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うたがわきしみうわごとだものⅡ

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感じたことあれこれ。日常。コラム。創作日誌。エッセー的な。作品にはならないうわごと系の。二個め。文芸を志す方にオヌヌメ。
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#創作

【エッセイ】一番乗りを愛する理由

や、だってそうじゃん 一番乗りして、「スキ」とか「イイね!」してくれる人が 一番偉いし、愛するに決まってるじゃん これは僕がたびたび話してることだから みんなもう耳タコでわかってると思うけど 人間の脳みそはとても面倒くさがりなのだよ 人間は、1日に消費するエネルギーの20%を脳で使ってる 成人の脳の重量はおよそ1.2~1.5㎏ぐらいで 体重の2%ほどに過ぎないらしんだけど なのに1日の消費カロリーのうち 1/5とか1/4とかを脳だけで消費しちゃってるんだぜ!? 考えてみ

【エッセイ】優しい気持ち

宮本輝のエッセイの感想をここに記す。 本文抜粋 「自分を理解してもらおうと努力するよりも相手を理解してあげようとすることの方がはるかに疲れる」 なぜなら、その方がはるかに生命力がいるから。 人間全体が狭量に、エゴイスティックになりつつある現代で懐の深い人間でいるのは難しい。しかしまず、自分が優しくなることだ。そうすれば伝わるし、向こうも感応してくれる。 互いが互いの立場を理解して欲しくて堪らないから喧嘩が終わらない。自分の言うことを理解して欲しいなら、まず自分が先に理解

マニュアルがしっかり整備された飲食店チェーンなら ベテランほど効率よく素早く注文を仕上げることができるだろう クリエイティブの世界は一概には言えない むしろベテランの方が時間がかかる場合も多い 新人の頃は何も見えず体当たりでやるしかないが ベテランは見えてる量も知ってる量も違う

いえ 彼らはどちらも間違ったことは言ってませんよ 創作を学んでいくには 段階の違いがあるというだけで 足し算と引き算を覚える前に 割り算と掛け算を教えられたら 誰だって混乱するでしょう だからまず基本となる枠組みを覚えてもらうというのは 学びのアプローチとしては正しいと思いますよ

もっともらしいことを言ってる人間が一番信用できません 言葉はもっと自由です 写真にできないものまで創造し 切り取ることができるのが言葉の世界です 絵もそう キャンバスというフレームはありますが そこにこの世の見たまんまの何かを切り取って 写真のように描く必要なんてありませんから

俳句や短歌は「言葉の写真」なんです 文字数制限がフレームの役目を果たしてると思ってください そのフレームで何を切り取って 何を感じてもらえるかっていう世界 ただ俳句の場合 何かしらの季節感を閉じ込めた写真にしなきゃいけない っていうルールが付きますけど 考え方の基本は同じなんです

観客を 裏切りすぎれば置いていく 裏切らなければ飽きられる ある種の創作には 常にその狭間の際を綱渡りで歩き進め どっちつかずの宙ぶらりん状態を保ちながら ゴール目指して牽引していく精度が要求される 括れそうでけして括らせない そのバランスが成功してる作品は 最後までおいしい

「あんたが描いてる作品は確かに見てくれはいいし、綺麗にまとまってる。だがしょせんそれは花束の美しさでしかないんだよ。花束をいくらかき集めたところで、大地にしっかり根を張って、自分の力で芽吹き、春夏秋冬を越え、生き抜いてきた素朴な花たちの生命力とそのリアリティには太刀打ちできない」

『偉大なる先人の智慧より』

糞して寝れば治る

『お仕事だもの』

<王歴0030年以降> ※今適当でっちあげたものだからパクってもいいお💩の役にも立たないけど ガザン・エスカトリーネ誕生 火の剣の霊玉帯を埋め込まれ、膨大な魔力を持つことになる ↓ ラインハルト・メルセデス 白鷲騎士団入団し、頭角をあらわす ↓ リュゼクト霊原子の暴発で港湾都市ファランドラが汚染され、唯一の生き残りカブラギ・ノアが当時の赤狼騎士団団長リザリア・ベルデモンデに拾われる 例えば、☝こういう、どうでもいい国の、どうでもいい年表を、設定資料見ながら読み込んで、人物や

うちでは珍しくないけど『物書きだもの』っていうエッセー書いてコメ欄が程よく盛り上がり、ペンさんがえーこと言うていったので貼り付けとくねw 本当noteでうちのコメ欄読まないって人生5/3は損してるよね← あ、1/300000くらいかw https://note.mu/azamaro/n/n74539ae526ce

『物書きだもの』

僕はひらめき派の人間だから詩や短編は面白そうなビジョンが浮かんだ時に「なんかそれ楽し気じゃん!」っていうエネルギーがあるうちに書く。 旬が過ぎると、ネタがどんなに面白そうでも、それを書く気力が失せているので無理になる。 まだイメージは完全に決まってないことが多くて、頭の中でぐじゅぐじゅさせて浮かんだ書き出しをまず書いてみる。 これが書けるとすらすら決まってくるので書いていく。けど大抵書き出しは説明的でいらないからカットする。そして、一度アップしてからあちこちリズムやてに

『今Twitterであれしてるらしいあれ 』#雪という文字を使わずにを雪が降るを文学的に表現してみろ

音もなく舞い降りるそれを人は重力のせいにする。僕にはこの星が優しさの欠片を拾い集めてるように見える。その欠片が絹糸みたいに織り重なり一枚のセーターをこの星に着せる。作物が険しい冬を越えられるのはこの手編みのセーターのお陰だ。 レトリックも大切だけど自分だけのものの見つめ方があるかどうかの方が僕には大事だなあ。だって僕らは何を読んでも結局それを書いた人のまなざしを追体験するわけで、そこにはどうしたって作家性との対話があるわけで、そこを好きになれないならどれほど着飾った言葉も虚

『着想の裏側』

本日通勤途中に書いたじわじわもやもや系の「ほぼ140字小説」の着想の裏側について。あ、そんなこと考えて書いてんだ、と思っていただければ幸いです。しっかし、長い間テキスト書かない間に改行の仕様変わってたんだね(笑) <ほぼ140字小説本文> 人身事故で電車が止まるたび、またかよと思う。生きていて嫌気がさす日もあるのだろうが他に方法は無かったのかと責めたくもなる。だが違った。“あれ”は常に口を開けていたのだ。ストレスや疲れを溜め込むとまるでテレビのチャンネルが噛み合ったように忽