見出し画像

妖怪図鑑7:依り耳(よりみみ)

賑やかな人混みのなかで、一瞬静寂が走ることがある。
妖怪「依り耳」がそっと近寄り、耳を支配した瞬間に他ならない。

依り耳は、取り憑いた人間の客観的な判断力を奪う。
依り耳に憑かれた人間は、言葉の内容ではなく、その言葉を発した人間が誰なのかによって、物事を判断するようになる。

その歴史は古い。

古代ギリシアの時代に、アリストテレスが『弁論術』の中で、聴衆を説得する方法として挙げたのが以下の三要素である。

 1. エートス(話者の人柄)
 2. パトス(聞き手の感情に訴える)
 3. ロゴス(話しの内容そのもの)

このうち、話者がまず確立すべきものとされたのが「エートス」。
「人柄」と訳されているが、簡単に言えば「相手への信頼感」のような意味である。

アリストテレスは、道徳性の高い人間や、専門知識を持つ人間の信頼感の高さに注目し、「エートス」を弁論術の第一歩に置いた。論理性(ロゴス)や熱意(パトス)も、聞き入れてもらえなくては意味がない、ということだろう。

現代においても、市井の人々が口々に述べる言葉よりも、やはり「大学教授」や「大企業の創業者」などの肩書きがついた人の言葉を尊ぶ傾向にあるようだ。

しかし、これらも、すべて依り耳のしわざであることなど、アリストテレスは知る由もなかっただろう。


そもそも古代エジプトにおいては、依り耳は「ジエ」と呼ばれ、人間の耳に生まれつき宿る精霊の一種とされていた。(注1)

人間は、ジエの恩恵で、正しい知恵を聴き分けることができるとされ、古代エジプト人にとって、健全にジエを育み、より真実の言葉に近づくことができるようになることを、ひとつの人生の目標にしていたという。

つまり、精霊ジエの持つ、聴く言葉を選択する力が、アリストテレスの「エートス」であり、あるいは、遠く極東の島国においては妖怪「依り耳」ということになる。


では、なぜ、過去には精霊として尊ばれていた存在が、妖怪として蔑まれるようになったのであろうか?
柳田國男の言うように、依り耳は零落してしまったのだろうか?

そもそも依り耳は、言葉の内容を解析する能力を有していない。
つまり、本当に正しい言葉なのか判断することはできなかった。アリストテレスでいえば、それはロゴスの領域であった。

依り耳は、今後の生活において、有利に働く関係性を取捨選択する能力を持っていただけにすぎない。
それは、権力を持った有力者の言葉かもしれないし、あるいは、正しい結果へと指導してくれる専門家の言葉かもしれない。あるいは、見ているだけで幸福感を与えてくれる美男美女の言葉なのかもしれない。
古来、力を持った発言者の存在こそ「正しい」ものであった。だからこそ、その言葉も「正しかった」のだ。

しかし、時代が下がり、次第に「正しさ」が普遍的/絶対的なものになるにつれ、必ずしも有力な発言者の言葉が正しいとは言えなくなってきた。
「ロゴス」などという言葉が登場してくるのも、その大きな流れの中のひとつの表れともいえよう。

そして、ジエは、人を導く精霊の立場から、人を惑わす妖怪へとその身を落とすこととなったわけである。


依り耳は、古代エジプトでは「生まれつき宿る」とされたくらい、基本的に誰にでも取り憑いている妖怪である。

つまり、どんな人物でも、話者によって判断が左右される可能性があるということになる。

たとえば、ボロボロの服を身にまとった初老の男性が「変革せよ。変革を迫られる前に」と言っても、まったく響かないだろう。やはり「20世紀最高の経営者」と呼ばれる人物が言うにふさわしい言葉である。

同様に、背後に商売の匂いのするグルメサイトのお店紹介よりも、クチコミサイトでの評判を重視したくなるのも、特定の個人からの情報を尊重する依り耳の支配力ゆえである。


そして、依り耳の影響力がさらに強まった場合、話し手の知性や信頼性は一切関係なく、単純に話し手の好き嫌いだけで判断するようになる。

ワイドショーの報道内容はよくわからないけど、コメンテイターが好きだからという理由で、その意見に無批判で賛同する人々。
疑似科学家が「水が日本語を理解しちゃうんです!」と会心のボケを決めても、誰もツッコまないどころか、むしろ道徳教育の授業で利用されてしまう非常事態。
コラーゲン」だの「マイナスイオン」だの「血液型」だのも、みんなと一緒に、わいわい騒ぎたいだけなんじゃないかと思うくらいである。

仲の良い友人が「良い」と評価しているものは、きっと良いものだと「思う」ようになる。友達の彼氏をすぐに略奪する女性も、別に悪意があるわけではない。単純に友人のクチコミを信頼しているだけなのだ。

最終的には、集団内での価値観は、より似かよったものになっていき、ますますその仲間同士の結合を強めることになるだろう。

そこでは、多様性や個性という言葉は、自然と忘れ去られてしまう。

そして当初は人の集まりの中から生まれた価値観が、むしろ集団を構成するルールとなり、幾度かの不適合メンバーの追放を経て、閉鎖的な価値観の小世界を完成させる。

これらすべて依り耳の影響である。


■退治方法

・他人の感情・情報の伝書鳩にならない。
 インプットした情報は結論ではなく、材料でしかない。
 思考した結果をアウトプットすることを意識する。

・自分が好きな人の意見には、好意的になりやすいという事実を認めておく。

・反対意見の人たちを想定してみる。

・嫌いな人や苦手な人が同じことを言ったら、どう思うか想像してみる。

・情報に対して「なぜ?」「だからなに?」と自問自答する。




(注1) ジエも依り耳と同じく創作された存在です。ごめんなさい。

拙い文章ではありますが、お読みいただき感謝いたします。 僅かでもなにかお持ち帰りいただけたら嬉しく思います。