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じゃがイカ八郎

烏賊が食べたくなった。ジャガイモと合わせて、私的に黄金の組み合わせであるバター醤油で炒めながら、錦絵にも描かれる隻腕の剣豪を妄想した記録。


材料

剣先烏賊     3杯
ジャガイモ    小6個
葱の青い所    7センチ
大蒜       4欠け
バター      20グラム
醤油       大匙2
ブラックペッパー お好みで

幕末、江戸に四大道場あり。
北辰一刀流の玄武館、神道無念流の練兵館、鏡新明智流の士学館、もう一つが心形刀流の練武館。
心形刀流の宗家、伊庭家に誕生した八郎。子供の頃は剣術よりも学問を好んでいました。
伊庭家は代々、すぐれた門弟が養子となって宗家を継ぐ仕来り。だから伊庭家に生まれたからと言って、無理に剣術好きになる必要もなかった?
しかし、蛙の子は蛙と言うべきか、十代半ばで剣術に目覚めた八郎、稽古を始めるとメキメキと上達。
伊庭の小天狗と呼ばれるように。
どれ程の遣い手になったのかというと、幕末三舟の一人で、優れた剣術家であった山岡鉄舟との手合わせの逸話が伝わっています。山岡鉄舟については↓を御覧下さい。

山岡鉄舟は突きを得意としていて、その素早さと威力から「鉄砲突き」と言われていました。
その鉄砲突きを三度も余裕でかわして見せたのが伊庭八郎。
八郎がかわした後、鉄舟の竹刀は道場の羽目板を突き破ったといいます。それを見てもびびることもなし。


圧力鍋でジャガイモを茹でる。

どういう経緯からかはよくわかりませんが、八郎は天然理心流の試衛館に出入りしていたといいます。近藤勇の道場であり、土方歳三や沖田総司、永倉新八等、後に新選組の中核になる人々が集った場所。
道場主の子で幕臣でもあった八郎ですが、百姓とか浪人、素性がよくわからない者達が集まっている試衛館の方が面白く感じていたのか?
特に馬が合ったのは八歳年上の土方歳三。
連れ立って、よく吉原に通っていたとか。
写真が残っている土方歳三はイケメン。八郎もまた白皙の美青年と呼ばれていたので、この美男子二人が歩いていると、吉原でもさぞや目立ち、モテたことでしょう。
八郎には小稲という花魁と馴染になったとか。


剣先烏賊の皮を剥ぎ、輪切り。

十四代将軍、徳川家茂が上洛することになった時、浪士組が結成されて先んじて江戸を出発。その中には近藤や土方の姿。
八郎は浪人ではなく幕臣。しかも講武所の教授という役目があるので、それに加わる訳にはいかず。しかし、いよいよ将軍が出発する時には奥詰め衆、つまりは親衛隊として八郎も将軍の供として上洛。


茹で上がったジャガイモを食べやすい大きさに切る。

都に滞在している日々、八郎は日記を遺しています。
「征西日記」という厳めしい題名なのですが、書かれていることは金閣寺に行ったとか、本願寺へ行った。鰻を食べた。皆で天ぷらを作って食べた。島原遊郭に行ったが、あまりよくなかったとか。
内容は随分と呑気。
グルメと観光の話ばかり。特に八郎は甘党だったのか、カステラとか汁粉の話がよく出てくる。しまいには虫歯になったとの記述。
将軍警護のために来ている筈ですが、緊張感ない。
まあ、護衛の武士が暇で遊んでいられるのは平和でいいことかも。
先に都へ行き、新選組となった土方達と再会しただろうか?
嵐の前の静けさだったのかもしれません。


潰して微塵切りにした大蒜を油で炒める。香が立つまで。

やがて大政奉還や王政復古の大号令等、時勢は幕府が倒れる方向に向かっていく。
八郎も遊撃隊の二番隊長となり、鳥羽伏見を始め、幕府のために戦う。
新政府軍の江戸入りを防ぐために小田原で戦闘。
湯本の三枚橋付近で足に被弾。そこへ後ろから斬り付けられる。八郎の左手首は皮一枚を残して斬られる。
しかし怯むことなく振り向きざまに斬り付けてきた者を一刀両断。八郎の刀は勢い余って敵の後ろにあった岩まで真っ二つに。


ジャガイモ、烏賊、バターを投入して炒める。

傷口から骨が露出。しかも膿んできたため、手術で切断することに。
「自分の腕が切られる時に眠っていられるか」と八郎は麻酔を拒否。
手術の間、一言も痛いとは言わなかったといいます。
虫歯になったと騒いでいた頃とは随分、違います。
こうして左腕を失った八郎ですが、闘志はまるで衰えず。死に場所を求めるように、箱館へ行くことを熱望。
榎本武明率いる旧幕府の脱走軍が五稜郭に居ることを知っていたからです。


醤油を投入。煮絡めていく。

八郎は横浜に潜伏していましたが、陸路で箱館に向かうことはほぼ不可能。既に江戸には新政府軍が入り、東北各地も既に新政府の影響下。
顔が割れていて、左腕がない八郎は目立ち過ぎる。
そこでアメリカ船に乗せてもらい、箱館に向かうことを思いつく。
しかし、これは密航ということであり、乗せてもらうには大金が必要。
その金額、五十両を出してくれる人がいました。
小稲。かって八郎が馴染みとしていた吉原の花魁です。
死に場所を求める男に、その機会を与えた。なかなか出来ることではありません。愛した男が命を燃やし尽くす後押しをした。


葱を投入して一混ぜ。お好みでブラックペッパーを振る。

無事に箱館に着いた八郎は蝦夷共和国の遊撃隊隊長に就任。
土方とも再会。
共に新政府軍と激しく交戦。
木古内の戦いで、八郎は胸に被弾。
それでも五稜郭に入ることを希望。もはや虫の息となりながらも、痛いとか苦しいとは一言も言わなかった。
戦況は蝦夷共和国に芳しくない方向に向かい、ついに開城となる前日、総裁の榎本武明は病床の八郎を見舞い、モルヒネを差し出しました。
八郎はにっこりと笑って、致死量のモルヒネを受け取り、飲み干す。享年26歳。旧知の土方歳三の後を追うような最後。


じゃがイカ八郎

先に茹でておいたジャガイモがやわらかく、程よく煮崩れてバター醤油の味が沁み込む。彩りに加えた葱のアリシンが食欲増進。
イカのタウリンで疲労回復。
甘じょっぱさの中に潜むブラックペッパーが味を引き締める。

昔、日本テレビの年末時代劇で「五稜郭」が放送されたことがありました。
このドラマで伊庭八郎を演じたのは舘ひろし。↓

舘ひろしのあまり多くない時代劇出演作品ですが、美男子で男の筋を通した生き様は、今にして思うとよく役柄に合っている。この時に土方歳三を演じたのが渡哲也だったというのも、その印象に拍車をかける。

命を燃やし尽くしたという形容が相応しい隻腕の剣豪、伊庭八郎を妄想しながら、じゃがイカ八郎をご馳走様でした。

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