見出し画像

ネゴシエーター〜学内トラブル交渉人 第4話 犯人の要求は何?交渉人 輝咲勇作の始まり

 「誰だ、学生を呼んだのは!」
山中里志(やまなか さとし)警視長の怒鳴り声に周囲の人々は震えあがった。ただそれも致し方ない。なぜなら目の前では愉快犯らしき者が人質を盾に猫の解剖を始めようとしているのだから。
 次は人質と言わんばかりの犯人が「きーん」「見たいよぅ」等と奇声を発し、交渉中のネゴシエーターでは交渉になっていないから、交代のネゴシエーターを呼んだところ来たのが新人で今日が初仕事の輝咲勇作(きざき ゆうさく)だった。

 勇作は山中の怒鳴り声に、淡々と返す。
「24で学生ではありません。飛び級でDoctorも取りました。」
 周囲の冷めた目付きによる反応とは裏腹に、勇作はピクリとも動じない。それどころか直ちに前座のネゴシエーターに席を譲れと言う。
 しかし、前座の彼は席を譲らない。そして、
「犯人、馬鹿なことはやめるんだぁ、早く人質を解放しなさぁーい!」
と何度も叫ぶ。
 その時、倉庫2階の窓の隙間から何かが投げつけられた。一旦後ろに下がった機動隊は、「ボトッ」という音の後、落とされたものを見に戻り、それを拾って山中に見せに来た。鳩の解剖、とりわけ内蔵、恐らく胃や腸を綺麗に分断したものだった。
それを見た前座のネゴシエーターは、ワゴン車を下り、吐いた。自主的に退散されたところを勇作が座る。
……………
 「こんにちは。僕は輝咲勇作です。貴方のお名前は?」
 勇作が発した短い自己紹介で、柔らかな雰囲気になる。それはまるで学校の先生が初登校の子供たちに自己紹介をした様な感じ。誰もが勇作の方を見た。
 「ん?輝咲君?おいら、大山シュンだ。」
 犯人がはじめて日本語を話した。日本人が日本語を話すという当然のことではある。しかし、大山氏は言葉を発することができない存在と誰もが思い込んでいたから、ハッとした雰囲気が漂う。それまで勇作を見下していた雰囲気は、この一言でかき消された。
 勇作は、人々が大山氏に対して持つ「人ではないから話ようがない、交渉は無理だ」という感情が作ったワゴン内に漂う雰囲気に飲み込まれない。
 威風堂々たる振る舞いながら、勇作が醸し出す雰囲気は春の日差しのように柔らかく、山中は先程まで怒っていた相手に対し、「これがネゴシエーターの仕事か。」と僅かながら敬意を持ってしまっていた。
 「大山君、僕とお話ししてよ。大山君は解剖が上手なんだね。はじめての解剖は、どんな生き物?」
 勇作は子供をあやすように、話す。

 「うーん、うーん、蛙!トンボ!バッタ!草むらにいた。ネズミ、ハムスター、ニワトリ。お兄さん、何?邪魔しないで。」
 大山氏は、回答こそするが会話が苦手らしい。勇作には好感触がなかった。しかし、解剖の話には答えてくれることは分かった。
 「僕は邪魔しないよ。大山君と話したいよ。大山は忙しいの?」
 大人が子供に話を聞くとき、膝を屈めるが、そんな雰囲気で話す。
 「うん、今ねぇ猫ちゃんのお腹切るの。」
 大山氏の音声に人質男性と思われる人の嗚咽が交じる。だから、大山氏が本当に解剖するだろう様子がわかる。しかし、それでも 勇作は、人質の恐怖を、今は受け取らない。ただ一点、犯人大山の心に寄り添う。
……………
 さっきの鳩も今回の猫も動物の解剖だった。何故か?愉快犯ならこれほど様々な動物を解剖したのなら次は人間に向いてもおかしくはないはずだった。
 勇作は、渡された調査票をめくる。しかしそこには、今日起こった出来事の成り行き以外何も記載がない。つまり大山氏の家族構成も社会との繋がりも、何に興味や関心を持ってきたかも分からない。
 記載事項は、本日午前11時頃、20歳くらいの男性を人質にとり、自宅付近にある空倉庫で鳩の解剖をしている模様。巡回に来た警備員の通報で事件が発覚。犯人の男性は、大山シュン25歳、身長160センチほどで、筋肉質の男性。だけだった。

