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「なぜか語られない、臨床の実際2023―教科書と実践のエッジ―」開催報告(前編)

 2023年11月25日、第11回あざみのカフェを開催しました。
今回は、昨年の第9回カフェで好評だった「なぜか語られない、臨床の実際―教科書と実践のエッジ―」の第二弾!

「なぜか語られない、臨床の実際2023―教科書と実践のエッジ―」
と題して、参加した心理職同士でグループディスカッションをしました。

「エッジ」とは私たちが日々現場の要請によって向き合わざるをえない、教科書と実践の“境界(エッジ)”を指します。

 私たちは普段、現場で働きながら、その都度、状況に応じて判断し、行動しています。実際には、教科書・原則通りだけでは済まないことがほとんどではないでしょうか?
“教科書的にはこうした方がいいのだろうけど、それでは無理がある気がする”
“こんなこと教科書のどこにも書いてないけどどうするか”
“今はこうするしかない”あるいは“こうせざるをえない”…
臨床の実際はそんな教科書から外れた、あるいは外れそうな「エッジ」に溢れています。
 エッジにこそ、私たちの工夫や苦労があり、大切なのです。

 今回のカフェのコンセプトは「“エッジ”を安全に話せる場」です。
エッジの話をする機会が少ないのは、教科書から外れていて自信が持てないし、他人に知られたら非難されそうだからです。
 だから、安全に話せる場を提供することが大切だと考えました。
エッジを話したり、聞いたりして、安心したり、自分の中の選択肢を増やしたり、カバーできる範囲を広げる機会になればと思います。

※守秘義務のため、事例の詳細については省略しています

● 話題提供

まず、「エッジ」とはどういうものかの例を示すため、2名から話題提供を行いました。

話題提供1–生活に踏み込むこと・自己開示–


 このケースでは、仕事を辞めて夢を追おうとしているクライエントに対して「仕事は辞めない方が良い」という現実的な助言や、片付けなど生活に関する具体的な助言をしていました。セラピストが心配していても、クライエントは「どうせ仕事で言っているだけだ」と本気にしていませんでした。しかし、セラピストが思わず怒りを込めて「本当に心配していないと思っているんですか」と伝えると、どうやら本当に心配されているらしいと態度に変化が生じて、少しずつ生活をどうにか変えようとするようになりました。
 生活面にまで踏み込んだ助言や、セラピストが怒りを示すといった自己開示が、いわゆる教科書的な中立性とは異なる、エッジになっているケースでした。

話題提供2–地方での心理臨床で生じる多重関係–

 これは地方で、複数の職場でクライエントやその家族に会うことになったケースです。
 勤務先の医療機関である女性の面接を担当することになりましたが、セラピストがスクールカウンセラーをしている学校に、彼女のお子さんが通学していることが分かりました。主治医や女性にそのことを伝えたうえで面接を始めましたが、大丈夫だろうかという漠然とした不安がありました。ある時、病院での面接中にお子さんの学校に関する相談をされましたが、その時のセラピストの対応は女性の思いとは違ったようで、面接は中断に終わりました。その後、たまたまお子さんの方と学校でスクールカウンセラーとして会うことになりました。後日そのことについて、病院で女性に感謝を述べられましたが、素直に受け取れなかったということがありました。一方で、お子さんがカウンセリングについて、家族に話しているというのは意外な事実でした。
 このケースでは、地方には相談先の選択肢が多くないというリソースの少なさがあり、せまいコミュニティで臨床をやることの必要性と難しさから、エッジが生じてきました。一方で、複数の場所で関わることで、違う側面が見えてくるというメリットもありました。

 さて、いよいよ本番のグループディスカッションに入ります!
 まずは司会から、グループディスカッションで話し合うテーマを3つ提示しました。

●  グループディスカッション

 グループディスカッションは、zoomのブレイクアウトルーム機能を利用し、3グループに分かれました。時間は35分間でした。

グループディスカッションは、次のような流れで行いました。
①   自己紹介・話題提供を聞いた感想
②   皆さんにとってのエッジは、どんなことがありますか?  
③   この場でみんなに聞いてみたいこと(普段の臨床で「これってどうなんだろう?」と思っていて、なかなか大っぴらには聞けないけど、この際だから聞いてみたいこと)
 前回のカフェからのリピーターが多いこともあってか、議論は大いに盛り上がりました。どんな議論がされたのか、まとめをお届けします。

■グループ1―エッジを共有することの難しさ―


 グループ1のディスカッションでは、クライエントとの距離感に関するエッジが挙がりました。
・クライエントからの贈り物をどうするか?
・子どものクライエントから「心理士になりたい」と言われた時にどう対応するか?
応援したい気持ちもある一方、現実的な選択なのかというところで葛藤を感じる。どう捉えていけばいいか?
・多くの子どもに関わる職場で、子どもたちからイベントのときに「一緒に写真を撮りたい」と言われたときに、どうするか? 全員と同じように撮れるわけではないので、不平等感からトラブルが起きかねず、対応に迷う。

