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日常


仕事に行くのに桜を一目見ただけで、気が付いたら次見る頃には葉桜になっていました。それだけ今の私はいろんなことに対して視野が狭くて、その分きっと何かひとつを吸収しようと一生懸命なのだと思います。

最近はなんとか仕事場の雰囲気にも慣れてきて、自分がすべきことをようやく把握し始めて、せっせと体だけは動かしている所存です。自信の無さが露呈しているのか、幾度か宜しくないお客様と会話をすることもあります。一歩進んでは二歩下がるような日々で、自分の不甲斐なさを実感して情けない気持ちになる。

友人のSNSの更新がぱったり無くなった、とか、大学の友人となかなか予定が合わなくなった、とか日常に潜む何気ないことから社会人になったことを実感する。苦しくなるのは、まだ学生気分とやらを引き摺っているからでしょうか。

もう何かのコンテンツに救いを求めることはなく、人との繋がりを強く欲している。

学生時代の友人は、卒業してから連絡を疎かにしていると疎遠になる、と何かのSNSで拝見して、いとも簡単に千切れてしまいそうな細い細い糸にしがみつくような行為をしている。それだけは大事に守っていきたいと思っているから。

私は変わらず不健康な日々を送っている。朝も特別早いわけじゃないし、口にするものは冷食かコンビニ弁当。環境の変化によるストレスで肺も汚し続けている。好きなものも変わっていないし、お金を使う箇所も全く変化していない。

それなのに、”春”のせいで何もかもが変わったような気がするのは何故だろうね。春は桜が見られるから好き。でもときめきは無い。日常に存在しない何かを求めている。常に、

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