 調査結果のない調査票を、勇作は隅に置いた。それを拾った山中は、目を通したたが記載について何の違和感も持たなかった。
……………
 勇作は大山氏には、計画性も突発性もないように感じた。計画するならこのような人目が多い昼間に倉庫2階に来ないだろうし、突発的犯行であれば人間に刃を向けていてもおかしくない。これまで前科もなさそうで、まだ人を殺めているわけでもないだろうから、シリアルキラーではないと考えた。
 シリアルキラーが相手なら人質解放のため、今すぐにでも突撃が必要だったから、交渉する時間はあると考えた。

 ではなぜ解剖をするのか。調査票が使えない以上、本人に聞くしかなかった。

 「何で猫ちゃんのお腹切るの?」
 勇作の声に大山氏の仕草が止まったのが分かる。

 「だってぇ、見たいんだもんねぇー!!」
 大山氏は、迷わずに応えた。勇作には人質に危害を加える口調がないことも気になった。例えば、黙ってろ、人質を殺すぞといった発言は皆無であった。

……………
 勇作は考える。
 愉快犯も含め犯罪者は犯罪を犯しているから異常者で、その心理を理解することは不可能とも思える。
 しかし、勇作の考えは違った。
 例え犯罪者であってもなくても、同じ様な欲を持っている者は世間では山ほどいるが、隠れているだけ。欲を実現するかしないか、実現方法がいかなるものかによって、犯罪者となるか社会に紛れているかが異なる。
 例えば、電車で女性に対し痴漢行為を働けば、見知らぬ人に対する性的行為のため逮捕される可能性は高い。
 しかし、同じクラスの女性に全く同じ痴漢行為を働いても逮捕される可能性は著しく低い。
 この様に同じ行為を行っても、行為の場所やターゲットによって犯罪の成否は異なる。

 世の中には、逮捕されていないだけの犯罪者は大勢混じっていて、触れ合ってきている。これまで出会ってきた人の欲と大山氏の欲に重複する点はないだろうか。
 大山氏の「見たい」は、見えないものを見たい欲に基づくものではないだろうか?それは、これまで勇作自身が出会ってきた、他人の携帯を勝手に見る同級生や、人の机の引き出しを好奇心で勝手に開ける上司や恋人のように。

 勇作は仮説を立てた。
 大山氏は、見えないものを見たい欲を、実行している。それは見えないから気になって仕方ないため。なぜ内臓を見たいかの理由は、今のところわからない。
……………
 仮説に従い、次はなぜ動物の体の中が見たいかを知る必要があった。
 「そうだよね。見てみたいよね。何となくわかるなぁ。大山君は、始めて『見たい』と思ったのは何?生き物じゃなくてもいいよ。」

 勇作は友達の様に好奇心を持っているような声を上げた。大山のテンションが少し上がる。

 「あのね、僕ね、中1の時、欄(らん)ちゃんのカバンの中見たの。その後ね、逃げられちゃったから、トイレの中も見たし、スカートの中も見たの。
見えないと見たくなるの、お兄さんも一緒でしょ?分かるよね。」
 大山氏は箱の中にいる猫を左腕の下に置き、右手に持った刃物で地面を傷つけながら答えた。
 相変わらず人質の嗚咽が聞こえる。

 勇作は、大山氏が猫に気を配っているように感じた。仮にそうならば、人質はなんのためだったのだろうか。そこは聞かずに探ることにした。
……………
 「そんなことがあったんだね、欄ちゃん、逃げちゃうなんて酷いよなぁ。生き物にはいつから興味を持ったの?」

 勇作は、実際に腕を組みうなずきながら答え、更に疑問を呈した。

 「欄ちゃんのせいで学校の先生にも怒られるし、警察も来たの。だから、生き物にした。」

 大山氏は段々口達者になっていく。奇声を発していた当初の様子とは全く異なる状態で、ワゴン車内の者たちは、勇作の交渉に夢中になっていた。無論、山中も勇作に目が話せなくなっていた。
……………
 ここで要求を出したいとも勇作は思った。しかし、何か違った。雰囲気が勇作を呼んでいないのだ。だから会話を進めることにした。

 「さっきの鳩の切り方も上手だったよね。どうやって勉強したの?」

 勇作は、まるで友人同士の会話みたいに話をする。

 「お兄さんもそう思う?嬉しいなぁ?子供の時、型抜きで練習したよ、きれいにやらなきゃ、可愛そうだから。」
 大山氏の会話口からは床を引っ掻くような音が聞こえる。一体、なんの音か。猫が床を引っ掻くにしては強すぎる音だった。
 勇作は音響担当のメガネ坊主に目配せするが、メガネ坊主からはなんの反応もない。だから、大山氏に聞くしかなかった。

