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【エッセイ&映画レビュー】ワンダー 君は太陽を観て

ども!
みなさん連休はどう過ごされましたか?

あゆさん、久しぶりにゆったりと連休を過ごさせてもらいました。
なので大好きな映画鑑賞が思う存分出来てたってわけです😅

昨夜は久しぶりにゆっくりお酒飲みながら二本の映画を観ました。
そのうちの一本がこれ、”ワンダー君は太陽
ずっと気になっていながら観れずにいた映画なんですがやっと今回一人でゆっくり観ることが出来ました・・・深夜にね笑

…というのも、前にこの映画の紹介をサラッと読んだことがあったんですね。
ネタバレではないためどういった結末などはわかりませんでしたが概要読んだだけで

「アカン💦絶対泣くやつやん」



そう思うと是が非でも一人でじっくり観たい。
しかし前にも書いたことあるんですが、あゆさん相方さんの前で泣けないんですね。これは結婚当初からそうなんです。
てか、基本お付き合いした人の前では泣けない人なんです。それは普段の生活でもそうだし、感動したって、悲しくたって同じ。

これも以前記事に書いたことがあるんですが、あゆさん一見、誰が見たってどこにでも在るサラリーマン家庭の普通の子供だったんですけどね、あくまでも一見ですよ😅。

蓋を開けてみるとですよ、父は酒癖が悪く、母はいつも眉間にしわを寄せていて、幸せそうに見えることのない人でした。
そして両親揃って”バイオレンス”な人達だったんですね😅
あゆさん物心ついた頃から母親に何かといえば叩かれ、叩かれて泣けば

「泣くな」
「今すぐ泣き止め」
「そんな顔で見るな」

そう言われていました。

なので、泣くことはあゆさんにとって悪い事で、負けることでもあったんです、大人になるまではずっと。

なのできっと心のどこかで”この人の前でなら泣いても良いんだ”となかなか思えない癖が今でも抜けないのかなと思います。

でも、実際は映画なんか一人で見ると人一倍感情溢れて、ティッシュ1箱使う勢いで泣いてしまうんですけどね😅あはははっ

超絶厄介ですね、あゆさんって!爆🔥

てなことで、泣いてしまうような映画は深夜家族が寝静まってから一人で心置きなく見ることにしているんです。
朝起きたらめっさ目👀が腫れてることも。。。😵

よく”ストレス溜まる”とか”ストレス発散”って言葉を耳にしますが、心理学でいえば”泣くこと”は"ストレス解消”になるらしいです。
もちろん泣いてストレス発散するより笑ってストレスが発散できる方が健全な気がしますけどね。

泣くことより、実は心から笑う事の方が難しかったりしますよね🙄

なので、普段から極力なんでも笑いに変えていきたいし、あゆさんに関わっている人には全て笑顔でいて欲しい。
それは誰かの笑顔で自分が癒されるからなのかもしれません。

あ🫢

やば💦エッセイ部分が長くなってもた💦

てなことで映画レビューいきますよー!

ティッシュのご用意を🤲

ワンダー君は太陽ってどんな映画?


この映画は2017年11月にアメリカで公開され、翌年2018年に日本で公開されました。
この作品はR・J・パラシオ(あゆさんこの方存じておりません💦)の小説『ワンダー』が原作とされています。

当初この映画は2017年4月の公開予定でしたが同年2月の試写会での反応が予想以上だったため、アカデミー賞への賞レースを見据えて11月に公開を延期したという経緯がありました。

やっぱアカデミー賞ってノミネートするだけでも興行収入を大きく左右しますからね💰😅

ちなみに公開初の週末、興行収入900万ドル前後くらいと予想されていましたが蓋を開けてみると実際はその3倍‼😳
2754万ドルという数字を叩きだしました。

この映画は批評家と呼ばれる人たちの評価がとても高く批評家支持率は85%以上です。しかし、実際一部の同じ障害を抱える当事者からは「現実を直視していない」「感動ポルノだ」と批判の声が事実としてあったようです。

