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誰でもない素人の私が舞台の演出をやっていて大変なこと

前提として、勉強もしないのに大口を叩くクリエイターは駄目だ。

自分の理想論だけを掲げる人。
成長しないありのままの自分を肯定してほしがる人。
自分が不勉強であることにそもそも気付いていない人……。

「演出」と「演技指導」は何が違うのか

私──薊詩乃──は、2023年7月15日~17日に大阪の天王寺で上演する『人間農場』で、【るるいえのはこにわ】という劇団を旗揚げする。

私は脚本・演出その他諸々を担当している。一番大変なのは演出だ。

舞台における演出とは、舞台上の俳優の演技から、照明の色遣い、さらには小道具のデザインまで、すべてを統括する役職である。少なくとも、この薊詩乃は、そうしている。

特に大きな仕事になるのは、俳優の演技を見て、ストーリー演出上の修正を加えていくことだ。「ここはもっとこうだ!」「それは違う、演技を変更してくれ!」「もっと身体でリアクションしてくれ!」と言ったような。

しかし、「演出」と「演技指導」の境界線というのは曖昧だ。

演出家が「それは違う、演技を変更してくれ!」と言ったとき、俳優は「じゃあどうしたらいいのでしょう」と返したとしよう。どう答えてやればいいのだろうか。

演技指導(演技コーチ)の仕事は、演技を教えることだ。「演じるとはどういうことか」「感情を引き出すためにどうしたらよいのか」という、演技論やテクニックの指導である。「スタニスラフスキー・システム」や「メソッド演劇」というのは、演出ではなく、どちらかといえば演技指導の範疇である。

俳優は必ずしも演技の教育や訓練を受けてきたわけではない。普段、演劇──特に小劇場演劇──界隈を知らない人からしたら意外かもしれないが、彼らは大概、センスという不確かな武器と、そこまで多くない経験で必死に頑張っているのである。「宝塚音楽学校」のような立派なところで演技を学んでいるわけではない。演劇科のある大学は日本にはあまりない。

そういうわけだから、ストーリー上の演出をつけるのと別に、私は、演技面での指導もしなくてはならない。それを俳優が要求するし、そうしなければ、稽古が進まないからである。

「それは俳優の努力不足ですよね?」という意見は、一見すると正しいかもしれないが、稽古進行にとっては却ってマイナスになるのだ。

そして、私もプロではない。スタニスラフスキーの『俳優修業』は知っているが、スクールに通ったわけではない。演技の修行を積んできたわけではないのだ。おまけに大した経験の蓄積があるわけでもない。そういう中で、他のスタッフや俳優に意見をもらって、助けてもらいながら、作品を作っている。


「答え」を教えるか、「解き方」を教えるか

受験勉強をしていた時分、こういうことを教わった。

「解答を見て、その問題が合っていたか間違っていたかだけを見てはいけない。解説を読みなさい。途中式や考え方を必ず確認しなさい」

演出と俳優における関係性でも、同じ図式が当てはまる気がする。すなわち、演出が「答え」を演じて見せてやって、それを俳優が演じなおしたところで、それはスタニスラフスキーの言う「再現の芸術」「機械的演技」に過ぎない。どのような内的過程を経たかを理解していないと、中身のない演技になってしまう。

演出家──少なくとも私が語るのは、「この人物のこのシーンでの目的は何か考えなさい」「この台詞を言った目的は○○である」という途中式に過ぎない。

しかし、途中式を示してやっても、答えを自力で導き出せない生徒がいることを、教師の人達は知っているだろう。彼らは紛れもない「答え」を要求する。x=何なのか、その答えを埋めたがっている。

「答え」を求めている俳優に、「解き方」を教えても、俳優は理解してくれない。それどころか演出家に「あいつは分かっていない」と悪態をつくかもしれない。かといって、「解き方」を求めている俳優には、適切な途中式を見せてやらねばならない。三平方の定理の証明は、100通り以上あるという……。

そしてこれも、「それってあなたの努力不足ですよね?」は無意味な議論を生む。本番まで近いのだから、演出家である私が、俳優を成長させなくてはならないのだ。

私の大いなる反省──演出よ驕るべからず

この薊詩乃は、「答え」を求めている俳優に、延々と「解き方」を語っていたし、その途中式だって、効率の良いものが他にあったかもしれない。

さらに私は、演出家という立場に甘んじていた。
すべてを統括する立場であるからといって、すべてより偉いわけではない。俳優たちに演出をつけるからといって、俳優たちより優れているわけではない。
だがそれと同時に、指導し、注意し、叱る立場でもあるのだ。

俳優やスタッフがいないと、舞台作品は創れない。特に今回は、脚本・演出が私なのだから、余計に、私は驕り昂ぶりを排さなければならない。

前提として、勉強もしないのに大口を叩くクリエイターは駄目だ。
そしてそれは俳優でも演出家でも同じだ。私は、俳優や私自身の怠慢を、決して許したくはない。

自らの不勉強をただ嘆いて、赤子のように助けを待つのではいけない。
ともに学び、経験し、実践し、成長していかなくてはならない。

だから弱音を吐いてはいけない。
己の無知を自覚しているならば、本の一冊でも読めばよい。

演技も、演出も、一朝一夕に為せるものではない。
長い旅はまだまだ始まったばかりだ。

そして、その旅路は、本番を終えても続いていく……。


るるいえのはこにわ 邂逅『人間農場』
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