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坂の上の異人館を巡る。【神戸北野町】

新神戸駅を出ると、下り坂予報のジメついた空気を夏と錯覚してしまう風景が広がっていた。

朝の上澄みを残す坂道が静かに続く。私はまだ5歳にもならない子どもで、すぐ近くを祖父が歩いている気がする。

跳ねる心臓を感じながらぐんぐんと坂を上っていくと、風見鶏が見えてくる。赤い館の尖塔から、神戸と港を見守る北野町のシンボルだ。

鮮やかな煉瓦作りの館は美しいが、秘める記憶は悲しい。

通称“風見鶏の館”を建てたドイツ人貿易商のトーマス一家は、第一次世界対戦で敵国となった大日本帝国に館そのものを没収される。

家族は一時帰国していたものの、財産のすべてを日本に残していたため生活は困窮を極め、最終略歴は消息不明(のちに娘のエルゼさんは発見され、数十年の時を経て風見鶏の館との交流が持たれる)。

風見鶏の館前の広場を右手に折れると、もうひとつ美しい館がある。

通称“萌黄の館”。もとは白い壁だったが、昭和から平成にかけての改修工事で萌黄色に姿を変えた。

うぐいす色の洋館を舞台にした恩田陸氏の小説を連想する。幾何学な窓ガラスに囲まれた2階のベランダは光に満ち、その奥には神戸の町並みと港が広がる。

坂を下り、突き当たった車道には3つの異人館が並ぶ。

薔薇咲き誇るイングリッシュガーデンを備える“英国館”。

かのシャーロック・ホームズの世界観を再現した殺人現場や名探偵の部屋を覗いてまわれる。

お隣の“洋館長屋”では、部屋ごとに趣向を変えたアート空間が待ち受ける。

そして一際異彩を放つ“ベンの家”。

もはや一種の不思議博物館で、赤い部屋に剥製が並んでいるかと思えば、壁一面におびただしい蝶が飾られた青い部屋、得体の知れない何かが瓶詰めされた部屋と、モノマニーな空気漂う。

穏やかでも、たしかに進んでいる。

坂を下りたずっと先には海がある。のんびり寄り道を続けたくなる街だ。

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