ま、どう思ってどう見るかは千差万別ですからね。
あゆさん個人的には”感動ポルノ”って言葉は好きではありませんけどね。
意図を持った感動場面で感情を煽ることを”感動ポルノ”と表現するそうですが、”ポルノ”って言葉は性的な興奮を掻き立てるものに使われる言葉ですし、その表現自体に違和感を感じるあゆさんです😒個人的見解ですが。

あらすじ※ネタバレあり

ここからは ちと長いので内容を知ってる方は下の感想から読んでね😅

主人公オーガスト・プルマン通称オギー(ジェイコブ・トレンブレイ)は10歳の賢くてユーモアのある魅力的な男の子。いつも明るい父ネート(オーウェン・ウィルソン)いつも大きな愛で子供を見守る母イザベル(ジュリア・ロバーツ)そして姉のヴィア(イザベラ・ビドヴィッチ)のとっても仲の良い素敵な4人家族。

しかし、オギーはトリーチャーコリンズ症候群という先天性異常で 生まれつき顔が変形していて、生まれた時からはなんと27回もの形成手術を受けてきました。


※トリーチャーコリンズ症候群とは
「トリーチャーコリンズ症候群」は、約1~5万人の出生に1人が発症するといわれる先天異常症候群です。典型的な症状としては、頬骨の部分的な欠損や小さな下顎が特徴です。その結果、呼吸障害や難聴など、さまざまな症状を併発することも珍しくありません。基本的に知的障害は伴いませんが、一部の患者に精神発達の遅れがみられます。その原因はわかっていません。

原因
顔面の骨などが正しく発育するために重要な遺伝子(TCOF1、POLR1C、POLR1D)に異常が生じることによって、トリーチャーコリンズ症候群が引き起こされます。中でも、TCOF1遺伝子の異常が全体の約70~90%を占めています。また、両親のいずれかがトリーチャーコリンズ症候群である場合、50%の確率で子どもに遺伝するともいわれていますが、同じ家系内でも症状の幅が広く、罹患していても症状が目立たず、気づかれないこともあります。そのほか、妊娠中にビタミンA(レチノイン酸)を過剰摂取することとの関連性も疑われています。

症状
顔面に集中して症状が表れます。特に頬骨が低形成となり、下顎が小さくなることが多いのが特徴です。その結果として、目の疾患、口付近の疾患、耳の疾患など、さまざまな合併症を引き起こすことになります。目の疾患としては、まぶたの外側が下がってしまう眼瞼裂斜下(がんけんれつしゃか)や、下瞼が欠損する下眼瞼欠損(かがんけんけっそん)をはじめ、眼球が小さくなる小眼球、下まつげの部分あるいは全欠損、斜視などが挙げられます。口付近の疾患としては、下顎が小さくなる小下顎症や口唇口蓋裂などが挙げられます。特に小下顎症により気道がふさがれ呼吸障害を引き起こします。耳の疾患としては、耳が小さかったり、欠損したりする小耳症などが挙げられ、難聴を認めます。他には先天性の心奇形や停留睾丸など、顔面以外に症状が表れることもあります。なお、知的障害は伴わないことがほとんどですが、患者の約5%に精神発達の遅れがみられます。
神奈川県立こども医療センターより

新たな一歩

オギーは生まれた時から手術の為の入退院が多く、幼い頃からずっと母イザベルが勉強を教えてきました。

外の世界を知らないオギー。
このままではいけないと思った両親はオギーを小学生最後の5年生で学校へ入学させることを決意します。時を同じくして姉、ヴィアは高校生になりました。

オギーは容姿のコンプレックスのせいで人前に出るときはいつも大きな宇宙服のヘルメットをかぶっていました。

入学当日。
学校の前までヘルメットを被っていたオギーでしたが家族全員に見守られヘルメットを脱いだオギー。
生まれて初めて家族から離れ学校へと一歩、また一歩と一人で歩き始めました。
(頑張れ!オギー!←あゆさん心の声😭)

