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いい人を演じるよりも、もっと大切なこととは

ずっと
自分の意見が言えなかった。

いつも相手に合わせて、
ニコニコ相槌をうつ。
とにかくその場の雰囲気が壊れないように。

相手の言葉に
「ん。。。?」と一瞬思っても、
その時はなんとも思っていなくて。 


でもふと一人になった時に、
あとからあとから
怒りの感情が沸々と湧いてきて、


「あの言い方何っ!!」と、
お腹の底ではそんな風に
相手に怒りを向けていた。

でもその感情は、
相手を前にすると引っ込んで、
いつもの建前のニコニコした私へ。

裏と表の二つの顔を持った
そんな自分が心底嫌いだった…


人から嫌われる恐怖心が
自分の中に蔓延っていたのだなと
今でこそ俯瞰してみることができる。

嫌われる=居場所がなくなる

人に嫌われないように
いい人仮面でいることが、

私にとっては
社会を生きていく上での処世術というか、
防衛反応だったのかもしれない。

そんな風に
自分を守ろうとしていたのだろう。

木を見上げては、その懐の深さに感動する


でもそれは違う。


「自分の意見を伝えてこそ、
本当の意味で自分のことを大切にできる」 


もがきながらも、
今はそんな答えが自分の中にはある。

私は不快です
それは私は嫌です
私はこう感じています

そう伝えていくことは、
相手に対しての誠意というか、
一種の愛情にも似たものかもしれない。


と同時に、

大事にしたい自分のスペースを
守ることでもあるし、
個人個人の違いを、
互いに尊重することにもつながる。

愛の対局は
嫌いという感情ではなく、無関心。
いつだったか、そう教えてくれた人がいた。

ぶつけてこそ、見えてくる景色がある。


とは言っても、
自分の思いを伝えていくということは、
簡単ではないかもしれない。


私も、この1年ほどかけて
少しずつ言えるようになってきた。


相手が悲しんだら?
自分が傷付いたら?…

今でもそんな風に
私自身も、毎日悩んだり
迷ったりしている。

ただはっきりと分かるのは、
嫌われないようにいい人らしき
仮面を被っていた時の自分よりも、


相手にきちんと伝えようと
努力している今の自分の方が、
何倍も
好きだということ。

丁寧に、諦めず続けていくことで、

それはきっと自分のことも、はたまた
本当に大事にしたい人たちのことも、
大切にすることへとつなっがっていくのではないだろうか。

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