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毎日を面白がるために

知識があればきっと人生はもっと面白くなるって話を、以前noteに書いた。

今日はぜひその続きの話をさせてほしい。いや、続きというか、関連する話というか。


わたしが中学生だった頃、選択科目に国語があった。え?選択科目で国語?って思うじゃないですか。わたしも思ったんですけど、その国語でやるのは「落語を見る」ということだった。

1時間まるまる使って、教室のテレビで落語のビデオを見るっていう、ただそれだけの授業。落語なんて今まで慣れ親しんでなかったというか、失礼ながら特に興味の無い退屈なものだった。
大阪に住んでいる人なら行ったことある人も少なくないと思うんだけど、なんばグランド花月(通称NGK)でやってる吉本新喜劇。小さい頃におじいちゃんとおばあちゃんにつれられてNGKに新喜劇を観に行ったわけなんだけど、あれって、新喜劇だけじゃないんだよね。わたしが観に行ったのは3部構成で、1部2部で他の芸人さんたちの漫才があって、3部で新喜劇だったわけ。で、その2部で着物を着たおじさんが小さな畳の上で正座しながらセンスを振り回して漫談をしていたわけ。そう、それがわたしの初めての落語だったのだけど、小学生だったわたしはその面白さが分からずに、ただただ眠さに耐えながら、時間が過ぎるのを待った記憶だけあった。だから、落語はただ眠くなるようなつまらないもの、という印象だった。

でも、中学の時の選択科目国語での落語で、ビデオを見る前に先に先生が用語の解説をかいつまんでしてくれて。落語の中に○○という単語が出てくるのだけど、それはこういう意味で、っていう解説。それを聞いた上で落語を見たら、これがなんとすごく面白い。落語って、意味がわかるとこんなに面白いものだったのかってそこですごく衝撃を受けた。
それと同時に、すごく悔しさも感じた。

「わたしには、知識がないから、面白がれない」

先生も全部を解説してくれるわけじゃないから、ビデオの中で、観客が笑っている部分で、笑えない自分がいた。何の話をしているのか、わかってはいるのに出てくる言葉の意味がわからなくて、面白さの格となる部分が理解できなくて、一緒に笑えなかった。

そうか、たくさんの知識があれば、面白いと感じられることは格段に増えるのか。


別に落語だけに限らない。

何かを体験するための前提知識がどれだけあるかによって、その体験の質ってすごく変わってくるなと思う。


誰か友だちと話しているときも、その話題のレベル感がどこにあるのかによって、面白さってすごく変わってくると思う。

会話の中での「例えばさ」っていう比喩が、通じるのかどうかとか。ほら、同じ本を読んでいれば「この状況って、○○って本の主人公のあの場面に似ているよね」って例えができるわけで。なんていうか、どれだけ共通言語を持てるのかというところなのかもしれないけれど。

共通言語って、あればあるほど色んなところで通じる話が多くなるからすごく面白いなと思っていて。

あ、そういう話はこのnoteにも書いているから一応リンク貼っておく。


映画やドラマに恋愛物が多いのは、どんな背景を持っている人にも共通してわかりやすいテーマだからなのだと思っている。例えばお金持ちの話はきっとお金持ちにしか分からないし、貧乏な人の話はきっと貧乏な人にしかわからない。でも個々人のステータスがどうであれ、恋愛ってだいたいの人はみんなどこかしらで経験するものだから、それって世間一般の共通言語となり得るわけで。

とにかく、なんかそういった共通言語があれば共感できることが増えて、面白みを感じられることが増える。だから、そういった意味で芸人さんたちってすごいなぁと思ったりもする。


教養とか、知識とかは、やっぱりあればあるほど人生は豊かになると思うから、わたしはもっと本を読みたいなと思っている。

面白がるうんぬんの前に、知識足りてないなぁ、まだまだ知りたいことがたくさんあるなぁと思うから、もっと色んな勉強をしていきたい。



今日もおつかれさまでした。



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