学校生活が始まったもの、案の定好奇の目で見られるオギー。
ドッジボールで的にされたり、心無いことを言われたり😠

自宅に帰ったオギーはイザベラに

『どうして僕は醜いの?』
と泣きながら訪ねます。

『心は、人の未来を示す地図。顔は人の過去を表す地図。あなたは決して醜くなんかないわ』
そう歯はイザベラはオギーに話しました。

ある時学校で理科の抜き打ちテストがありました。
オギーの隣の席に座っていたジャック・ウィル(ノア・ジュープ)は答えが解らず困っていました。
オギーはジャックにテストの解答を見せてあげたした。
それがきっかけとなり二人はあっという間に仲良くなります。

姉のヴィアはと言うと、幼馴染のミランダ(ダニエルローズラッセル)がサマーキャンプから帰って高校入学から見た目も態度も急に変わってしまい、ヴィアを避けるように。
ヴィアは内心 寂しさを抱えていました。
オギーが生まれてから両親は弟にかかりっきり。母イザベルからはわがままひとつ言わないヴィアを”世界一手のかからない子”と言っていました。
オギーは太陽、私たちはその周りをまわる惑星』いつもそう自分に言い聞かせていました。
本当は『私を見て』そう両親に思うこともありましたがずっと言えずいたのです。
それでも心優しいヴィアは弟のオギーが大好きでとても可愛がっていました。

そんなヴィアは教室の前で演劇クラス希望の男子生徒ジャスティン(ナジジーター)と出会います。

オギーとヴィア。
二人の新たな一歩は決して楽しいことばかりではないけれど、それでも少しだけ希望が見えてくるような一歩となりました。

変化

オギーとジャックはどんどん仲良くなっていきました。そしてジャックは心からオギーを親友と思うようになっていたのです。

ハロウィンの日。
イザベルの提案でヴィアは久しぶりに母と2人で過ごすことに。
そしてオギーはスクリームの仮装をして楽しそうに教室へと向かってゆきました。

すると同じクラスでいつもオギーをバカにしたり嫌がらせをしてくるジュリアンとジャックの会話を耳にしてしまいます。

『あいつ見てるといつもフランケンシュタインを思い出すんだ』
『俺があんな顔だったら一日中お面被ってる』

『僕だったらきっと自殺するだろうな

ジャックが悪口を話しているのをオギーは耳にしてしまいます。

『どうしてあいつとつるむの?』
とジュリアンがジャックに聞きました。

『校長に頼まれ優しくしてたらどこにでもついてくるようになった』
『それ最悪じゃん、ははははっ』

それを聞いたオギーはショックのあまり教室を飛び出します。

ヴィアとイザベルが家で寛いでいと、校長先生からオギーが学校で吐いたと電話がかかってきます。
イザベルは慌ててオギーを迎えに家を飛び出します。
ヴィアはまた一人になり強い孤独を感じていました。

自宅に戻ったオギーは
『学校なんか最初から行かなきゃよかったんだ』
『学校なんて大嫌いだ』そう言いながら泣いていました。

するとヴィアは

『傷ついただろうけど誰にだって嫌な1日くらいはあるよ。』
『私ねミランダ嫌われたみたい』
『人はね、変わるんだよ』
『そんなに普通の子になりたきゃ覚えておかないと』
『さ、お菓子を貰いに行こ』
『親友でしょ?今はお互いが親友』

そう言ってヴィアはオギー元気づけて二人でハロウィンのパレードへ出かけて行きました。

一方、オギーはジャックを徹底的に避けだします。しかしジャックはどうして避けられて居るのかがさっぱりわかりませんでした。

オギーは再び一人のランチタイムに。

そんな時同じクラスの女子”サマー”が声をかけて来ました。

『君も校長先生に頼まれたの?』
『え?なんのことかわからない』
『僕と友達になれって』
『私、言われてない』
『もう勝手に決めつけないでくれる!』
『でもどうしてその席に座るんだよ?』
『違う友達が欲しくなったの』

『ヨロシク』

握手をするサマーを見て周りの子は

サマー、ペストだぁ

そう言いましたがサマーは全く気にしません。

そんな二人をジャックは羨ましそうに見ていました。

『そう言えばジャックと何かあったの?』
『誰にも言わない?実は、、、』

オギーはジャックの事をサマーにそっと話しました。


後悔

ジャックはオギーが入学の時、校長先生に学校の案内役を頼まれていました。
初めは乗り気じゃなかったけれど、その後オギーと接して彼を知っていくと気付いたことがいくつかありました。
そりゃ最初はオギーの顏には驚いたけれどすぐに慣れたこと。
オギーは頭が良く、またユーモアもあって一緒にいてすごく楽しいってこと。
オギーを知ったらずっと友達でいたくなったこと。
5年生全員を並べて誰とずっと一緒にいたいか?って聞かれたらオギーを選ぶ。
ジャックは心から親友だと思ってることに気が付いたのです。

