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きっと、人生は必要な時に必要な方向へ歩いて行っている

先日、Twitterでふとみつけた言葉。



これをみて、私もそうだなぁと自分をふりかえってみた。

私もりょかちさんと同じように、高校も大学も決して第一志望ではなかった。入社した会社だって、就職浪人して入ったものの、第一希望ではなかった。
でも、第一希望の人生を生きていたらと思うと少しぞっとする。

 

もし、第一志望の高校に通っていたら、
わたしは英語の暗唱大会に出ることはなったし、そこで発音を一から鍛えてもらうこともなかった。今は英語はペーパーテストは点でだめだけれども、話すのはなんとかできている。それは、きっと、あの時に発音を鍛えてもらって「話す楽しさ」が分かったから。
もっと言うと体育大会でブロック長をすることもなかっただろうし、習熟クラスで周りと切磋琢磨しながら勉強することもなかったかもしれない。

もし、第一志望の大学に通っていたら、
わたしはこんなにお酒が好きな人間にならなかっただろうし、もしかしたら自分の限界やお酒の飲み方だって知らなかったかもしれない。教員免許だってとっていなかっただろうし、ドイツになんて行っていなかったかもしれない。

もし、第一志望の会社に入社していたら、
わたしは卒業後すぐに大阪に住んでいて、福岡になんて戻っていないし、TABIPPOスタッフもやっていなかった。あんなにたくさんの仲間に出会えなかっただろうし、人としてあんなに成長することだってなかった。

 

そう、いつだって、進んでいる道はわたしが最初に望んだ道ではなかった。

でも、どこか一つでも第一志望だったら今の私はいないと思うと、きっと私は正解を選んでこれたし、選んだ道を正解にしてくることができたんだと思う。

もし第一志望に進んでいたら、もしかしたら今よりも満足いく人生を歩んでいるかもしれないし、今いる場所よりもずっと先を歩いていたかもしれない。
そんなの第一志望の人生じゃないから今となっては分からない。
それでも、わたしは今、望んだよりももっと幸せな未来を手に入れることができている。

 

第一志望が叶わなかったときは悔しくて泣いた夜もあったし、自分の努力しなさを後悔した日もあった。もっとこうすれば、もっとああしていれば…。
そうやって自分を責めたり、これまでの行動を反省したりした。
もしかするとそれも大切なステップだったのかもしれない。

今、私はきっと臨んだ以上の未来を手に入れることができている。
それを思うと、人はきっと必要な時に必要な方向に進んで行っているのだなと感じる。

 

あの日、悔しくて泣いていた自分へ。
心が折れてこの先の生きる気力を失ってしまっていた自分へ。

大丈夫。あなたは将来好きな場所で好きな人と好きな時に好きな仕事をして生きていっているよ。

 

あの時の悔しいと思う感情を忘れずに、今日も流れに身を任せて生きていこう。

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