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本多忠勝煮

徳川四天王シリーズもこれが最終回。
織田信長から、「花も実もある武士」と称賛され、豊臣秀吉からは「東に本多忠勝と言う勇者、西には立花宗茂という勇者」と呼ばれた本多平八郎忠勝を妄想しながら料理。


材料

高野豆腐 薄切り6枚
八丁味噌 好きなだけ
大豆肉粒 適量
卵    2個
米粉   適量
鰹節   一つかみ
玉葱  1/4
醤油  大匙2
味醂  大匙1
砂糖  小匙1

代々、松平家に仕えていた本多家には幾つかの系統。代表的な二つが平八郎系と弥八郎系。当主が名乗る通称が平八郎か弥八郎かということ。
同じ時代の弥八郎は本多正信。
槍働きを主にしていた忠勝は、謀略とか内務的な仕事を主にしていた正信を毛嫌いしていて、「佐渡の腰抜け」(正信の官職は佐渡守)とか「腸の腐れ者」呼ばわりすることもあったとか。

玉葱を薄切り。

生涯に戦場に出ること57度、一度も身に傷を負うことがなかったと言われる本多忠勝の初陣は桶狭間の戦いに付随する大高城の兵糧入れ。敵である織田方と戦いつつ、大高城に兵糧を運び入れる役目。
この時には危うく討たれそうになり、叔父に救われることに。まだ12歳ですから、最初から強かった訳ではないんですね。
この二年後、鳥屋根攻めで初めて敵の首級を上げます。


高野豆腐の間に八丁味噌を挟んで、米粉を塗す。

三河国内が二つに割れる騒動にもなった三河一向一揆では、本多一族からも一揆側に付く者が続出。忠勝も一向宗徒でしたが、浄土宗に宗旨変えして家康側で奮戦。因みにこの時、弥八郎正信は一揆側に付き、敗れた後に逐電。後に徳川家に帰参。

高野豆腐を油で揚げ焼き。

黒い樋側胴の鎧に金色の大きな数珠を斜めに掛けて、大きな鹿角の脇立ての兜、手には6メートルという長大な「蜻蛉切り」という大身槍を持つ姿で、
忠勝は徳川家が関わる戦の殆どに参戦。蜻蛉切りという名前は、穂先に止まった蜻蛉が真っ二つに切れてしまったことから命名。
浅井朝倉連合軍と織田徳川軍が激突した姉川の戦いでは、真柄十郎左衛門という豪傑と一騎打ち。
真柄十郎左衛門が使っていたという刀を熱田神宮で見たことがありますが、常人では振り回すどころか持ち上げることも出来ない巨大な物。
真柄という男は昔、世界中にいた巨人族の生き残り?


卵を溶きほぐす。

武田信玄の西上作戦に徳川家が立ちふさがろうとした三方ヶ原の合戦。その前哨戦となった一言坂の戦い。これは、武田軍の様子を探るために出て来た徳川軍が武田方に攻撃されて始まった偶発戦。
一言坂という坂の上から駆け下りてくる武田方を殿軍を引き受けた忠勝は迎え撃ち、見事に味方を逃がし、自らも生還。
その進退と戦の巧みさに、
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と言われたとか。
唐の頭というのは当時、舶来品のヤクの毛で飾った兜を被る者が徳川家に居たそうです。高価な舶来品も本多忠勝も家康にはもったいないという意味。


フライパンの油を拭いて、玉葱を炒める。

秀吉と家康がぶつかり合った小牧長久手の戦い。忠勝は小牧城の留守を預かっていた時、味方が苦戦していると聞き、500騎を率いて援軍。秀吉方の大軍の前に単騎で立ちふさがり、馬の口を川ですすがせたと言います。その豪胆で堂々とした態度に、秀吉も本多忠勝は討つな。いずれ自分の臣下にしたいと部下達に命じたとか。
この時、加藤清正と一騎打ちしたという話もあるのですが、これはどうも創作っぽい。


玉葱がいい感じになったら、醤油、味醂、砂糖、鰹節を投入。

その後、秀吉の斡旋で従五位下中務大輔に任官。源義経の忠臣、佐藤忠信の兜と言われる骨董品を秀吉から贈られたことも。ただ、忠勝はあまり喜んでいなかったとも。
徳川家が関東に入部すると忠勝は上総国大多喜十万石の主に。
秀吉の死後、関ケ原の戦い前には井伊直政と共に吉川広家等、西の大名達を徳川方に引き入れる工作。
本戦でも家康と共に関ケ原で奮戦。
戦後、伊勢桑名に転封。しかし石高は十万石のまま。ただし、忠勝の次男、忠朝に五万石で大多喜が与えられたので本多家全体で見れば加増。


高野豆腐の上に大豆肉の粒を散らす。これでカツっぽい見た目に?

以前、本多忠勝の娘、小松姫に関する話を書いたことがあります。こちらからご覧下さい。↓

娘の嫁ぎ先である真田家、もっとも婿の信幸は徳川方でしたが、それでも昌幸、信繁の助命にも奔走。
桑名に移った後は城の改修、宿場の整備や町割りを指揮。


高野豆腐がずれないように楊枝で留めてます。卵とじにする。

関ケ原後は徐々に病勝ちに。体力の衰えも隠せなくなったようで、自慢の蜻蛉切りも短く切り詰めたということ。
目もよく見えなくなっていった。


本多忠勝煮

カツ煮と言えば、本当はとんかつを卵とじにする物ですが、私は基本的にベジタリアン。とんかつは御法度。ということでカツもどきを煮ました。中身には、やはり三河出身の本多忠勝への敬意を込めて、岡崎の八丁味噌を詰めてます。
血液サラサラ効果がある玉葱、高野豆腐と卵からタンパク質、鰹出汁に醤油と砂糖の甘辛味でご飯も進んで腹いっぱい。

晩年、忠勝は小刀で持ち物に名前を彫っていましたが、うっかりと指を傷つける。目がよく見えなくなっていたから?
「戦場で一度も身に傷一つ受けなかったのに、傷が付くとは本多忠勝も終わりか」
その独白通り、数日後に死去。
武闘派として家康の天下取りに大きく貢献し、最強の武将とも言われた本多忠勝の生涯を思いながら、本多忠勝煮をご馳走様でした。

これにて徳川四天王シリーズ完結。他の三人については以下からどうぞ。↓


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