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私が何かを辞める時はいつも彼女がそばにいた

どんなことにもきっと終わりは来る。
聞きなれた授業が始まるチャイムの音だって、通い慣れた通学路だって、くだらないことで笑って泣いた青春だって。
どんなことにも終わりは来る。

 

社会人になって半年。
久しぶりに会う彼女はとても輝いていた。これから旅に出るらしい。日本の端っこで毎日同じローテーションを淡々と、流れるベルトコンベアーのように過ごしていた私にとって彼女は眩しすぎて、まるで夏の太陽を直視したときみたく目が開けられなかった。

それから3か月後。
彼女は旅を途中でやめて帰ってきた。その表情は急に分厚い雲が空を覆い急に降りだす夏の夕立のようだった。
それでも彼女は、自分と必死に戦っていた彼女の姿は、雲の上には太陽が待っていることを知っているかのように、愚直ながらもとてもとても美しく見えた。

  

どれぐらい時が流れただろうか。
元々長くは続けないだろうと、心のどこかで思っていた会社員生活をいよいよ本気で辞めることを考え出したとき。
私の脳裏にふと彼女の姿がよぎった。
彼女が選択した「辞める」の決断と、きっと重さはちがうけれども、それでもきっと彼女ならこの話を受け止めてくれる。きっと背中を押してくれる。

気づいたらわたしの指は自然と彼女にメッセージを送っていた。

 

きっと彼女は辞めることの難しさも、辛さも、そしてその決断の重さも全部ぜんぶ知っている。
だからこそ、私の悩みも、愚痴も、未来への不安も彼女なら分かろうとしてくれると思っていたし、すべて分かったうえで背中を押してくれると信じることができた。

それから、どんな些細なことでも彼女に報告するようになった。
嬉しいことも、辛いことも、これから進べき道に迷ったときも…。重要な決断をするときはいつだって彼女に連絡をしていた。
いつだって彼女が決断のそばにいてくれた。

 

でもそれは、大事な決断を誰かにゆだねてしまうのとは違う。
いつだって決めるのは自分。それはわたしも彼女も分かっていることだから、最終的に決めるのはいつだって自分自身。
相手に決断させてしまうのではなく、私の決断を隣でそっと見守ってくれる存在。しっかりと手を握って「大丈夫だからいっておいで」と言ってくれているような安心感をくれる存在。

いつの間にか私にとって彼女はそういう存在になっていた。

 

きっと、この世界にあふれるたくさんの決断の中でも「辞める」という決断は一番勇気がいる決断だと思う。
学校や会社や移り変わる季節のように放っておけば自然と終わりが来るものも、そうでないものも、自分から終わらせてしまうことには本当に大きな勇気が必要になる。
そして、一度「居場所」になってしまった場所を離れる決断には、どんなに嫌いな場所でも、「寂しさ」や「不安」のような痛みが多かれ少なかれ伴う。

それでも、わたしがその痛みを乗り越えてこられたのは、いつだって支えてくれる存在がいたからなんだと、ようなく気付くことができた。

 

私が何かを辞める時はいつも彼女がそばにいた。
そして、わたしがそんな大きな決断をしてこれたのも、きっと彼女のおかげなんだと思う。

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