 「大山君は、僕のために描いてくれているの?」
勇作は、「ナイフ」や「床」と言うキーワードは避けた。

 大山氏は、黙っている。ただ「こっちは」「こうして」「ここから刺す」等との独り言は聞こえた。そこで勇作は体温検知可能な人感センサーを監視している50歳くらいのツインテール女性に目配せした。彼女は、
 「犯人は屈んでいる。猫を抑えてる。」
とだけ言った。

 やはり床に何かを描いている、そしてそれに夢中になっている。と勇作は思ったから山中のマイクを取った。山中は不意を付かれ、声は上げず目を大きく見開いた。

 「機動隊、静かに犯人に近寄れ。」

 と勇作が言った。

 そこに大山氏が、
 「これ見てよ、こうやって切り取るの。」
 勇作に言ったのか、人質に言ったのか分からない。しかし人質は泣きじゃくる。そのため、大山氏は激昂する。

 「なんで見ないんだよ!!!次はあんただから寝そべれよ!早くしろ。」 

 それでも人質は動かない。だから、大山氏が立ち上がった。その様は人感センサーからよくわかる。ここで突撃しても間に合わない。
 勇作は、 
 「大山君、僕にも見せてよ。」
 と静かで穏やかな柔らかい声を出した。まるで暖かな春の日の様な空気が流れた。
 マイク越しに勇作の声の柔らかさを感じた大山氏は、殺意を自ら抑え込むように、腰からほっと座った。

 「誰も分かってくれないの。」
 猫の「ぎゃー」と言う鳴き声がした。それはブズっと言う音と同時だったからどこかを刺されたのだろう。大山氏は、人質の代わりに猫を殺したのだろう。
…………………
 勇作はここでようやく気づいた。
 大山氏は引き換えに欲しい物がない、つまり、交渉で何かを手にすることを求めているのではない。だから、
 「大山君は、どうしてお家じゃなく倉庫なの?」
と聞いた。
 「この人がいっつも僕を見ていたから、僕の切ったやつ見せたかったぁなのに、だからここに呼んであげたのに、泣くの!!」
 大山氏は怒りの感情に溢れていた。しかし勇作は大山氏が欲しいものに気づいた。友達が欲しかったのだ。つまり、理解してくれる誰かが欲しかったのだろう。

 そこが正解なら、勇作は、大山氏の怒りや攻撃を僅かな時間ではあるが抑え込むことができる。
 「大山君、僕と友達になってよ、もっと話を聞きたいんだ。」
 勇作の言葉の後、少し淀んだ空気が流れた。それは、「迷い」独特の雰囲気だった。
 勇作を信用したいのが望みだか、信用してはいけないと思考が止めている状態。「迷い」があると人は暫し立ち止まる。隙ができる好機だった。尽かさず勇作は、山中のマイクを取った。山中は、勇作の交渉に入る隙がなかったから怒りようもなかった。しかし、名目を保つために勇作を睨んだ。意に返さない勇作は、大山氏に出来た隙に入り込み、
 「突撃」
 と言った。その声と同時に、付近で待機していた機動隊が一斉に入り、大山氏を取り囲んだ。人質を捕えていなかった大山氏は自己防衛が出来なかった。ものの数秒の出来事だった。
 「犯人確保」
の声で座っていた大山氏は引っ張り上げられた。

「11時22分、大山シュンを監禁罪の現行犯で逮捕する。」
………………
 安心し、喜びのため息をついた機動隊一行を他所に、ワゴン車内には険悪な空気が流れる。もちろんそれは勇作にむけられたものだった。22分間、感情を抑えている演技をせざるを得なかった山中が、はたと我に返り、怒る場面だと気づいた。だから、ワゴン車を降りようとした勇作を引っ張る。

 「人質がいるんだぞ!勝手な行動はするな!!!」
 山中の物凄い剣幕での怒鳴り声に一同、身震いした。
 「申し訳ございません。直ちに始末書を書きます。」
 棒読みした勇作は、前進しようとしたが、まだ掴まれているから動けない。キョトンとた表情で首をかしげた。
 山中は勇作の巧みな話術が気になった。一体どういうスペックを持ち合わせているのか。しかしそれよりも今は、怒らなければならない。だから、
 「人質がいるんだぞ、お前は、怖くないのか?」
と勇作の目に図太い視線を送った。

 勇作は、
 「怖くないのですか?人質がいるんですよ。」
 と返した。

 勇作の交渉は上手く行っていないかもしれない、仮に勇作の交渉が上手く行っていたとしても機動隊の動き次第で失敗し、人質の命が危ないから「怖い」という山中と、

 交渉が上手くいき犯人の心を掴んだところで突撃しないと人質の命が危ない。仮に機動隊の突撃が右往左往しても犯人の心を掴んだ以上、犯人は殺意を失っているから多少の失敗は見逃してもらえる。そうすると今しかチャンスがないと考える勇作、

