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内なる敵を制しない限り女性の解放はない


フェミニストとキモいオジサンの抗争の背景

今どきのフェミニストの何が問題か

『女性は自由であるべきだ』
ここは特段おかしくはないんですよ。
『自由であるならば、常に最高のものが選べるべきだし、気に入らないものはとことん排除できるはずだ。』
こういう考え方が出てくるとチョット引っかかるものを感じます。
『自由』というのをどうもはき違えているように思えるのです。

この点からなのか、妙に白か黒かというジャッジを強烈に感じてしまうわけなんですけども。
それより気になるのは、自由であればとことん打算的になれるという所でしょうか。
チョットそれは良心というのが感じられないという意味で違和感が強く残ります。

「キモいオジサン」の何が問題か

端的に言ってしまえば「所有価値」がないからです。

彼氏や旦那に求める価値とは他の女性に見せびらかし、自慢することで得られる『優越感』にこそあるわけで、その優越感を得るための「所有物」としての価値があるかという評価において、「全く所有価値がない男の代表格」として「キモいオジサン」というのが槍玉に挙がっているわけなのです。

「キモい」って基本外見が劣っていることへの差別的な言葉なんですよ。
連れ歩いて自慢できるかというのが所有価値の主たる要素なので、ルッキズムによる選別や排除という発想は当然に出るとは予測できます。

カースト争いをしている限り解放はされない

「女性の敵は女性」とは至言じゃないでしょうか

女性社会のカースト

実は女性を生きづらくしているのは女性内でのカースト争いを背景にした女性同士による「内向きの競争」です。
『他の女性に負けたくない』という「ライバル心に振り回されている」ことこそが生きづらくしているのです。
女性の生きづらさから解放されるにはこの争いから解放される必要がまずありますが、ライバルに勝つことに振り回される原因は、自己肯定感を得るために他人より優れているという根拠を示さなければならないというプレッシャーがあることと、優劣の白黒をつけるために他人との比較がやめられないからではないでしょうか。

競争至上主義の産物

『ありのままの自分でOKだなんて甘え』という風潮も問題です。
そもそもこういう言説をする人はとかく競争を煽ります。
自分はOKとしたければ根拠を示すためにライバルに勝ち抜いてそれを証明していかなければならなくなってしまいます。
このようにしてライバル心に振り回されていくのですが、その原因も他のライバルから蹴落とされる事に対する防衛意識から出ていることなので、とにかく自己肯定感を巡ってライバル心を剥き出しにして女性同士で争うことになってしまいます。

男?そのライバル争いに「勝つための『武器』」以上の存在意義はありませんよ、この競争に必死になっている女性からしたらね。
そうして女性同士のバトルに巻き込まれる形で、女性に選ばれるための競争に苦しめられることになり、そこでドロップアウトして存在価値を全否定された男がたちがアンチフェミニストになっていくわけでもあるのですが…
競争が競争を生み、そこでできた格差から更に分断と対立を生んでいく。

この競争至上主義から脱却しなければならないのですが…
如何せん誰より競争意識が高いのは今幅を利かせている意識高い系のフェミニスト他ならず、この人たちがむしろ競争を煽るため困ったものです。
そして他でもないこのフェミニストたちが女性同士のカースト社会を墨守しているのです。
このフェミニストの闘争運動として「男を叩く大義名分」を維持するのに女性同士のカースト社会で「役に立たない存在」という事を示す必要があるからなのです。

余談:カースト争いに執着する女性は鬱陶しい

とにかく少しでもカースト上位に立つことによって他人を見下していないと自己肯定感を維持できないため、自己肯定感を確保するためにマウンティングをしてくるので正直鬱陶しいです。

おまけに、いじめ加害者体質の性格の悪い人たちばかり。
飛ぶ鳥を落とす勢いのフェミニストの一人である、あの仁藤夢乃も結構な「いじめ加害者」という話も聞きますしね。

そして今幅を利かせているフェミニストと称されている人の多くが、サイコパスのように思えてなりません。
あの人たちには何が何でもワガママを押し通すという姿勢でいて、『良心』というものが全く感じられないのです。

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