見出し画像

芋大福田村事件

いつもは料理しながら妄想するのですが、今回は事情が異なる。
語りたいことがあるので、そのために料理している。
そこそこ話題になっている映画と、その基となった実話を妄想するために料理した記録。


材料

薩摩芋 1/3
蜂蜜  大匙1
米粉  100グラム
水   200cc
片栗粉 適量

大正十二年(1923)9月1日に発生した関東大震災。その五日後に発生した集団虐殺事件を映画化。それが「福田村事件」
今まであまり知られることもなく、事件が起こった地元も被害者の遺族も顛末を語りたがらず、タブー視されてきました。その理由は事件の背景には民族差別、職業差別、部落差別という根深い問題が複雑に絡み合っているから。


薩摩芋を切って蒸す。もう少しぶつ切りにしてから着火した。

映画は井浦新演じる澤田智一が京城(ソウル)での教職を止めて、妻と共に故郷の千葉県福田村に戻って来る所から始まる。
同じ頃、香川県から15人の薬売りが行商へ出発。
澤田達が故郷の駅に降り立つと、戦死した夫の遺骨を抱える未亡人を取材するために来た新聞記者。
物語は澤田を始めとする村人達、行商人達、新聞記者の三つの視点から紡がれていく。
それぞれの物語が進行、クライマックスでは一同に会することになる。


鍋に米粉を入れ、水を少しづつ注いで加熱しながら捏ねていく。

明治維新以後、ほぼ10年毎に日本は対外戦争。日清、日露、そして第一次世界大戦。日本はシベリアへ出兵。村から出征した兵士はシベリアで戦死。戦争礼賛のような空気が漂っていて、徴兵を祝う酒宴があったり、軍隊帰りの在郷軍人が村で巾を利かせている。
村社会の因習や閉鎖性も描かれる。
つまり不倫とか乱倫とでも言うべき近親相姦まがい。娯楽の少ない閉ざされた村ではそれもあったのだろうなと思わされる。
一旦、村から出て行った澤田は浮いた存在として、特に田中麗奈演じる妻は腫物扱い。こうした閉塞感をきっちり描くことで後に起こる惨劇が生きてくる。


ねっとりして餅っぽくなってきた。

永山瑛太演じる沼部が率いる行商団、被差別部落の出身者。地元では差別され商売もままならないので遠く関東へ出稼ぎ。
それでも彼方此方には「怪しい行商人に注意せよ」というポスターが貼られていて、必ずしも行商もうまくいかないので、詐欺まがいの口上や手練手管で薬を売り捌く。
「わしらみたいな弱い者はもっと弱い者からむしり取らんと生きていけん。悲しいの」と述懐。
せめてもの罪滅ぼしとして癩病の巡礼に施したり、自分達と同じように、或いはそれ以上に差別されている朝鮮人から飴を買ったりと複雑な人間性を見せる。人は多面体ということがよく表現されている。


蒸し上がった芋を潰し、蜂蜜を混ぜる。

英霊の未亡人を取材した女性新聞記者、新聞は社会正義を実現する公器と信じていて、権力に迎合姿勢を見せる編集長とぶつかる。
犯人がわからない凄惨な事件は朝鮮人や社会主義者が怪しいと書けと編集長は命じる。
「朝鮮人にも日本人にもいい人もいれば悪い人もいる」と女性記者は正論。


捏ねた生地を分けて窪みを作る。

関東大震災発生。
この時に流言飛語が飛び交う。
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「朝鮮人が暴動を起こそうとしている」
警察がこうしたデマを意図的に流している風が劇中で描かれる。
不安に駆られた人々は自警団を組織。自主的に検問。
福田村でもそれが行われる。
東京から逃れてきた人々がそうしたデマを話しているのを、豊原功補演じる村長が
「あんたらは自分の目でそれを見たのか」と問うても誰も答えられず。


芋の餡を窪みに詰めて、二つ合わせて閉じて、片栗粉をまぶす。

「朝鮮人は虐められているから、爆発すると怖いぞ」と話している者。
つまり日本人が朝鮮人を虐めていると自覚している。あたかも虐められている方が悪いとでも言いたげ。
不安が不穏な空気を醸成していき、故郷や家族を守らねばならないという気持ちが高まる。
震災から5日後、行商団は利根川を渡るために渡し守と値段交渉。それが行き違い。口論を聞きつけた者が半鐘を打ち鳴らし、200人の自警団が集結。
「言葉がおかしい」
「こいつらは朝鮮人ではないのか」
沼部は持っている鑑札(身分証明書)を示すが、そんな物は幾らでも偽造出来ると言う者。
駐在が鑑札を預かり、本署で確認するまで待機を自警団に告げる。


芋大福田村事件

いい米粉はそれ自体で微かな甘味。しっかり捏ねたら餅。水分少な目に荒く捏ねると団子。

「この人達が本当に日本人だったらどうする。日本人が日本人を殺すことになってしまうぞ」
村長はいきり立つ自警団を宥めようとするが、その言葉が沼部に火を着けた?
「朝鮮人だったら殺してもいいんか」
その言葉がきっかけとなり、意外な人物の意外な行動が引き金となり、ついに村人達は暴発。
一斉に行商団に襲い掛かる。
こうなると、村長や澤田が幾ら言葉で止めようとしても、集団心理に突き動かされた人々は一つの意志ある怪物のように暴行。
竹やりや刀、猟銃で追われて殺される人々。
駐在が本署の刑事と共に戻った時は既に15人の行商団の内、9人が殺害。死体は利根川に流されていた。


芋餡が残ったのでトッピング。いい感じの甘さ。

自警団の内、8人が逮捕、起訴され一人は執行猶予が付いたが、残りは実刑。収監。彼等の裁判費用は村人達が集めた。村を守ろうとした英雄扱い?
無残に殺害された行商達には謝罪も賠償もない。
「何のために生まれてきたんだ」
一人が今わの際に呟いた言葉が胸に重く響く。
収監されたものの2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で全員出獄。
やるせない結末。

田舎で昔に起こった事件と思うなかれ。
東京でも朝鮮人の虐殺が起こり、新聞記者はその場に居合わせてしまう。
100年後の現代でもコ▢ナ騒動で似た行動。
マ○ク警察とかいう連中ですよ。何の効果も意味もない猿轡を人々に強制。
他県ナンバーの車は病原菌のような扱いをした面々。
虐殺が起こらなかっただけよかったが、本質は同じ集団ヒステリー。

「このウイルスで日本人は40万人死ぬ」とか抜かした専門家とかいう曲学阿世の徒がいたことも私は決して忘れない。
現代はテレビという新聞よりも強力な洗脳兵器があるために、一気にデマ拡大。政府やマスコミは嘘つかないと今も100年前も日本人は思っている。少しは疑え。
「あんたの周囲で誰か、その病で死んだか?」
最近ではそれに感染したとかいう人も周囲に出て来たが、誰も死なない。
怖がる程の病気でもなかっただろう。というよりそんな病気が本当に存在しているのか?
感染を防ぐためとか言ってワクワクしたくせに、そういう人こそ感染?というのも奇妙。
100年経っても人間はそんなに進歩や進化していないのではないか。
「福田村事件」映画と史実、そして現代にも通じる集団心理の恐ろしさを妄想しながら、芋大福田村事件をご馳走様でした。

この記事が参加している募集

至福のスイーツ

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?