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食べるひとり#1深夜に現れる悪い女

「なんか変な匂いがするんだけど」

キッチンに飲み物を取りに行ったであろう高校生の娘が、ものすごい顔で私の部屋に入ってきた。さらには、部屋の中に全身を突っ込んだ瞬間、
「え?なにこの匂い?やばっ」と言いながら、険しい顔をした。
そりゃそうだろう。この部屋もキッチンも、ものすごい匂いを発生させているのだ。

夕食も終えて、何もかも片付け終わったにも関わらず、4合の米を炊き、シャケの切り身を5切れ焼いた。さらに米が炊き終わった21時過ぎから、鶏肉を2枚と冷蔵庫の中にあった牛蒡やにんじんを適当な大きさに切り、使いかけの乾燥ひじきや切り干し大根を水で戻し、それら全てを調味料の入った鍋に入れてグツグツと煮た。味が染みたら火を止めて冷まし、具に対して明らかに少ない米を、冷ました具と一緒に炊飯器で炊いた。
娘はきっと、炊き終わる少し前の、炊飯器から最大級に湯気が出ているときにキッチンにいったのだろう。時計を見ると23時を過ぎていた。

私は月に1.2回、満腹になれない日がある。
満腹になれないというよりも、胃の中も心の中も何もかも満たされない日がある。
それはたとえば、とんでもなく嫌なことがあった日だったり、びっくりするほど疲れた日だったりと主にストレスが原因なのだけれど、もう一つどうしても自分でコントロールできない日がある。それは生理前だ。
昔からそうだった。生理前には軽く2キロくらい太り、生理が終わる頃には体重が元に戻っている。「生理前には食欲が抑えられなくなる」というのはよく聞く話ではあるのだけれど、こんなにも自分をコントロールできなくなることが、毎月とても恐ろしい。
ある月には、家中の食べ物を探して、深夜1時に「緑のたぬき」と冷凍庫で冬眠していた「いつかの作り過ぎたたこ焼き」をレンジで温めてひたすら食べ続けた。
またある月には、家にすぐ食べられるものがないことに腹を立て、真夜中のコンビニまで自転車を漕ぎ、とにかく生クリームがたくさん食べられるスイーツを2.3個買って家に帰り、それら全てを食べ尽くした。
そもそも私は食べることが好きで、自他共に認める食いしん坊なのだけれど、日々ダイエットもしているので、美味しいものや好きなものを食べる時間をとても大切にしている。それなのに、こんな乱暴な食べ方をする自分が、食欲をコントロールできない自分が、本当に腹立たしかった。

この日は米とシャケでおにぎりを握り、炊けた鶏肉の炊き込みご飯も全て握り、合計で20個以上のおにぎりを作った。
シャケおにぎりはどこから食べてもシャケが口に含まれるように計算して作っている。
炊き込みご飯に関しては、米よりも具が多くて(鶏肉だらけで)うまく握れずボロボロ崩れてくるのでラップで無理やりぎゅうぎゅうと形にしている。
お店では買えない、どちらも私にとって超贅沢なおにぎりなのだ。
食いしん坊というのは、食べることに労力を惜しまない。だから自炊をするときは、とにかく自分の好きなものを好きなように、1番美味しいと思える状態で作る。
外食も好きだけれど、自分で作った料理がとても好きだと思えるのは、食いしん坊あるあるではないだろうか。

大量のおにぎりを作ったものの、自分が食べたいものを食べても食べても無くならない量作ったことに満足して、つまみ食いしかしなかった。結局これらは冷凍され、娘たちの日々の朝ごはんやお弁当にも消えていくのだけれど、とにかく食べたい!という私の欲求がひたすら作るという方向に向くのは健全で良いなと思った。ついに自分の食欲をコントロールできる日が来たのかもしれない。
そして、やはり年齢的にもスナック菓子やらインスタントラーメンやらを夜中に無限に食べるのは本当に体に良くない。
だからこの日は、健全に食欲を抑えられてよかったなと思いながら床に寝っ転がって、ご機嫌な夜を過ごしていた。左手でスマホを操作しながらKindleで小説を読み、右手でポップコーンをつまみながら。

***

「もう寝る!」と言って娘に突然電気を消された部屋は、電子レンジで3分チンすれば出来上がるポップコーンからの湯気と共に湧き出たあまじょっぱい匂いが未だ充満していて、私は「ちょっと今すぐ寝る気になれない」とつぶやき、布団に包まる娘のすぐ横の窓を開けて少し換気した。
冷たい風が顔に当たって、なんだか気持ちが良くなって、明日の朝は最近サボりがちだったプロテインを飲もう!と健康的な自分になれるように気合いをいれた。

暗闇の中で弾けきれなかった粒の残るポップコーンを器用に吐き出しながら、どこを探しても粒しか無くなるまでひたすら口の中にポップコーンを放り投げ、何かの儀式を終えたようななんとも言えない気持ちのまま時計を見ると、午前1時を回っていた。

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