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あの頃は先生が子供を連れて教壇にいた〜今は平日が抜け落ちて土日だけ生きている

担任の男の先生は、保育園が休校の日には息子を連れて教壇に立っていた。そういう日は大体において図工の時間があって、絵の得意な先生とその息子も混じって絵を描く。1クラスしかない田舎で絵の具セットの購入義務もなかったから、みんなお皿を持参して先生の絵の具を一色ずつもらった。違う色が欲しくなったら、お友達からもらう。
障がいのある子供の教室「こだま室」にも生徒を呼びに行った。
今考えると個展まで開いていた先生だから、自前の絵の具を生徒達にあげて、みんなで好きなものを自由に描かせていたんじゃないかと思う。

先生の息子は私達より2学年下で、同じ保育園だった子にとっては弟みたいな感じ。人気者だった。
楽しいから毎日があっと言う間だった。
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7歳、1年生の冬、マンモス学校に転校した。

担任の女の先生は、息子を学校に連れて来ることはなかった。図工の時間は、線を引いてから中に色を付ける義務があった。自分の絵の具セットを使うからお友達とも話さない。凄く静かだった。
人生初の給食は、食べる順番が決まっていて、それを間違えた私は大好物の冷凍みかんを没収されたのを覚えている。
コ○ナじゃないのに黙食。先生の規則を破れば、「小げんこつ」をされた。それが続くと「大げんこつ」になった。帰りの会ではげんこつをされるために並ぶ。今思うと恐ろしい。

怖いから、自分を隠す。人生から平日が抜け落ちて土日だけで生きていた。
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今に戻る。
年末になると、今年も早かったと思う。残ったものは何だったのだろう。
平日が抜け落ちて、土日だけで生きているからまるで1年は65日くらいしかない感じ。
それだと早いよね。

出社勤務が戻ってきて、平日がなく土日だけで生きているこの感覚。それは小学生の時と似ているなぁ。同じように時があっという間にすぎるとしても「楽しいから」か、「義務に覆われているから」かで、心に残る思いは違う。
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転校先の学校は「こだま室」がなくて、同じクラスにいた障がいを持っていた子が「呪い」と呼ばれていたなぁ。その時、初めて「いじめ」という言葉を知った。

そうなるよね。上から押し付けられた圧を、違う誰かに転嫁してないとやってられない生徒もいたのだろう。

私は先生が学校に子供を連れてきてもいいと思うし、受ける能力のある授業だけみんなと参加するシステムでも良いと思う。
本当に規制すべきはそこじゃない。同級生を「呪い」と呼ぶこと、「げんこつ」で支配する心。

同じように土日しか生きていないと感じるのだから、今いるところは転校先に似ているのかなぁ。部長はまるで、げんこつ親父であり、他の人を「呪い」と呼ぶ心で生きている。
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今年は、どんな1年でしたか?
誰もが心の自由を手に入れ伸び伸びと能力を発揮していますように。
そして沢山の人が「この一年、楽しくてあっという間に過ぎた」と感じますように✨

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皆様✨今日はご閲覧いただきありがとうございます。

私はnoteに尊敬するクリエイター様がいます。その方が恐らくnoteの継続に悩まれていて、とても悲しくなりました。いつの間にか、noteを読むことが大切な時間になっていました。

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