しかしなぜオギーに避けられてるのか理由が分からないジャックは、最近仲良くしているサマーに理由を聞いてみました。
聞かれたサマーは言いずらそうに『”ゴーストフェイス”それしか言えないわ』とジャックに話しました。

ジャックは”ゴーストフェィス”について考えました。
するとハロウィンの日に教室で
僕だったらきっと自殺するだろうな』そう自分が言った時、教室にゴーストフェイスの仮装をしていた者が居たことを思い出しそれがオギーだったのだと初めて気が付きました。

ある日、科学の自由研究で二人一組でペアを組むように先生が言いました。ジュリアンは『ジャックと3人で組ませてください』と言いますが、ジャックは『このままでいいです!オギーと組ませてください』そう言いました。

授業が終わりジャスティンが
『あのゾンビ野郎とペアでいいのかよ!』とジャックに声をかけました。
その一言を聞いてジャックはジャスティンを殴りそれがきっかけに殴り合いになってしまいます。

殴ったジャックは停学になりました。


一方相変わらず嫌がらせを止めないジュリアンを見かねた校長は両親を呼び出します。

彼の見た目は変えられません。こちらが見る目を変えなくては』そうジュリアンの両親に訴えますがその思いが届くことはありませんでした。両親の一方的な判断でジュリアンは学校を転校することに。
友達と別れてしまう事を悲しみ今までの事を後悔したジュリアンは最後校長先生に
『校長先生ごめんなさい』といい
『よくわかっているよ』校長先生はそうジュリアンに小さくつぶやくのでした。

友情

ジャックは自分が言った心無い言葉でオギーを傷つけてしまった事を心から謝りました。

ジャックがジャスティンを殴った時、その場で見ていたオギーはジャックがなぜ殴りかかったのかを知っていたので、彼を再び信頼するようになりました。

一方姉のヴィラはジャスティンとの仲を深め、最初一人っ子だと嘘をついたことを謝り、自宅へ連れて行ってイザベルやオギー会わせ紹介します。

親友ミランダが自分を避けるようになって落ち込んでいたヴィラでしたがジャスティンという恋人が出来たことでその寂しさは次第に埋まって行きます。
その様子を見ていたミランダは急に寂しくなりました。

ミランダとヴィラは幼稚園からの幼馴染。
以前は家族ぐるみで仲良くしていました。
ミランダはオギーをまるで本当の弟のように可愛がっていました。
オギーが以前いつも被っていた宇宙飛行士のヘルメットもミランダがプレゼントしたものでした。

そんなミランダは両親が離婚。
母親と2人きりで暮らしていましたが、母親は離婚を受け止めることが出来ず酒に溺れる毎日。
自分の居場所が無いと感じたミランダはサマーキャンプに参加し、ほんの軽い気持ちで違う自分にそう…ヴィラになりきる遊びを始めまた。顔の変形している弟がいる…サマーキャンプが終わるころミランダはキャンプ一の人気者に。
ミランダはヴィラになりきることで逆に、オギーを支えいつも明るく振舞うヴィラやその家族の素晴らしさに改めて気づかされます。

それに比べて自分は…。そう思うと以前のようにヴィラと接することが出来なくなっていたのでした。
ヴィラに彼氏が出来て寂しくなってしまったミランダはオギーに電話をします。
そして、オギーが学校で楽しく過ごしていること、友達が出来たこと、色々話しているうち、前のようにヴィラと仲の良かった頃に戻りたいと思うようになってゆきます。

演劇サークルの発表会の日、ヴィアの両親が観に来ていることを知ったミランダは仮病を使いミランダの代役であったヴィラに主役を譲ります。
発表会は大成功!
このことをきっかけにヴィラとミランダは仲直り。以前のようにヴィラの家族と共に楽しい時間を過ごしました。