 山中と勇作の2人の正義がぶつかった。





暫しの沈黙。
……………………
 山中は勇作が怖くない理由が高慢さから来ていると思い込んでいた。ネゴシエーターの勇作にとって、山中の心を感じることは簡単で、同じ概念がなく意思疎通しようがない人間と話す必要はないと思った。だから、
 「全て僕のおこがましい態度が原因なので、失礼します。」
 と言い駆け足で退場しようとした。
 山中はいつの間にか手を離していた。横にいた勇作を抜擢した山中の部下、蓮見龍(はすみ りゅう)に、勇作の差し押さえを要求し、山中はワゴン車内を振り返る。

 「皆、ご苦労だった。私の指示に適切に従ってくれてありがとう。解散。」
 と言ったあとに一目散に勇作を追う。

 「調査票の何がいけなかったのか?」
 追っ手まで来た山中の言葉に勇作は、しつこい、伝えるのって面倒だなぁと思ったが、あまりにも高貴な方からのお言葉だったから、少し真剣に話すことにした。
 「僕は事件の概要ではなく、犯人のこれまでの言動や出来事だけが必要です。酷い人とか、他人の評価は要らないので、いつ誰に何をしたか、といった出来事を交渉の基礎にしたい。それがなかったからです。」
 勇作はお辞儀した後、前進しようとしたが、蓮見に止められる。
 山中の質問はまだ続く。

 「犯人の要求は何だったんだ?」
 山中の目が勇作を逃してはくれなさそうだったから、勇作は答えることにした。

 「共感、友達といったところです。」
 勇作は深入りせず簡単に答えた。
 「友達?そんなことあるか!!」
 勇作はこれには即答する。
 「大山氏は、愉快犯との定義には当てはまらなかったんです。

 奥さんが、旦那さんが子育ての大変さを分かってくれない。
 彼氏が彼女に自分の仕事のストレスをわかって欲しい。
 子供がパパママに自分の絵の才能を認めて欲しい。

 『わかって欲しい、同じ気持ちになって欲しい』の行き着く先は、『分かってくれないなら嫌がらせをしてやる。悪口、無視は上等。懲らしめてやる。』となる人もいる。こうしてモラハラに奔る人は捕まっていないだけの犯罪者で、大山氏もその一人だったんです。」

 勇作がそこまで話すと山中は話を取った。

 「犯人は、動物の解剖能力を分かって欲しかったのか?」
 山中は、勇作に愉快犯ではなかったことへの怒りの思いも込めて聞いた。

 「はい、だから僕は大山氏の理解者になりました。友達になりました。」

 山中は、勇作が話すことを頭では理解するが、心では「とんでもない、そんなことあるものか。」と否定した。山中の概念には、異常者と常識人の区別ができており、常識人にみせた異常者がいるとの考えはあり得なかったのである。異常者はそもそも常識人と異なる人格の生き物でなければならなかった。だから友達が欲しいや、共感を求める感情を持つ生き物であってはならなかったのである。

 しかし勇作の概念は、常識人の中に異常者が沢山混じっている。ここで言う異常者とは、欲を満たせないとき何かに危害を加えるという意味。逮捕されていなければ常識人というのではなかった。そして大山氏も見えないから見たいとの欲や解剖能力の欲を満たすため危害を加える異常者というものだった。

 異常者には常識人にはない人格があるという山中の概念と、人の欲の一部が発動したという勇作の概念は平行線を辿った。
………………………






………………………
 山中は勇作を見つめて立ち竦んでいた。いつの間にか勇作は踵を返し帰路についていた。勇作の残像を見ながら蓮見に、
 「あいつは?」
 と聞く。

 「2025年に警視庁に設置された交渉部、ネゴシエーターの生え抜きの一期生、輝咲勇作です。」
と答えた。

 山中は勇作と引き合ってしまった。
…………………
翌朝

 あちこちから鳴り響く目覚まし時計で勇作は目を覚ます。
 そして、いつものように警視庁交渉部に向かう。
しかし、開けたドアの先には、勇作の机も椅子も何もなかった。勇作は白い紙を渡された。
「辞令書 輝咲勇作」

(ネゴシエーター〜学内トラブル交渉人 第4話 犯人の要求は何?交渉人 輝咲勇作の始まり 了)

こちらのマガジンに全編まとめていますのでお読みいただけると嬉しいです。


とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)