離れた小島まで、やってきているのだ。

どうか無事に生きて、と、帰っておいでという願いは、物質ではないので目には見えないけれど、神仏には届いていて、私たちみんなを知らず知らずに危機から守り、そのおかげで日々を無事に過ごしているのかもしれない。


ひとりで生きているようなカオするのは簡単だけど、みんな誰かにとって大切な存在で、そんな人なんて思いつかない、という人にだって、

すべての生きとし生けるものを大切にする、大きな尊いもの、神さま、だったり、宇宙、だったり、なんだかわからない、すべての源のような存在から、いつも、「いてよし」と、「生きていてほしい」と願われているから、存在できるのではないかと、私は思っている。

自分を生かして守っているものに感謝して生きた方が、しあわせな気持ちになれるから、
私はありがとう、今日も生きてるよ、と、そっとあいさつする。

そして今度は、葵さんに、
それから私より若い、これから生きていく人たちに、祈るのだ。
どうか、無事に生きて、できれば楽しく生きて。
そして、帰っておいで、と。


見出しは、星野源『異世界混合大舞踏会』の歌詞から。
おばけはいつだって、みんなを見てる。


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