一方、オギーは初めて親元から離れて野外学習へ行きます。
退屈な映画鑑賞にジャックとオギーはこっそりと抜け出して森の中へ。
その時、つけて来た上級生に遭遇しオギーはからかわれます。
それを止めようとジャックは反抗しますが上級生に押さえつけられオギーも殴られそうになります。

その時でした。

いつもジュリアンと一緒にオギーをいじめていた同じクラスの男の子達が助けに来てくれたのです。
みんなで湖畔まで逃げ切ると、オギーはいつの間にか自分に仲間が出来ていたことに改めて気が付き涙を流します。

喧嘩でボロボロになってしまった服を着て帰ってきたオギー。
イザベルはそれを見て驚きますが父ネートはオギーの成長を嬉しく思いました。


wonder(奇跡)

5年生の修了式。オギーは母イザベルに

『ありがとう、学校へ入れてくれて』
『怒ったこともあるけど、僕 今幸せ』そう言うと
あなたは奇跡の子よ』と優しく言いました。

この学校では1年の終わりみんなの模範となる生徒に贈られる※ヘンリービーチャー賞という賞があり校長先生が話し出しました。


ヘンリー・ウォード・ビーチャー: Henry Ward Beecher、1813年6月24日 - 1887年3月8日)は、アメリカ合衆国コネチカット州出身の会衆派教会牧師であり、社会改革者、演説家でもあった。奴隷制度の廃止を支持したこと、神の愛を強調したこと、また1875年に姦通罪で裁判に掛けられたことでも知られている。

出典Wikipedia

ヘンリービーチャーの言葉に
偉大さは強さの中にあるものではなく
強さを正しく使う事の中にある


最も偉大である人物は
自分自身の魅力で多くの人の心を動かす
力と持っている
”と。

彼は静かな秘めた強さで多くのもの心を掴みました』と。

そして続けて言いました。

『今年のヘンリービーチャー賞はオーガストプルマン君』🎉🎉🎉

オギーが名前を呼ばれるとイサベルはオギーを抱きめ涙が溢れ止まりませんでした。
ネートも涙ぐんでオギーと抱き合います。
姉のヴィアは嬉しそうに涙を流しミランダも大きな拍手を送り、ジャックも心から喜んでハイタッチしました。そしてクラスの仲間もみんな拍手でオギーの受賞を喜びました。

オギーは心の中でおもいました。

みんなの心の中を覗けたらきっと普通の人なんていないと思う

誰だって一生に一度はくらいは拍手を浴びるべきだ

僕の友達にだって、先生に拍手👏』
僕を支えてくれるヴィアへ拍手👏』
みんなを笑わせてくれるパパに拍手👏』
ママには一番大きな拍手を👏何事も絶対諦めない、特に僕のこと

そしてブラウン先生の格言の話を思い出します。

相手をよく知りたければ 方法はひとつ
よく相手を見ること”




感想

この映画の主人公オギーは10歳、小学校5年生。
日本は小学生が6年生までですがアメリカは5年生なんですね🤓

初め見ていて、まずは自分が母親だったらと考えました。
(あ、一応あゆさん母親でもあるので💦)

イザベルはオギーの今後の事を考え小学生最後の年に入学させることを決意しましたが、まずそれってすんごく勇気のいることですよね。
うーーーん🤔そんな簡単な言葉じゃないけど上手く言い表せないな💦(あゆさん、語彙力!爆)
今まで外の世界を知らず家族やその周りの人たちの優しさと深い愛情に支えられ、ヴィアが言っていた通りオギーは太陽でその周りを回る惑星が家族。
オギーはいつも中心にいたんですよね。
彼を中心に惑星は回ってきた。

その彼が太陽でもなく惑星でもない所に居場所を見つけられるのか。
そう思うと本人はもちろんのこと、両親の不安や心配は想像絶するものがあると思います。オギーにとって一番どういう選択をしたらいいのか。

母イザベルは行かせる派、父ネートは無理に行かせたくない派。

あゆさん子育ての経験上思うんですが、子供って親が思うよりずっと親の考え方や、生き方をちゃんと見ているんですよね。
もし母イザベル父ネートと同じ考えだったら、オギーはきっと学校へは行きたがらなかったんじゃないかな?🤔

