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太田ようかん

紫芋を買いました。
芋と言えば、埼玉県の川越。川越市役所の前に太田道灌の銅像があったのを思い出す。ということで、紫芋を料理しながら太田道灌を妄想した記録。
因みにその銅像はこちらの動画で御覧頂けます。↓



材料

紫芋    1本
粉ゼラチン 1袋
塩麹    小匙半分
蜂蜜    小匙2

太田家は代々、扇ガ谷上杉家に代々仕える家宰。その家に永享四年に誕生した鶴千代が後の太田道灌。
上杉家というのは足利尊氏の母親の実家ということから重用され、一族繁栄はよいのですが、かなり枝分かれして互いに争うように。
室町幕府は武家政権発祥の地である関東を重視していて、関東にも足利氏の一族を公方として置き、上杉家がその補佐として関東管領。
扇ガ谷上杉家は山内家の分家。
太田道灌は主家、扇ガ谷家をかなり盛り立てました。


写真を取り忘れましたが、紫芋を圧力鍋で柔らかくなるまで煮る。


道灌の父、太田資清は知識人として知られ、その影響からか道灌も学問に励み、鎌倉の建長寺や足利学校でも学んだと言われます。
一説には足利学校とは軍師になるための学校。そこで学んだのか、道灌は築城術に長け、関東に名城を幾つか築く。河越城もその一つ。川越市役所に銅像があるのは、そのため。
道灌が築いた城でもっとも有名な城はやはり江戸城。現在の皇居。
今でも皇居には道灌堀と呼ばれる、太田道灌が築いた堀が現存。城の周囲には神社を配置。これは妄想するに、神社の境内は軍勢の集結場所として使えるから?
江戸が都市になったのは徳川家康が入って来てからですが、道灌はその地ならしをしたとも言えます。


粉ゼラチンをぬるま湯でふやかす。紫芋を茹でた湯を使用。アントシアニンが沁みだした湯だから、使わないと勿体ない。

軍師としての実用的な学問には長けていた道灌ですが、歌の道にも邁進するきっかけになった逸話があります。
狩りに出掛けた帰り、急な雨に降られて、近くの家に立ち寄り、雨具を貸して欲しいと申し出ます。
しかし、家に居た娘は無言で山吹の枝を差し出すばかり。
蓑とか笠を貸して欲しいと言っているのに、話が通じないのか?道灌はもうよいと半ば立腹気味に立ち去る。
後日、その話を家臣にすると、その家臣は古い歌をよく知っていて、きっとその娘は古歌に引っかけて無言で返答していたと告げる。
「七重八重、山吹の花は咲けども実の一つだになきぞさびしき」
「実の」と「蓑」を掛けているということです。
「御拾遺和歌集」にある懐明親王の歌がそれ。
太田道灌がこの歌を詠んだように勘違いする人もいるようですが、そうではありません。
自分の無知を恥ずかしく思った道灌は以後、歌にも熱心に。


茹で上がった芋をマッシャーで潰す。綺麗な紫色。蜂蜜と塩麹も混ぜ込む。

足軽という者を最初に使ったのが道灌という説。
江戸時代の組織化された足軽ではなく、百姓などを物陰に隠れさせて伏兵のように使ったという戦法のようです。いわばゲリラのような者か?
道灌が家宰を務めていた時代は28年間も断続的に続いた享徳の乱の真っ只中。
これは足利将軍家と結んだ山内、扇ガ谷の両上杉家が鎌倉公方の足利成氏との戦い。これが関東の戦国時代の始まりと言われます。
こうした戦いで道灌は30戦無敗。
上杉家の勢力が関東に広がるのに貢献。
しかし、この乱の最中、主である扇ガ谷上杉政真が討ち死に。悪いことに政真には子がない。お家騒動となりそうな局面でしたが、道灌は政真の叔父、定正を跡目に就けることで素早く事態を収拾。
軍事だけではなく、政治の力量も一流。


ゼラチンを混ぜる。固いようなら、ゆで汁を少しづつ足して滑らかにする。

跡目争いと言えば、駿河の今川家の跡目争いの調停に道灌が乗り出したことがありました。駿河も関東の内となっていたのか、有力大名の家督争いを収めるのも関東管領の仕事ということでしょう。
まだ幼少の龍王丸と今川範満が家督を争う。
道灌は範満を推す一方、前当主の遺児、龍王丸を推していたのは龍王丸の母の弟、伊勢新九郎。死後、北条早雲と呼ばれることになる人物。
新九郎は龍王丸が成人するまで範満が家督を代行するという妥協案。道灌もこれを了承。太田道灌と北条早雲という関東の戦国の幕開けを担った二人が顔を合わせたという逸話。
ただ、最近ではこれを否定する研究もあるとか。
私は妄想好きなので、このビッグ対談はあったと思う方がワクワクします。


保存容器に入れて、冷蔵庫で3時間程冷やす。

出る杭は打たれるというか、有能な人物は却って疎まれるということがあります。
道灌によって扇ガ谷上杉家の主になった上杉定正も残念ながら、そうした有能な人材を疑う人でした。
有能で周囲からの評価も高い道灌は、主君の自分を軽んじている。それどころか下剋上を企んでいるのではないかと猜疑心は強まるばかり。


太田ようかん

蜂蜜と塩麹も最小限に留めたので、紫芋自体の甘さが楽しめる、素朴な味わいに仕上がった。
紫色はアントシアニン。抗酸化作用があります。
紫芋をすべて使ったのですが、反省点として両端は筋張っているので、使わない方がよかった。そうすればより滑らかになった。切り口があまりよくないのは固い両端が残っていたから。

主の館に招かれた道灌。風呂を勧められて、出て来た所を斬殺。
その際、
「当方滅亡」と叫んだという。
有能な忠臣を殺すようでは、扇ガ谷上杉家は危うい。最後までそれを案じた。
その懸念通り、道灌の死後、扇ガ谷上杉家は衰退していき、本当に滅亡。
この暗殺劇は裏で山内上杉家が糸を引いていたのではないかと妄想。このままでは扇ガ谷家が山内家を凌いでしまう。それを防ぐために定正を焚きつけて道灌を始末させた?
しかし因果は巡るというべきか、山内上杉家も伊勢新九郎の子孫である北条家によって関東を追われることになる。

道灌の最後の言葉ですが、「当方滅亡」ではなく歌を詠んだとも言われています。
道灌を斬った刺客が
「かかる時、さこそ命の惜しからめ」と上の句を言うと、道灌が
「かかる時、さこそ命の惜しからぬ。かねてなき身と思い知らずば」
と返して絶命。
命のやり取りをしている時に、歌どころかと思うものの、歌にも優れていたことを伝える意味から、この逸話が生まれた?
有能故に疎まれ、消されることになってしまった太田道灌を妄想しながら、太田ようかんをご馳走様でした。


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