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    私の趣味のひとつ

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日常

仕事に行くのに桜を一目見ただけで、気が付いたら次見る頃には葉桜になっていました。それだけ今の私はいろんなことに対して視野が狭くて、その分きっと何かひとつを吸収しようと一生懸命なのだと思います。 最近はなんとか仕事場の雰囲気にも慣れてきて、自分がすべきことをようやく把握し始めて、せっせと体だけは動かしている所存です。自信の無さが露呈しているのか、幾度か宜しくないお客様と会話をすることもあります。一歩進んでは二歩下がるような日々で、自分の不甲斐なさを実感して情けない気持ちになる

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      大学生の間に撮り溜めたフィルムを。 思い出と共に

      • 桜が咲く頃は

        昨日、晴れて社会人になった24卒です。 晴れて、という明るい言葉を纏いましたが、入社式でやっと社会人としての実感を芽生えさせた私は漠然とした不安を抱いていて、この感情のおかげで今年も春が訪れたことを実感させてくれます。 オンライン研修は、大学一年生のコロナ禍中での授業を彷彿とさせます。音声は流れているものの、何時間も何時間も無機質の前に座っているのは、人とコミュニケーションをとることが好きな私にとって苦痛で仕方がありません。 みんな同じ気持ちで日々を過ごしているのに、ど

        • おもひで

          10月から撮り溜めたフィルムをやっと現像に出しました。初めてIOS200のフィルムで撮ったので、光が上手く入り切らなかったものばかりだけれど、それもまた味があって愛おしい。 もう一個、現像していないフィルムがあるので、学生というレッテルが残っている間に現像したいなあ、と思っております。

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        記事

          卒業

          先日、大学を卒業しました。 大学を卒業したということは、長かった学生生活に終わりを告げる、ということでもあります。 人見知りのせいでいつも春が憂鬱でした。 沢山の願望や希望を抱えて始まった大学生活は、新型コロナウイルスの脅威に侵されて、私のワクワクやドキドキは全てそれらに打ち砕かれました。大学2年生の初めまで、人気の少ない階の隅っこで1人お弁当を食べて、ああ、私はこんなに高いお金を払ってせっせと単位だけを取得しに来ているのかと絶望したこともありました。 でも今じゃそんな

          三月

          3月になりましたね、 少し車を走らせると、桃の木が綺麗なピンク色に染っていて、視覚から季節の移り変わりを実感する今日この頃です。 私は来月から社会人とやらになるらしいです。みんなが言っているような不安や焦りは不思議と無くて、なんだか漠然とわくわくとした感情を抱えています。毎年春が来ると言うだけで鬱々としていたいたのに、環境が変わることに対して素敵な感情を抱きしめていられるのは何故でしょうか。 他人の人生に口出しするべきでない、と最近やっと深く実感して学びを得ました。他人の

          その日

          大学の卒業式を控えて、私は”その日”を生きているという感覚が強くなっている気がする。何になりたいという壮大な夢を持っているわけでも無く、毎日惰性で生きているような気持ちになる。 昼過ぎに起きて、ネットフリックスやYouTubeを見てひたすらベッドの上でだらだらして、アルバイトの時間になったら身支度をして向かって、気が付いたら日が沈んていて夜を迎えている。友人や恋人と遊ぶ日も勿論あるし、俯瞰して見ると充実はしているのかもしれないけれど、それとは裏腹に何もこなすことが出来ていな

          その日

          紡ぐ

          遅ればせながら、編み物にはまっております。 マイリストにだけせっせと登録していたアニメを垂れ流しながら、編み物に何時間も熱中しております。ただひたすら無心で毛糸を紡ぎ、成果物を生み出す日々を過ごしております。二週間程前の私は、今まで日々を捧げてきた趣味の数々をほったらかしにして、己の精神を害するコンテンツに時間を浪費し、無意識に”虚しさ”を生み出してしまっておりました。編み物という新しい趣味が私の生活に仲間入りしてくれてから、どうしてもっと積極的に編み物と接してこなかったの

