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民族や国家を超越する対話のはじまりに、アートは存在している

またも快晴だ。

長逗留しているゲストハウスで同室のアジア人の男の子たちと、毎朝晩に顔を合わせるので、なんとなく親近感が出てきた。韓国のアート学生の男の子に、どうやって欧州のアート情報を得るのか尋ねてみたら、「皆きっとSNSでつながっている友人や知人から情報を得ているんだと思う」と教えてくれ、なるほどなぁとひとりごちた。

前日までにほとんどのドクメンタ会場をまわってしまったので、市街地からは少し距離のあるWilhelmshoeheでの映像展示を観に出かけることにした。トラムに乗って、20分弱だ。可愛いらしい駅舎の終着駅で降りて、緑に囲まれながら少し歩くと城が見えてくる。

お城の中はいま美術館になっているそうで、レンブラントの絵画が鑑賞できるのだとか。ドクメンタの映像展示は城の隣に建っている小さなホールで行われていた。

手前のグレーのクッションに、観客は思い思いにダーイブ! して、寝っころがりながら映像を鑑賞する。2時間超の大作であった。前半はフィクション、後半はドキュメンタリーになっていて、戦争と経済危機を経験してきたギリシャの人々の内面を浮き上がらせていた。

映像を見終えた後、城の前庭になっている芝生で昼寝をした。芝生にごろんとするのがすっかりくせになってしまい、いい芝生を見つけるとすぐに寝っ転がるようになってしまったのだが、この日ばかりは計画的に、ホステルのランドリールームからベッドシーツを拝借してきて、本格的にピクニックを楽しむことに。

脳みそばかりを使っているので、木漏れ日を眺めながらぼんやりできる時間が嬉しい。日本に戻っても芝生でごろんを続けたいけれど、どこかいい公園はないだろうかと、そんなことばかり考えていた。

午後をぼんやり過ごしたあと、夕食のためにツアーに一緒に参加して仲良くなったイングリットと待ち合わせた。彼女が直前まで参加していたシンポジウムで一緒だったというドイツ人の女性とも居合わせたので、3人で一緒に軽く食事をすることに。食事の時間は本当に楽しかった。

ベルリン在住のドイツ人女性アニカは、ベルリンにあるパブリックギャラリーで教育普及を担当しているそう。アニカは今回のドクメンタ14について、「アテネとカッセルが対話をするよい機会になった」と話してくれた。なぜならば、アニカがアテネにドクメンタを観に出かけた際、タクシーのドライバーにドイツ人であることを告げると、冷たくされたというのだ。それを彼女は、かつてドイツがギリシャを植民地化していたからだと感じたという。ギリシャではドクメンタ反対運動もおこっているそうだ。

実際には何がどうだったのか、私には知る由もないのだが、経済が冷え込むギリシャでは、先の大戦の傷があらわになっているのかもしれない。

私は韓国や中国にも滞在したことがあるが、そこで日本人だからといって冷遇された経験はないし、アニカのように戦争の記憶を思い起こすこともなかった(良し悪しは別として)。しかし、考えてみれば、日本、韓国、中国は、すでに経済的に強固に結びついているのだし、互いが互いを「客」として扱うのは、表面上のコミニケーションとして自然なことでもある。

一方でその経済的な強固な結びつきが解かれた時、戦争の記憶が本当に禍根を残していないかといえば、どうだろうか。

それに、人は困窮すればするほど、トラウマを表面化させてしまうものだと思う。

アニカによれば、この先もアテネとカッセルとの対話が続くかどうかはわからないが、すでに大学同士の連携がアーティスト主導で続けられることが決まっているそうだ。対話で重要なのは、時間を重ねていくこと。せっかく始めたのであれば、なんらかの形で続くのが望ましい。

待ち合わせ時間に雷鳴とともに突然降り出していたスコールも、食事をしている間におさまってきていた。イングリットとは、ちょうど同じタイミングでベルリンに滞在することになっている。また会おうと約束して、レストランを出た。




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