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ジェイン・オースティン『高慢と偏見』 外国語を日本語に翻訳するということ

こちらの記事に刺激されて。

「外国語を日本語に翻訳するということ」などという御大層なタイトルを付けたものの、翻訳のなんたるかを私が理解しているわけではない。

ジェイン・オースティンやブロンテ姉妹のような古典的作品は、様々な方が翻訳を手がけられている。例えば、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』であれば、既に次のような訳がある。

以前『高慢と偏見』を読んだ際に、読む前に訳を比較してみたことがある。と言っても、上記作品を全てを比較したわけではない。全訳を確認するというのはなかなか大変で難しい。比較したのは4つ。4つの作品冒頭訳を列挙してみる。

(1)『高慢と偏見』小尾芙佐訳

独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だというのが、おしなべて世間の認める真実である。

「ねえねえ、旦那さま」とある日のこと、ミスタ・ベネットに奥方が話しかけた。「ネザーフィールド屋敷にとうとう借り手がついたって、お聞きになりまして?」

(2)『高慢と偏見』中野康司訳

金持ちの独身男性はみんな花嫁募集中にちがいない。これは世間一般に認められた真実である。

「あなた、聞きました? ネザーフィールド屋敷にとうとう借り手がついたんですって」ある日、ベネット夫人が夫に言った。

(3)『自負と偏見』小山太一訳

世の中の誰もが認める真理のひとつに、このようなものがある。たっぷり財産のある独身の男性なら、結婚相手が必要に違いないというのだ。

「ねえ、あなた」ある日、ミセス・ベネットが夫に言った。「お聞きになった? ネザーフィールド・パークにやっと借り手がついたのよ」

(4)『高慢と偏見』阿部知二訳

独身の男性で財産にもめぐまれているというのであれば、どうしても妻がなければならぬ、というのは、世のすべてがみとめる真理である。

「まあ、あなた」とある日ベネット夫人が夫にいった。
「ネザーフィールド荘園にとうとう借り手がついたってこと、お聞きになって?」

どれも一見似たような印象だが、私が選択した理由は次の3点。

一つはベネット夫人のセリフ。
私はどうも「さま」があまり好きでなくて「旦那さま」という呼びかけは遠慮した((1)『高慢と偏見』小尾芙佐訳)。

もう一つは「ベネット夫人」の呼び方。「ミセス・ベネット」という表現と「ベネット夫人」という表現の二種類がある。古くさい人間だからだろうか。「ベネット夫人」という表現の方に落ち着きを感じる。ベネット夫人自身が落ち着きのある方かどうかはわからないが、この時代の方には総じておっとりとした印象があり、「ベネット夫人」と呼びかける方が雰囲気が合っているように感じた。なので、「ミセス・ベネット」も選択肢から排除した((3)『自負と偏見』小山太一訳)。

そこまでで、中野康司訳と阿部知二訳の二つが残る。
「聞きました?」((2)『高慢と偏見』中野康司訳)より、「お聞きになって?」((4)『高慢と偏見』阿部知二訳)が好みかな。

という理由で阿部知二訳を読んだ。
そうやって訳を選んだからかどうかはわからないが、いやいや実に素晴らしい読書だった。「読みながらキュンキュンした」と読書メモにあるんだが、どこにどうキュンキュンしたのかは既に記憶にない。


そもそも、原文はどうなっているんだろう。
原作は1817年なので既に著作権も切れていて、こちらで読むことができる。

そして冒頭はこんな感じ。

It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune must be in want of a wife.

"My dear Mr. Bennet," said his lady to him one day, "have you heard that Netherfield Park is let at last?"

驚いたことに夫に対して
「My dear Mr. Bennet」
などと呼びかけるわけだ。
これを翻訳家氏は
「ねえねえ、旦那さま」とか
「ねえ、あなた」とか
「まあ、あなた」とか
そういう風に訳される。
なかなか大変だなぁと感嘆する。

では、最近流行りのAIに訳してもらうとどうなるのか。
「Copilot」だとこうなる。

この文は、ジェーン・オースティンの小説「高慢と偏見」の冒頭です。

日本語に翻訳すると、以下のようになります。

「世間では、財産を持つ独身男性は、必ず妻を欲しがっているものだということが、よく知られている。

『ベネットさん、』と奥さんがある日言った、『ネザーフィールド・パークがやっと借り手が見つかったって、聞いた?』」

そうか。
君はこの文章がオースティンの『高慢と偏見』の冒頭であると気付いたのか。なかなかやるじゃあないか。

でも、日本語翻訳文の最初の一文は「、」が多いような気がするし、さらには夫に対して『ベネットさん』と呼びかけたりしている。日本語には、一人称、二人称が山ほどあるので是非ともそういったところも学習していただきたいものである。

ネットには「DeepL翻訳」というのもあって、こちらも試してみた。

財産を持つ独身男性には妻が必要であることは、誰もが認める真実である。

「ある日、ベネット夫人が彼に言った。"ネザーフィールド・パークがついに貸し出されたって聞いた?"」

うーん。
なんか、すごいな、DeepL。
"My dear Mr. Bennet,"はスキップしたのか。
それも一案か。

ただ、やはり翻訳家諸氏方の翻訳はすごいと改めて思う。


最後に、私が読んだ訳書には訳者後書きがあって阿部知二氏は次のようなことを書いておられる。

たとえば一つだけ単語の例をとってみても、cry という言葉は、きわめて通例的に、会話のあとにつけられる言葉となっている。それを一々「さけんだ」と訳したのでは、この『高慢と偏見』中の男女は絶えずさけびつづけているという、まったく騒々しいことになってしまうのである。

あらためて先の原文をたどると、すでに冒頭から叫んでいるのである。

​"Do not you want to know who has taken it?" cried his wife impatiently.

「Copilot」が訳すとこうなる。

「誰が借りたのか知りたくないの?」と奥さんはいらだって叫んだ。

なるほど。


訳比較については、次の作品もまた書いてみたかったりする。

シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』
メルビル『白鯨』


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