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【エッセイ】合わせ鏡✧♡

 そういえば自分には合わせ鏡のような友人がいる。
 彼女と私はことごとく似ていない。

 例えば。

 彼女はデッサンが下手で、私は上手だった。(←感じわりー)
 
 彼女は絵画が得意で、私は不得意だった。(←デッサンとは別なのだ)
 大学で美術を専攻したが、教育学部だったので、彫塑から絵画からデザインから全ての分野を学習した。最後の卒業制作を何の分野で?となった時に、私は、どうしても苦手で、習得したい絵画を選んだ。

 彼女は、全てが苦手で、私には絵画しかないと絵画を専攻。
 私は、どれも得意だから、一番苦手な絵画を専攻。選んだ結果、私は、ミスったなとちょっと思う。得意なものをやるべきだった( ´艸`)。

 彼女には息子がいる。私には子供はいない。
 大学を卒業して数十年後、彼女と八戸市で会ったことがある。
 彼女には1人息子がいて、自分は子供が嫌いだから、息子として授からなければ、たぶん、一生、子供と付き合うことは無かっただろうと言う。
 彼女は私に、あやのん君は子供はいないけれども、職業的に、沢山の子供たちに出会い続ける、自分に子供がいなくても、それでいいんじゃない?と言った。なるほど、と思う。
 
 彼女は離婚している。私は離婚していない。
 彼女はある時、夫をどうしても尊敬できない事件が起き、出奔した。息子がいるのに関わらずである。ひそかに機会を狙って、ある時、実行した。
 それも、別な男の所へだ。息子と共にそこへ、去った。
 思い切った行動をする女だなと、正直思った。
 そして、彼女を迎え入れてくれた新しい家族が、また不思議だった。彼女の創作を応援するような人々だった。彼女は、自分の創作を認めてくれない家から、認めてくれる家に行ったのである。一般常識から見たら褒められない行動だが、彼女の魂的にはかなり正しい気がする。
 私は離婚していない。夫は私の全ての自由を尊重してくれる人だった。

 これだけでは、合わせ鏡とは言えないかもしれない。

 大学時代の友人だが、彼女とは、何かの節目に、その度に何かと再会しているような気がする。

 住む場所も違って、めったに会わない友達。
 lineもメールのやり取りも無い。会わなくても別に平気だし、次に会うのも、どんな機会なのかわからない。

 しかし、肝心の時、思い出す。 

 いつも、彼女のことを思い出すたびに、私が生きてこなかった人生を生きている友達、という気がするのである。