世の中には色んな事情で学校へ行けない子、行かない子がいます。
それは健康上や身体的な事情であったり、いじめであったり、家庭に問題があったりと様々。
今や学校は必ず行かなくてならない場所ではなくなりつつあります。
あゆさんが子供の頃は”不登校”って言葉ではなく学校へ行かない子は”登校拒否”とざっくり一括りに言われていた時代。
まるで学校へ行かない子が悪い子なのかと思わせるような言葉ですよね。

でも今や学校へ行かない選択肢だってないわけじゃない。
でも学校へ行かせる選択をした両親。

オギーは身体的な理由もあったけれど、学校へ行きたくないというより行けない、行くのが怖いと思っていたと思うんですね。
でも、イザベルやネートはオギーを勇気づけて背中を押すんです。
イザベルの心の強さも優しさも父や姉の思いもオギーはちゃんと知っているからこそ学校へ行くという大きな大きな一歩を踏み出せたのかなと。

この映画の素晴らしい所は一人一人の目線で細かく丁寧に心の動きが描かれている所。
それゆえに、色んな人に感情移入しやすいかなって。

例えばあゆさんの場合は最初母親目線に。
そして次にオギー目線。

と言うのも、少しだけオギーの気持ちがわかるような経験が自分にもあったんです。

それは幼稚園の時のこと。

夏のプールでドジョウ掬い大会があったんです(今ならあり得んよねw)それであゆさん
※とびひになってしまったんです😨

※とびひとは、皮膚に細菌が感染することで起こる皮膚の病気です。
湿疹や虫刺されなどを掻きこわした部位に細菌が感染し、そこから“飛び火”するかのように周辺や離れた部位に症状が広がります。
とびひには、水ぶくれができるタイプと、厚いかさぶたができるタイプがあります。
抗菌薬の内服や外用薬による治療が有効ですが、患部をよく洗って清潔に保つことが大切です。

当時は東京に住んでいて夏はエアコンなんて当然なくって、家の中はめちゃめちゃ暑かったんですが、最初「なんか痒いなぁ~」位だったと思うんですけど見る見るうちに体中に水膨れが出来て広がってしまい、搔き壊してしまってもう大変な事に😱

とにかく夏の暑さも相まって痒い💦
でも掻くとさらに広がるので初めは手袋をして外さないようにテープでぐるぐる巻きに😱
それでも動かせる部分で擦って書いてしまうので究極手足縛られていた時期もありました😭

思い出すと地獄です。。。

ま、その甲斐あってだんだん広がらなくなってきたものの、今度は破れた水膨れがかさぶたとなり、全身ミイラ状態👻
もう幼心に覚えてますよ、、、トラウマです。。。
両親が一番心配していたのはやはり女の子なので顔でした。包帯を顔じゅうに巻いていた時期もあって、病院へ行くと10人いたら10人振り向いてこっちを見るんです。何なら2度見3度見まで😭
その何とも言えない視線は今でも忘れません。

そんなあゆさんの"バイオレンス母"も時々優しいなと思う時がありました。
とびひの時あゆさんに鏡を一切見せなかったんです。
なので酷い状態なのは幼いなりに理解していましたが、やっぱり怖いもの見たさ(?)で病院へ行った時トイレの鏡で包帯のすき間から自分の顔を見てしまったんです💦

呆然自失…😶

気を失うほど(失ってませんが)ショックでした。普段泣いたら怒られるけどそりゃ泣きますよね。。。

大きな声で泣きながら待合室の席に戻ると母が
『どうしたの?』

と少し怒り気味に言いました。
するとその時、ずいぶん前からあゆさんをじろじろ見ていた男の子があゆさんの前の席に座ってさらにチラチラこっちを見るんです。

『〇〇さーーーん』

やっと待っていた薬で名前を呼ばれました。
母が席を立ち薬を取りに行った瞬間、前にいた男の子が振り返ってあゆさんに言いました。
『ねぇ、何の病気?』
あゆさんは泣きじゃくったまま😭
『ねぇ、教えて!何の病気?』
あゆさん心の中で”うるせー!あっち行け!”と思っていました←ヤンキー誕生の瞬間これかもwってのは冗談(?)ですがw

