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ただいま

sumikaの10周年記念ライブに行った。

実は直前までTwitterの下書きに『こんなにライブの日に気分が上がらないのは初めて』と残していた程、心が落ち込んでいた私。病気のこともあって、参戦する楽しみよりも「発作を起こしてしまったらどうしよう」という不安感が勝ってしまっていた。

当日は病院に訪れた為、最寄り駅に到着したのは開場の30分前だった。病院の先生に帰り際、「失敗したときのことを分析してはだめだよ」と声を掛けてもらった。私は病院に行く度に毎回この言葉を掛けられるのだが、毎回その言葉にハッとする。その言葉を掛けてもらうまで、どんな場面でも失敗したときのことを分析しまくっていたことに気付くのだ。ライブの前に病院に訪れたのは正解だった。

ライブが始まる直前まで、人の多さや会場の薄暗さに多少の恐怖を覚えていた。しかしライブが始まってからは、そんな頭の片隅に常に鎮座していた不安を片時も感じないくらいsumikaの暖かさで溢れていた。またしても片岡さんは私と一対一で対話をしてくれた。

普段は洋風な街中を連想させるようなポップな曲で入場するsumikaだが、昨日のライブではクールな入場曲でメンバーが登場し、激しめの曲からライブが始まった。いつもより一段と身体を揺らし、一曲目から既にsumikaの世界観に入り浸っていた。

2曲目でポップなsumikaらしい曲と雰囲気に戻った途端に私の中に存在していた苦しい感情の全てが涙となって流れ落ちた。私はこのsumikaの暖かさに救われたかったのだと、その時やっと実感した。sumikaの楽曲に抱擁されているような、そんな気分だった。

sumikaの曲は心なしか、前向きな表現が多いように思う。

やめない やめないんだよ まだ
足が進みたがってる
sumika『雨天決行』より
晴れのち雨になってもゆく
悪足掻き尽くすまで
sumika『祝祭』より


こんな背中を押してくれるような歌詞が、時折酷く苦しく感じる時がある。私だってもう十分頑張っているのに、止まってしまった足を背中を押してまでも無理に歩ませるつもりなのか、と歯向かってしまうような気分になる時もあった。

私の中でその気持ちが払拭できたのは、片岡さんのエッセイを読んでからだと思う。彼もまた精神的な病を経験している。希死念慮に襲われることもしばしあったそうだ。彼はその辛さを経験し、苦しい気持ちを十分に理解している。そして今は克服し、音楽を続けている。私はその背景を知ったからこそ、先述した歌詞のように聴衆の背中を押すことができるようになるくらい、身体的にも精神的にも復活することができるのではないかという希望を抱くことが出来た。

エッセイの中でもうひとつ、忘れられない文章がある。

一万人の観衆を前にしても、1対1×1万だと思ってステージに上がる。
片岡健太『凡者の合奏』より

片岡さんが常に一対一で対話をしてくれるから、常に一対一で愛を伝えてくれるから、私はその言葉に心底救われている。ライブ中に言葉にする「長生きしてね」の言葉も決して大袈裟ではない。実際に本当に生き永らえようと思ってライブに訪れる人はたくさんいる。sumikaが回復薬になっている人が必ずしもいる。私がそのひとりだ。

私は既にsumikaから十分すぎるほどの愛を受け取り、曲も人柄も何もかも愛すことのできるバンドだと思っている。でも彼らの足はきっと止まらない。これからもきっと理想のバンド像に近づくべく、進み続ける。彼らが私たちの応援や愛によって邁進することができるのなら、私は私なりの愛を伝え続けたい。

何回でもこの住処に帰ってきたい。
sumika、大好きです。

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