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【名画をプロップスタイリングしてみる Vol.6】グスタフ・クリムト「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」

今日の1枚はグスタフ・クリムト「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」
オーストリア演劇博物館にあります。


わたしがクリムトの作品で一番好きな作品です。
2019年に上野の東京都美術館で開催された「クリムト展 ウィーンと日本1900」で日本にも来ていましたね。
クリムトと言えば世紀末ウィーンの時代、分離派を代表する画家です。


世紀末とはどういう時代かというと、19世紀末にヨーロッパ全体で、既成概念や道徳なんてつまんねぇと「デカダンス」いわゆる退廃的でお耽美な芸術傾向になった時代のことです。


さて、クリムトについてほぼ全員が蠱惑的でエロティシズム漂う絵を描く画家だなぁとなんとなくゴシップ誌の記者ばりにミーハーな目線で見がちですが、わたしはクリムトの作品を目の前にした時に、「こいつぁただの薄汚れたエロ野郎ではないな…」とコナンばりに違和感に気づいたので、彼のことを知るために当時のオーストリアの歴史や国民性について勉強してみました。


それについてはわたしがクリムト展に行ったときに書いたレビューに詳しく載せているので、こちらをご覧ください。めちゃくちゃ分析してるので、きっと新たなクリムトの1面に気づけるはず…!




では、この絵「ヌーダ・ヴェリタス」とはどういう絵なのでしょうか?

絵の上下に文字が描かれていてポスターや広告のような強いメッセージ性のある新しい絵ですね。


女性が手にしているのは真実の手鏡。鏡はわたしたち鑑賞者にまっすぐ向けられています。


「君の行為と芸術で万人を喜ばすことができないなら、わずかな人を喜ばすことだ。多くの人を喜ばすことははしたないことだ」

詩人シラーによる警句が書かれているのですが、クリムトの作品や分離派の目指していることは大衆に向けてではなく、真の芸術愛好家に向けたものだということを叫んだ作品です。


これを知った時、うぁぁあぁあぁまじでかっこいいし、気持ちわかり過ぎてハゲそう!!!!と大興奮したわたし。

やっぱり作ったものはたくさんの人に愛してもらいたいって思っちゃうし、大衆に向けてつくるってすごく大事なことではあるんだけど、それって説明書きの多すぎるダサい生理用品のパッケージつくるみたいなもんで、品や美しさの欠片もないものは産み出したくなんかないんだ…!と葛藤が日々あるわけです。

そんな心が折れそうな時にわたしはいつもこの絵を見て、「いや、大衆に寄せなくていい、みんなに愛してもらおうとしなくていい、そうじゃない、たった1人の人の心に生涯忘れられないような深く刺さるものをつくるって素晴らしいことだ、それを目指せばいい」って本当にこの絵にめちゃくちゃ助けられているのです。


この絵、等身大ぐらいの大きな作品なのですが、絵の前に立っとき、そこから溢れ出る強い強い力に圧倒されたと同時に、全力で救われた気がしておいおい泣いてしまいました。わたしにとっての宗教画みたいな存在。


熱くなりすぎましたが解説に戻ります(笑)


この絵、もうひとつ「女性の内面の性的欲求と性的抑圧の解放」を表しているとも言われています。

女性の足元に巻き付いているのは黒い不気味な蛇。セックスや嫉妬を暗喩しています。また足元の左右には精子を暗喩した2つのタンポポ。女性の背景には、渦巻く水が描かれています。挑発的なヴィーナスを彷彿させます。

ファムファタル(悪女)を描く画家と言えば、クリムト!と言われるほど唯一無二のスタイルを確立したクリムトですが、まさに大衆に向けてではなく一貫した彼の思想や主義がクリムトたらしめる結果になったわけです。





音楽は歌詞があるのでメッセージがわかりやすいけど、絵にも読み解くとメッセージがあるものもたくさんあります。それを知れた時の驚きや感動、生きる活力にもなりうるアートに、私は魅了されているのだと思いました。


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