きっと狂気だけが救いだったあの頃

人間の皆さんでいうところの中学生の時期、俺は学校でのいじめ・嫌がらせ被害と家庭での母親の過干渉が重なり地獄のような日々を過ごしていた……というのはこれまでも散々前置きとして語ってきたので今更ではありますが、今回はそれらの経験そのものではなく、その時に思っていたことに関するお話が主体です。

壊れれば救われる、はずだった

死を考えることは今以上に日常的でした。壁や机などに頭を打ち付ける形での自傷行為を行うことも多かったです。(今でも急激にストレスが抑えきれなくなると自分の頭を叩くなどの行為を行うことがあります)
その頃からリストカットやオーバードーズという概念はたまたま目に入ったネット上のメンタル系サイト群を通して知っていましたが、それを実行に移すことがなかったのは自身の肉体に刃物を突き立てることへの恐怖や、精神医療に対する母の偏見を振り切ることができなかった当時の俺の弱さによるものです。
当時から俺は自身の進路に関する具体的なビジョンを描くことはできなかった割に、俺にとっての未来像は死ぬか、壊れるかという二つに一つであろうという確信がありました。
今いじめ・嫌がらせを耐え切れなければ命を絶つことになるだろうし、耐え抜いたとしても受験に失敗したら「一生社会の落伍者」と母に吹き込まれ続けていた通りになるだろうし、受験を凌げたとしても俺のような「弱い」存在はいずれ野垂れ死ぬだろう。あるいはどこかで精神が完全に壊れて再起不能になるだろう。俺が幸福に生きることはできない。
そして死ぬか壊れるかしか道がないならば、壊れきったほうが幸福であろうと、漠然としたフィクショナルな狂気のイメージをまだ抱けていた頃の俺は考えていたのでした。

俺の中にいた「かわいそうな少女」

俺にとっての救いは狂気であり、「『かわいそうな少女』のイメージ」でありました。具体的にはどういうことかといえば、ある時から学校にいる時母の理不尽な怒りに見舞われた時、あるいは暗い感情を抱えたまま布団に入った時などに「いじめや虐待などが原因で精神を病んで閉じこもっており、幻覚や妄想に苛まれ、最終的には自ら命を絶つか壊れるかする少女」のイメージ、あるいはその少女が話すいくつかの言葉が浮かんでは俺はを流していました。
それが何を意味するものであったのか。可能性はいくつか思い当たるものの断言はしがたいという感情があります。

そして今となっては

俺はかつての自分が思い浮かべたひとつの可能性のように精神を病み、社会の落伍者となっているわけで、恐らくはいずれ野垂れ死ぬなり、あるいは俺の中にいた少女のように自ら命を絶つなりするのでしょう。残ったのは、俺にとって狂気さえも救いにはなり得なかったという事実です。
では何を救いとすればよいのか。あるいは俺のような存在は本当に救われてはならないのか。その答えを見つけ出すために俺の残りの生はあるのでしょう。

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