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"カラダの動きと呼吸の動きは1つである"の実践で気付いたこと

こんにちは。今日は私が毎日自宅で行っているフリダヤヨガについて。

フリダヤヨガでは「現代ヨガの父」と呼ばれるT.クリシュナマチャリアの5つの原則を基準にハタヨガの練習を行います。

その1つ目にくる原則が【カラダの動きと 呼吸の動きは1つである】です。

ヨガをしていれば、ヨガは呼吸に合わせて行うものというのは基本中の基本なのですが。

注意深く観察しながら練習をしていると、
カラダの動きを優先して呼吸が止まっていることはよくあります。

呼吸という目に見えないものより
カラダという目に見えるものに
意識が向きがちだということ。

私たちは食べ物を食べれないよりも
水がない方が命に影響があるし、
水を飲めないよりも呼吸ができないと
命はすぐに消えてしまう。

それだけ呼吸は私たちの命そのものを
維持してくれている偉大な機能なのに
どうしても、それを忘れてしまうのです。

呼吸を止めてまでカラダを動かしたい自分に気付くことがまず大切ですね。

ではなぜそんな大切な呼吸を止めてまで
カラダを動かしたい(アーサナをとりたい)と思うのか。

私の場合は
・呼吸の繊細な心地よさよりも、アーサナをとることで得られる筋肉の動きによる分かりやすい刺激のほうが心地よく感じる

・アーサナをとれた方がかっこいい、先生や周りの生徒さんに認められたい

・アーサナが周りの人よりできないのが恥ずかしい

こんな感じでしょうか。

ヨガをするときの姿勢は、日常生活にも同じように反映されます。

先に書いた私がヨガをするときの姿勢から見えてくる
日常生活の思考や行動のクセは

・派手に遊ぶなど刺激を得て幸せを感じようとする

・承認欲求が強い

・人と比べがち。人よりできていないと恥ずかしいと感じたり不安になる

です。

こんな自分がイヤで、ヨガをして自分を整えたいのにマットの上でも同じことをしていたから、
やっぱり何も変わっていかなかった。

フリダヤヨガに出会い、毎日のヨガの実践の中で
まずはこの原則を丁寧に練習していくことで
カラダ=目に見える事 に対してだけ向けられていた努力が
呼吸にも向けられるようになりました。

カラダも呼吸もひとつ。
私のようにカラダだけに偏り、バラバラだった呼吸とカラダの動きが1つになり、あぁ繋がっているんだなぁと気付き、そこに心地よさを感じられるようになった。

日常でも、なるべくカラダと呼吸の繋がりを保っていたいと思うようになる。

自然と、寝る時間や食事を気をつけようと思えたり、
日々の小さな選択が今までと変わり始めた。

そんな風にして、少しずつ私は変わっていったんです。

ヨガの練習を習慣にするまでは本当に苦労したけれど、
寄り添い、見守り、応援し続けてくださった
芥川舞子先生、洋輔先生には本当に感謝しています。

2024年もヨガを練習し、実践を通して気付いたことが誰かのお役に立てれるように、、、
そんな願いも込めて練習を続けていきたいです^ ^



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