『しゃべれないの?』
『スカート履いてるんだな、気持ちわりぃ』
あゆさん怒りが涙となって込み上げていました。
『お前さ、喋れないしほんとはお化けなんじゃねーの?』

・・・・と言ったその瞬間😲😲😲

見ていたのか聞いていたのか分かりませんが、バイオレンス母がその男の子のほっぺを”バチコーーーーーーン”と叩いたんです!!
😳😳😳

その後向こうの母親が来て母と揉めましたが、バイオレンス母は強かった💦😤
最後男の子とその母親はあゆさんに謝りましたけどね。

…とその時のことをふと思い出したんですよね(超絶前フリ長いやつw)

今思うのは、子供って純粋故に残酷ってこと。
言われた相手がどんな思いをするとか見られた相手はどういう風に傷つくとか、人生経験が浅い分わからなかったりするんですよね。
だから簡単に傷付けてしまう。
だからこそ、私達大人がしっかりと教えて行かなければいけないんですよね。時には模範となって。

だた子供は残酷ではあるものの、純粋な分そこに根深いものはないってのが分わかるんです。それがジャックだったのかなって。

彼はジュリアンたちの話の中でつい心にもないことを調子に乗って言ってしまいます。

その言葉に深く傷ついたオギー。
それでもそれが本心ではなかった事、本当に自分にとって大切な友達が誰なのか気が付いた時にオギーをどれだけ傷つけてしまったのかを知るんですよね。
そう考えるとジャックはなかなかできない経験をオギーを通してしたってことなんですよね。

しかし、中には「こいつマジ性格悪っ」って人がこの世の中に居ることもまた事実。
でもきっとそれにはそうなる理由があったんでしょうけどね。
ただあゆさんはそう言った人とは一切かかわりません!
それは自分を守るために必要なことと思っています。

姉のヴィア。
彼女の抱えて来た寂しさにも共感できる部分が多々ありました。
あらすじでは触れませんでしたが、彼女には祖母が居たことがかなりの救いだったでしょうね。だからこそ祖母が亡くなってからの喪失感は大きかっただろうなと。

この映画が高く評価されたのはやはり細かな人物の心の描写や、障害に負けない強さや偏見を持たないことの大切さ、家族愛や友情と多岐にわたると思います。

ただ、映画は所詮映画。

現実はそう甘くありません。

以前アベプラでみた同じトリ―チャーコリンズ症候群の石田祐貴さんののお話です


彼がこの中で言っている言葉があります。

自分の見た目は変えられないけど自分の見る目を変えることが出来る

と。


校長先生がジャスティンの両親に言ってましたよね。

彼は見た目を変えられません。我々の見る目を変えなくては」

と。

きっと彼らが経験してきたことはあゆさんにも、そして多くの人も絶対に当人しかわかり得ないことはあると思います。
でもわかろうと理解しようとする気持ちが大切だと思うし、障害を持ってる方も

「わかってくれない」
「わかるはずがない」
そう頭ごなしに思わないで欲しい。

世の中にはいろんな人がいるけどひとつの命と、心をもって生まれ今生きているという事になんの隔たり違いもないはず。


あれ?一万文字を超えてしまったぜ💦ヤバ💦


冒頭この映画を「感動ポルノ」だという人もいると説明に書きましたが、あゆさん的に意図的に感情を煽られるような感覚は一切ありませんでした。

見る人によって見方が変わるのもまた映画のいい所。


実際映画のようにいかないことの方が多いかもしれないけど、現実にこういった障害を持ってる人は確かにいるし、世の中には目に見えない障害だって色んな事情を抱える人は目に見えないだけで実はたくさん居るんだってことに目を向けるきっかけになる映画なのではないかなと思いました。


とにかく子供同士の心の描写が素晴らしかった✨
湖畔で涙するオギーを囲んた仲間が皆そっと肩を叩いたり抱くんですよ…

😭😭😭涙腺決壊😭😭😭


今年に見た中でもベスト3に入る映画でした😊

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