1993年の本(30年前⁉)だが、今、現在のことのようだ。
今、AIが、音楽や美術、表現の世界まで入ってきて、ハリウッドの俳優たちが自分たちの権利を守るためにデモしたり、技術の発展は否応なく世界を変えていく。
西岡棟梁が、30年前から危機感を感じでいたのが大工という仕事なんだと頭をぶん殴られたような気がした。
西岡棟梁が世界一の木造建築の法隆寺を守るように生活してきたことが全く凄い。そのストイックな生き方の厳しさから「法隆寺の鬼」と言われた。
自分のためではなく。
法隆寺という日本国民全体の文化である公(おおやけ)のために生きていた人なのだということがこの本を読んでいる間中、胸を打った。
若くて仕事に就き、生きてこの世の中をサバイバルして生きて行くという自立をゲットすることは、人間の人生において最重要なことだ。
この世の中に1人で立つ。
仕事の始まりに、私はこの教師と言う仕事を、38年間やっていけるのだろうか?という自分のことしか考えていなかった。教育と言うシステムの中の画一的な一教師であった。
この世の中の若者を育てる教師という職に、もっと、公の仕事であるという自覚が、初めに有ったなら、と想像する。
西岡棟梁みたいに、この世の中を千年単位で見据えて、働いたら、もっと、違う教師が育つのではないか。
今、自由人だが、西岡棟梁の教えを胸に抱いて、公の視点を持とうと思う。これから先、何か自分がやるべき事に出会った時に、公の視点で働くことを考えるつもりだ。
大工の手と経験を通して古人の思想が流れ込んでくる。
西岡棟梁の言葉は、昔の日本人が、自然に心に持っていた生き方にも思える。西洋の覇権主義に圧され、日本の思想が無いように見える現代。
今、日本人の本当の在り方を考える時が来ている。
日本人が読むべき一冊である。