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うたがわきしみうわごとだものⅡ

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感じたことあれこれ。日常。コラム。創作日誌。エッセー的な。作品にはならないうわごと系の。二個め。文芸を志す方にオヌヌメ。
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#詩

自分の身体性しか信じておらんのだな だがそれでいい 自分の身体性すら信じ得ぬ者が 他人の身体性を見出だせる訳がない やがて人の中にも同じく海があり 寄せては返す波の如く命の呼吸があると知る 生死生死を繰り返す永遠の潮騒を さあ行け 赴くままに それでも宇宙は続く 我が内に 外に

大地の人

その人はもう おそらく大地と呼んでよかった だって広いし 人を呑む青空だって あんなに高くて気持ちいい もっと言えば ここには「委縮」というものが 1ミリだって感ぜられない はっきり言って泣きそうだ (だとしたら泣いてもいい) ずっとずっと 来たかった場所 ここはそういう場所だ ここに来れば誰だって のびのび生きれる たましひを充実させられる だってそれは 人生の目的じゃなかったかしら? いいや絶対にそうだ でも本当は この世自体がそうあって欲しかった けど けしてそ

大丈夫 それだけ現実逃避できるエネルギーがあるなら 大抵のことは乗り越えられるよ

マニュアルがしっかり整備された飲食店チェーンなら ベテランほど効率よく素早く注文を仕上げることができるだろう クリエイティブの世界は一概には言えない むしろベテランの方が時間がかかる場合も多い 新人の頃は何も見えず体当たりでやるしかないが ベテランは見えてる量も知ってる量も違う

「今に見てろよ!」が足りない 年齢と実力線に従って どんどん目減りしていく もう褒め言葉しか届けてもらえない 喜びと寂しさ 起爆剤を担保できない日々なら 自分で自分を奮い立たせるしかない なのにそれもままならない 「若さ」というのは いつでもガムシャラになれることだったのか

命を拐うような詩しか勝たん

もっともらしいことを言ってる人間が一番信用できません 言葉はもっと自由です 写真にできないものまで創造し 切り取ることができるのが言葉の世界です 絵もそう キャンバスというフレームはありますが そこにこの世の見たまんまの何かを切り取って 写真のように描く必要なんてありませんから

俳句や短歌は「言葉の写真」なんです 文字数制限がフレームの役目を果たしてると思ってください そのフレームで何を切り取って 何を感じてもらえるかっていう世界 ただ俳句の場合 何かしらの季節感を閉じ込めた写真にしなきゃいけない っていうルールが付きますけど 考え方の基本は同じなんです

観客を 裏切りすぎれば置いていく 裏切らなければ飽きられる ある種の創作には 常にその狭間の際を綱渡りで歩き進め どっちつかずの宙ぶらりん状態を保ちながら ゴール目指して牽引していく精度が要求される 括れそうでけして括らせない そのバランスが成功してる作品は 最後までおいしい

「あんたが描いてる作品は確かに見てくれはいいし、綺麗にまとまってる。だがしょせんそれは花束の美しさでしかないんだよ。花束をいくらかき集めたところで、大地にしっかり根を張って、自分の力で芽吹き、春夏秋冬を越え、生き抜いてきた素朴な花たちの生命力とそのリアリティには太刀打ちできない」

人は自分に興味を持ってくれた人しか 愛せない #あるひとつの真実 #残念な真実 #不都合な真実 #粗にして野だが卑ではない #不合理な真実 #片想いのポロリもあるよ

『偉大なる先人の智慧より』

糞して寝れば治る

『ことの刃だもの』 誰かひとりに刺さるように書いて 誰かひとりにでも刺さったら 作品は完成をみる 刺さる誰かが増えるたび 作品は完成し直して 生き続ける 誰にも刺さらなかった 誰にも届かなかった 言葉たちの分まで

てなずけられないから可愛い