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東京路地紀行 4 文京区小石川

梅雨のはしり。雨は降ってこないけれども、どんよりとしたうす鉛色の雲が空一面を覆いつくすなかを数年ぶりの小石川散策。
難しい文字だと礫川、または谷端川とも呼ばれている小石川(*1)がつくった大きな谷底にはいくつもの路地が広がっている。ざっくりいうとその右岸側が今の住所で小石川、左岸側が白山(*2)。今回は右岸の小石川地区の路地の今を訪れてみました。

伝通院のある高台から長い坂道を下っていくと小石川台の長い舌状台地に通じる側には古くからの寺院がつらなっています。坂道の反対側は短い坂で下り、その先に小径が幾本も枝分かれしています。そのうちの一本、緑色の車止めのある路地に入ってみました。

路地は少し歩いただけで奥で行き止まりになりますが、そこまでの短い距離のあいだには赤色と青色の2色の紫陽花が咲く脇道やよくすり減った石段、ほぼ読めなくなったサビ看板(錆びた広告看板)など路地でよくみかけるアイテムが見られました。

紫陽花の咲く路地


すり減った石段。個人宅へ通じる階段、日々使われているようです


自転車、繁った樹々。路地らしい風景


清掃器具関連の広告錆び看板のようです


奥まで進んでから振り返る。緑色の車止めがみえる

(*1)川の名称は場所によって呼び方が変わることがよくあります。今と異なり、庶民共通の地図がなかった江戸時代などは自分たちの住んでいる近辺の川の名前が上流、中流、下流でそれぞれ異なっているのはよくあったことです。近所の人たちとの認識があっていれば、大きな川であれば「大川」、流れの速い川であれば「滝の川」でよかったですからね。わかりやすい名称はいくつもの川につけられて好評のようでした。小石川も同様で上流から中流にかけては谷端川(やばたがわ)、下流で小石川(礫川)と呼ばれていました。下流では水の流れで摩耗した川底の石が細かくなって礫状になっていたからでしょうか。
(*2)左岸、右岸の呼び方のルールについて。河口に向いて立ち、左手側が左岸、右手側を右岸と呼びます。これであれば、川が東西南北どの方向に向かって流れていても誰でも共通用語として認識を合わせることができますよね。

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