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東京路地紀行 20 港区白金

白金(しろかね)といえば、シロガネーゼ。
地名の読みとしては濁らないのですが、なぜかそこに住むマダムを表す言葉は濁ります。発音のしやすさ?いや、浪費して城が無くなってしまうから、「城がねえぜ」???
冗談はさておき、白金地区は白金と白金台の2つからなります。台があるとないでは大違い。台がないと「台無し」??ではありません。
台があるのは「台地」の上、台がついていないのは「台地」の下、つまり低地のことを表しています。東京において台地の上と下が端的に表すのは、上:富裕層、下:庶民の住む場所。特に川のそばの低地は貧民窟を表しています。もちろん、昔のことでいまではそのような違いはほぼなくなっています。

今回訪れる路地はその白金の低地を流れていた川跡の暗渠に沿って広がる路地です。
白金は大きく分けると南側の目黒に通じる方向が高台。そこから北を流れる古川に向かって下っていく地形になっています。
かつての川は、その高台側から北へ向かって流れていました。水源地は悪水溜り(あくすいだまり)と呼ばれる溜池だった場所。そこから北へ向けてほぼ直線で流れていました。いまでも近くを歩いてみると大きな窪地が残っていて水が流れていた頃の地形を彷彿とさせてくれます。川は東京大学のキャンパス、聖心女子高のキャンパスを通り、ここの路地に到達します。

ここから先は暗渠の両側に民家が建ち並ぶ路地となって北上していきます。下の写真のようにいまでは路地はきれいに舗装しなおされていますが、まわりの住宅はそのきれいな舗装には似合わないほどレトロ、昭和を感じさせてくれます。

川目線になってローアングルで。緩やかながら蛇行している姿がわかりますね。これぞ自然の川、本来の姿。こうして視線を変えてみるとそんなことも見えてきます。

マンホールの東京都のマークも昔風です
川の護岸いっぱいに家を建てたのか?

このような路地、特に暗渠の路地を歩いていて不思議に思うのが政治家、政党のポスターがよく貼られていること。もちろん、家の主の許可を得てでしょうけれども、この場所に貼るだけの効果があるのか?この路地を歩く人は誰?私のような路地好き、暗渠好きと地元の方でしょう。費用対効果があるのかな、っていつも疑問。それともここにポスターを貼る人も路地好き暗渠好き?(^-^; 趣味の世界?

こういう古いトタン塀や板塀が残っているのも魅力です。

錆びた青色のトタンが渋い味を出しています
振り返ります

さて、この先で暗渠は直角に曲がって、表通りへと合流していきます。
道幅もやや広くなります。ですが、足元に目をやると古いものがいろいろ残っています。次の1枚のように古いタイプのマンホール。このようなタイプの蓋のふち取りはこの暗渠路地がかつて未舗装だったときにマンホールが埋め込まれたことを意味しています。このふち取りは飾りではなく、未舗装ので雨が降ると泥濘してしまうような道にマンホールを設置する際にしっかり固定させるためのものです。表面に見えている個所だけではなく、地中にしっかり杭のように打ち込まれてマンホールを支えているのですね。

これも東京都の古いマンホール。

そしてコンクリート製の塵芥箱。道幅が狭いにもかかわらず捨てられずにおかれています。おかれている、と書いたのはもう実利用はしていないと思われるからです。それでも路地のいいアクセントになっていますよね(^^♪

コンクリート製の塵芥箱も残っていました。
今はどのように利用されているのでしょう。


冒頭にも書きましたが、ここはあの高級住宅地で知られている港区白金。もちろん、憧れてしまうような邸宅もありますが、低地に来てみると川跡の暗渠にひろがる路地も現役ばりばり頑張っています。

この低地部の白金地区は古い住宅、町工場が多かった場所ですが、南北線の白金高輪駅が開通してからでしょう、この町の歴史を物語っているそれらの建物が消え、代わって「白金」の名を冠したタワーマンションが川べりに建ちはじめています。
ついに永い眠りからこの町も変貌していくのでしょうか。

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