非行少年だった息子が銀座で社長になった話#8(銀座は少年を大人にした)
18歳で家を追い出され、身一つで銀座に乗り込んでいった長男。
最初は、”バーテンダー”になりたいと言っていたので繁華街なら渋谷や新宿のほうがいいのでは?と思っていたのですが、
「一流を目指すなら銀座」
と、彼の中でこだわりがあったようです。
一流の街「銀座」
私は、東京の山の手で育ちました。
山の手といっても昔は今ほど土地が高くないですし、父の社宅に住んでいました。
そんな子ども時代の私も、銀座に行くといったらおめかししてちょっと高級な気分を味わえる街、というのが今も変わらぬ銀座のイメージです。
1.銀座を背負って立つ人材
長男がそんな銀座への思いと憧れを抱いて仕事を探し、始めの一歩を踏み出すきっかけとなったのは、銀座に何店舗もバーやラウンジ、キャバクラを出している会社でした。
そんな会社の門をたたいた10代の子ども。
熱意を買われたのか、社長の心意気なのかわかりませんがよく採用されたと思います。
それにしても、お酒を提供する会社の現場のスタッフで未成年なんていうのは、本来だったら法律的にマズイですよね…?
なんにせよ、こうして入社した長男には、住むところも用意していただき(月島あたりだったはず)当面の生活費も援助され憧れの銀座で働き始めることになりました。
もともと年長者から気に入られる性質の長男は、一生懸命働き可愛がられたのでしょう、2年もすると管理職に抜擢され
「これからの銀座を背負って立つんだからな」
と上司に言われていたそうです。
2.夜の世界は厳しい
華々しい銀座での仕事、ある程度の収入が得られるようになったのか?というと、銀座といえど夜の街は水商売で成り立っていますから、入ったお金は同じだけ出ていきます。
"水商売”とはよく言ったものですよね、本当にその通りだと思います。
しかし、長男はお金には代えられない経験や人脈を得たことも確かです。
最初に入店したお店で、ある程度の経験を積ませていただき人脈も広げた長男は、別の店にスカウトされて移籍しました。
と言っても、縄張りがある銀座のなかでも争いのない繋がりもあるようですから円満移籍だったそうです。
このあたりの詳しい事情は正直、私にはわかりません(笑)
ただ、店を任されるようになったにもかかわらず、売り上げが落ち込んだ時には地方に飛ばされた、なんていう話も聞きました。
「俺しばらく東京離れるから」
とLINEが来たときは何事かと思いました。
「地方の店舗で修行して来いって」
どんな修行だったかわかりませんが、それはある意味左遷。
そこで結果を出さないと永久に銀座に戻ってこれないと言われたそうです。
昔の仲間への恩返し
1年も経たずに東京に帰ってきた長男でしたが、その3か月後くらいのことです。
経営者として店を持つと報告してきました。
「俺、社長になるからさ」
なんだか、ずいぶん軽い報告でした。
1.うちで働きなよ
開店準備やら何やらで忙しくしていた時、長男からのLINEの写真で見覚えのある顔がちらほら…
「え。これって○○じゃない?」
そう、長男の中学時代の非行少年仲間がいたんです。
「懐かしいなぁ~」
なんて私が呑気に反応していると
「うちで働いてもらうことになった!」
聞くと、一人は夢を追ってミュージシャンの修行中。
夜しかバイトできない事情を聞いて長男が声をかけたそうです。
もう一人は幼馴染で大学生なんですが、やはり昼は忙しく夜のバイトを探していたとのことでした。
もちろん、長男がいろいろ大変だった時に助けてくれた仲間です。
変な話ですが、物事はこうやって巡り巡っていつ何が起こるかわからないというのが面白いですよね。
長男も、
「さんざん迷惑かけてきたから、俺に今できることをやってるだけ」
と言っていましたが、なかなかできることじゃありません。
というか、困っている仲間を助ける立場になったことが奇跡です。
2.途切れない絆
不思議なご縁です。
中学校時代の友達は、公立であれば学区域の学校で出会うわけですから、もともと住んでいた場所から繋がっていたことは全くの偶然ですよね。
でもこうして卒業してからも、定期的に地元であったり遊びに行ったりして、それぞれ全く別の人生を歩んでいても何かあれば集まったり助け合っているようです。
親子以上に濃い絆で繋がっている長男たちを、羨ましく思います。
それと同時に、この話を聞いた時に私はとてつもなく感動し感謝したのを覚えています。
感謝というのは、繋がっていてくれてありがとうということに。
本当に、悪い事ばっかりやっていた子達…
何度も警察に行き、頭を下げ、学校の先生にも迷惑をかけてきました。
ここで誤解を招きたくないのは、彼らが中学時代に中学生らしい行いをしてこなかったことを肯定しているわけではありません。
純粋に、大人になっても友達として仲間関係が継続していることへの感謝です。
こんな出会いが人生のうちにあるというのは、本人たちにとって本当に大きな財産になると思います。
財産になるものは人
「あの子は悪い子だから関わらないようにしなさい」
お子さんの交友関係に口出ししたくなることはないですか?
私自身が中学時代にそう言われかねない子でしたから、なんとなくですが人を外見や目に見える部分だけで判断しないことを、無意識にやってきた気がします。
それは、保育の仕事でもその視点が仕事上とても役立ったと思います。
※保育関係の話は気が向いたらしていきます(笑)
1.うちはうち、よそはよそ
家訓ってほどじゃないですが、結構この言葉、好きです(笑)
そうはいっても、人の目が気になりますしシングルマザーで常にお金のない生活でしたから肩身の狭い思いをしたり、我慢することも多かったんですよね。
まぁでも、
「それが何?どうした?」
と開き直れるようになってから、子育てが楽にはなりましたね(笑)
そして、いつの間にか子どもたちもその境地にたどり着いていて、自分の人生をしっかりと懸命に生きています。
ここまでくれば、親の役割はほぼ終わりです(笑)
母親として
『非行少年だった息子が銀座で社長になった話』
ここまで、お読みくださり本当にありがとうございました。
全8話となりました!(10話の予定でしたが💦)
1.お母さんにしてくれてありがとう
執筆中、長男の成長を振り返りながら何度も泣きました。
でも、こうして文章にすることで
「やっぱり私って特殊な体験をしてきたよなぁ~」
と記録に残しておくことができました。
ほんと、あの時…
長男が私を殺さないでくれて、殺人犯にならなくて良かった。
大げさかな💦
でもあの時に躊躇した長男…それが親子関係が成り立っていたことの証明な気がして、今私はこうして過去を振り返ることができるようになりました。
父親との関係とか解決するかわからない問題も抱えていますが、これからも長男の生き様を受け入れていこう、というのが今の私が母親としてできる唯一のことだと思います。
2.子育てに正解はない
そしてあらためて、子育ての経験は人それぞれいろいろなドラマがあって正解なんて一つもないと言えることがわかりました。
子育てって、ただ自分の子どもとガチンコで向き合う時間、それだけです。
でも、時々親の方が心が弱っちゃうんですよね…だからお父さんさんやお母さん、子どもと関わる人たちの応援を、陰ながらしていきたいなぁと思っているmaruちゃんです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?