          モチモチ

          人間って不思議なもので、愉快に思ったことより、不快に思ったことの方が心や脳に鎮座しやすいらしく、この頃の私もそんな不思議な現象に頭を抱えているのですが、そんな時に過去の日記を見たり、私が愉快な気持ちを抱いている時に記していたnoteを眺めたりして負の感情を払拭するなどしています。 前回のnoteにも記したのですが、私は本当に人のことを信用しやすい、相手に対して期待しすぎてしまう傾向にあります。心の何処かできっと見返りも求めてしまっている。相手に期待をしないこと、相手のことを

          モチモチ

          型抜

          冬の夜が好き。冷たくて澄んだ空気は、外が暗闇に包まれることを億劫だと感じさせてくれない。冷たい空気の中吸う煙草が好き。夜は好きな人の声が聞ける。 日が沈んでいくのが憂鬱だと感じる時期があった。朝が来るとお日様の暖かさに安堵し、時間が経つにつれて西に傾いて行くお日様に寂しさを覚えた。虚しさばかりの夜は私の希死念慮を助長させ、毎日毎日死にたいと考えた。どうしたらこの気持ちが私の脳内から消え去ってくれるのかを考えることにエネルギーを消費して、正気を保つために絶望から這い上がったひ

          二十二歳

          年が明けてからもう2週間も経ってしまった。 年末年始はお金が無い中、なんだかんだ予定を詰めまくっていて、それとのギャップにやられてなのか、年が明けてからあまり心の健康が宜しくないことだけは感じている。 私はカウントダウンジャパンの音楽フェスで年を明けた。自分の選択で普段とは違う非日常的な空間で年明けをするという経験をしたのだけれど、私はあの年末年始特有の、世間が強制的にいつも通りに過ごさせてはくれない雰囲気が少し苦手だと思ってしまった。早くアルバイトも学校も元通りになって

          二十二歳

          包む

          2023年の終わりに手元にあった写ルンですを現像しに行ったら、5月からずーっと保管していたものだった。5月は私の中の負の感情が大きく取り除かれて、前を向くきっかけになった月。写真を見返してそれなりに思い入れのある写真たちだったので記録しておく。 終わり。

          二〇二三年

          明日から新しい年が始まろうとしているわけなのだけれど、それに伴って当然今年を振り返ってみたり、来年の抱負を考えてみたりという作業も行われていくわけで。そんな作業をしている最中(さなか)、今年頑張ったことも来年心に刻みたいこともどちらも似たようなことだった。私は同じようなことをこのnoteというコンテンツにも、他のSNSにもずーっと書き込み続けているな、と思った。 それは、新しい環境に身を置きたくないとか、変化を好まないとか、自分と異なる価値観に触れることを避けたいとかそうい

          二〇二三年

          半年

          彼と付き合って半年が経った。 初めは私たちが別れるとしたらどんな理由で別れるのだろうか、とか、何に対しても不安を抱いている私が愛想を尽かされてそのうち別れを告げられるのではないかという無駄を極めた考えを脳裏に潜めるなどした。そんなこととは裏腹に、彼に会えることを楽しみに日々をなぞっていたら、いつの間にか半年が経っていた。 一カ月記念の時は、それまでの日々が過ぎ去るのが酷く遅く感じて、多くの数字を重ねているカップルに敬意の念を抱いていた。冒頭につらつらと記した不安は”体感で

          空白

          ただでさえも幸福を噛み締められる一年を過ごしたというのに、年の瀬を迎えて更なる幸を包み込むような日々を過ごしている。 目を覚まして、部屋中に特別な日の朝の光が差し込んでいることを自覚して、慌ててクリスマスツリーの下に向かうような、そんな童心も環境もいつしかなくなっていて、日が昇ったことを自覚したとて、自分の体温でやっとあたたまった布団の中で小さな画面を覗き込むような、そんな歳になってしまった。 12月の日記も自分の身の回りに起こる事実を羅列している。幸せと共に生きている。

          師走

          私の学生生活も残り約3カ月。 2023年も遂に師走を迎えてしまった。 今は日記に事実だけを羅列できるような、そんな日々を過ごしている。未来への不安は不思議と一ミリも抱いておらず、楽観的な自分を創出出来るようになった。 2023年の目まぐるしい日々を乗り越えた私が師走を迎えて、今年を振り返るという作業をしてみたくなったので、今年の頭から私の身の回りに起こった出来事とやらを記してみることにした。真っ白なページを満遍なく使いながら、三日間かけて12ページという超大作を完成させた