その他、心理士間でのエッジの感覚の違いも話題になりました。
・中立性についての価値観に、同僚心理士との間で差がある。
・心理士同士で組む時にその価値観のズレをどう擦り合わせるかが難しい。
・心理士同士足並みがそろってないから,なんとなく帳尻を合わせているという感じ。他の人に勝手なことやらないで,と言われないようにしている。

■グループ2―エッジに踏み込むことで結ばれる紐帯―


 グループ2では、話題提供への感想や、地方での心理臨床で生じるエッジが語られました。
・話題提供1への感想として、患者の生活水準によっては心理というよりもケースワーカーに近い動きをとる必要がある場合がある。どこまで助言するかが難しい。そういうときは、どういう立場で会おうかと悩む。
・地方での心理臨床でのエッジについて、話題提供2と関連して、地域,地方での心理士の課題,リソースが少ないところでエッジが生じやすいという意見が複数ありました。
・地域が狭いのでどこでクライエントや患者に会うか分からない。土日はショッピングモールには行かない、などの工夫はするが、自分の生活範囲が狭くなる。
・自分が働いているところに、他の職場で会っているクライエントやその家族が来ることがある。会わないように隠れるといった情けない対応になってしまうこともある。他の対処方法はないだろうか。
・家族が全員同じ病院に通っている場合もある。それをどこまで自分が引き受けるかという線引きが難しいが、どうしても一人で引き受けざるを得ない時もある

 また、自分とクライエントの立場が近いことで感じるエッジについて、語ってくださった方もいました。
・スクールカウンセラーをしていて,自分の子どもとクライエントの子どもが同じ年代のときに,相談内容と自分の家庭内の出来事が重なることで、動揺することがある。一方で、それがあるからこそ「わかるなぁ」という感覚になり、それがあるのが大事だとも感じるが、バランスが難しい。
・どのくらい「わかる」感覚で会うかは、クライエントによっても変わってくる。

「わかる」ときは、踏み込んでいる感覚があり、必ずしも中立的ではなくなり、そこにエッジを感じるというお話でした。そうした感覚を、クライエントとの間で「紐帯が結ばれている」と表現されていました。

 その他に、病院勤務で、自分一人で大勢の患者をみないといけないときに、早い段階で見立てをして、どんなことが生じるか、これからどんな感情を体験するかの見通しをクライエントに伝えているときに、エッジを感じるという方もおられました。
・頻繁に会えるわけではなく、早めに伝えることが必要だが、まだ面接回数を重ねてない段階で、どこまで踏み込んだことが言えるか、不正確ではないかと迷う。
・虐待を受けている人は自分の気持ちに気づくこと自体が難しいため、本人の自覚が不十分な段階で、こういう状況が起こり得るとどこまで伝えるか悩むことがある。

 この意見について、司会からは「トリアージをしないといけないのがこの仕事特有の難しさで、速さが必要になるけれど、精度とのバランスが難しい」とコメントをしました。また、こうした「起きる前にどうするか」というエッジもあるし、クライエントの関係者と会ってしまったなどの「起きてからどうするか」というエッジもある、とまとめました。

 また、「イヌ派かネコ派か、クライエントに聞かれて困る」というエッジも。こちらについては、全体ディスカッション(後編)で大きな話題になりました。

■グループ3―難しい判断をするなかでのエッジ―


グループ3では、多重関係、スマホやタブレットの持ち込み、自己開示、クライエントとの物のやりとりが話題になりました。

・多重関係に関するエッジ
・ふたつの領域で臨床をしていて、重ならないように気をつけて確認していたけれど、たまたま聞きそびれたときに、両方の領域で出会ってしまった。
・スクールカウンセラーも何校も担当していると、学校の先生の子どもを担当することがしばしばあるが、やむを得ないかと考えている。難しい仕事を任されている、という状況。

・スマホやタブレットの持ち込みに関するエッジ
 ・クライエントが写真を見せたいとスマホを出してきたときに、自分で操作するか相手に操作してもらうか迷う。
 ・スマホやタブレットが出てきて、話が中断してしまうので困る。

スマホの持ち込みについて、それによって関係性が見えてくる面や、見立てに使える面もあるという意見も出ていました。

自己開示については、次のような意見がありました。
・子育て中のクライエントに、自分の子育ての仕方について話すことがある。
・必要に応じて自己開示している人も多いのでは。
・開示するかしないか、どこまでするかを迷うあたりがエッジなのでは。


 各グループから、様々なエッジに関するエピソードを語ってもらいました。読まれている方のなかにも、同じようなところで迷ったり、葛藤されたりした方がおられるのではないでしょうか?

 これに続く全体ディスカッションでは、ここまで挙がったエッジの意味を、参加者全員で探っていきました。

「イヌ派かネコ派か」という一見素朴な質問が、実は深い意味が…?後編に続きます!お楽しみに。

後編
●全体ディスカッション・総括
●まとめ

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