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【旅×映画】南米・ペルー編

「マチュピチュまで10km歩いた道のりは完全にあの映画のワンシーンだった」

−まえおき
今年の4月に終えた約200日の世界一周。
わたしはやっぱりヘタレで特に何もできず、ただただ土地を巡る普通の世界一周だったけど、そのベースには映画がありました。
そしてこれから【旅×映画】というマガジンで、そのエリアごとに思い入れのある映画を紹介していこうと思います。

3回目は南米・ペルー!マチュピチュまで10km歩いたあの道の話。

前回はこちら↓





「マチュピチュ」を知らない人は少ないと思う。マチュピチュが存在するペルー・クスコやマチュピチュ村は天空都市と言われていて、あのジブリ作品『天空の城ラピュタ』に似ているともっぱらの噂だ。南米まで来てマチュピチュに行かない人は少ないと思う。


と言いつつも、本当は私はマチュピチュに行くつもりはなかった。ネットのない非日常なキューバを脱した次の国がペルーだったので、ただただのんびりしたかった。というか何よりも、マチュピチュの入場料がめちゃくちゃ高いことを聞いていたので躊躇していた。そしてそれは年々値上がりしている。


そんな私がなぜマチュピチュへ行くことにしたのか。「スタンドバイミーコース」の存在である。

(実際のスタンドバイミーコースのわりと最初の方。この橋はとてもテンションが上がる。)


マチュピチュに行くまではまずクスコという街に行かなければならない。そこはすでに標高3500m近い高地のため空気がうすい。でもみんな必ず通る。ここから最寄りの村・マチュピチュ村まで電車が出ているからだ。


しかし、だ。その電車が驚くほど高い。片道1時間半ほどで90ドル。約1万円。貧乏バックパッカーにその金額は高い。それに加えてマチュピチュの入場料が年々値上がりをしていることを私は知っていた。1回7000円。どう考えても高い。

でも問題やトラブルに必ず突破口があるように、このマチュピチュ料金問題にも突破口はある。それが通称〝スタンドバイミーコース〟。バックパッカーには定番のルートだった。

そのスタンドバイミーコースはマチュピチュの最寄りの街・クスコから水力発電所というところまでバスで行って、そこからマチュピチュにいちばん近いマチュピチュ村まで歩く。その道 約10km。そのコースは先ほど紹介した料金1万円の電車が通る線路の上なのだ。そしてそれは映画『スタンドバイミー』で少年たちが歩いた線路にとても似ている。


そう、今回紹介する映画はあの名作『スタンドバイミー』だ。




この映画を初めて見たのはたしか20歳のときだった。当時所属していた大学のゼミで見た。中だるみする2回生の時期。ちょうど今くらいの夏の季節に、畳の教室でまどろみながら見たゆるい記憶。

正直その当時2回生のときに見たこの映画の記憶はほとんどなかった。もともと映画は好きでよく見るうえに、私の学部の授業は映画を使うことが多かったから2時間のあいだ映像を見ることは苦じゃない。

でもクーラーの効いた畳の部屋で、しかも担当の教授が「ごろごろしながらでもいいよ」と言うので盛大にごろごろというか、コロコロしながら見ていた。その年の春学期さいごのゼミだった。

あまりにも20歳のときの記憶がなさすぎるので、旅に出たわたしはもう一度『スタンドバイミー』を見返した。と言いつつもそれはマチュピチュに行ったあと、たしかウユニ塩湖に行く前なのだけれど。


この映画は知っている人も多い名作だ。でも一応説明すると、仲の良い4人組の男の子が「死体があるらしいぜ」と言う噂を聞きつけて森に向かう。

でもその森へは長い長い線路を歩かなければ行けない。とても1日で行って帰ってこれる距離ではない。だから親にはそれぞれ「友だちの家へ泊まりに行く」と嘘をついて死体を求めて歩きに行く。2日間かけて。

一見ただ小学生くらいの子たちが夏休みの大冒険をする映画のように感じるかもしれないけれど、まったくちがう。4人それぞれ、実は家庭に問題を抱えている。

悪友のクリスは兄がめちゃくちゃ不良で毎日悪さをしているし父親はアル中、メガネのテディは父親が元軍人でちゃんとした人なのだけれど精神を病んでしまい、日々虐待されている。そして何よりも主人公のゴーディは兄を亡くしていて、両親がそのことから立ち直っていない。唯一ヘタレキャラのバーンだけ、わりと幸せな家庭に育っているいい子ちゃんなことが救いだ、バーンの兄も不良だけれど。

映画の結末である死体を見つけたときにもその家族が絡んでくる。なんとなく予想はしていたのだけれど、やっぱりどこかやるせない。

そして最後に4人組が大人になったときのことが語られて、なんなら冒頭も大人になっているシーンで始まるのだけれど、なんとなく予想できる未来だった。

頑張ることでなんとかなることも多いから、たまにこういう「目的をもって旅をする」ということをしたくなる。けれど、どうしようもない問題も世の中にはある。家庭の問題は特に。どうしようもないし、家族が生きている限り解決はしない。生い立ちが絡む未来は変えられるようで変えられないときもある。

(スタンドバイミーコースの終わりの方。電車が来るとすれすれ。本当に真横を通っていく。)


実際この映画のようなスタンドバイミーコースを歩いてどうだったのか、と言われれば、正直わたしは苦い記憶しかない。当時いっしょに旅をしていた子があまり好きではなく、というか大事にする部分や家庭環境が自分と正反対の子だったので、一緒の旅はつらかった。

たぶん向こうもそう思っているのは伝わってきていたのだけれど、お互いウユニ塩湖で写真を撮ってくれる人が欲しくて一緒に旅をした。なんとなく、彼女にわたしのゴープロと「写真撮って」と言われると根気強く付き合うところをうまく使われたな、と思う。そしてそういう子の方が人に好かれやすい。

あのときはただただ歩くことに必死だった。でも別々になってでもあの道は自分のペースで歩くべきだった。帰国した今でもそう思う。ハッキリと言えなかった自分が歯がゆい。

10kmのスタンドバイミーのような道を歩いて到達したマチュピチュはとても大きくてずっしりと構えていた。一部崩れかけているところもあるのだけれどそんなことを感じさせない迫力で、行く価値のある世界遺産だった。わたしもマチュピチュくらい器が大きければいいのだけれど、まだまだ中身が子どもな24歳にはすこし難しそうである。




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