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不条理が理不尽を殺すエゴの物語『天気の子』

◆ご注意ください◆
この記事には映画『天気の子』のネタバレが含まれています。それはそれとして雨の中『天気の子』を観に行くのはとても風流なので梅雨が明ける前に観に行くんだ。いいね?

実は『君の名は。』は苦手である。なぜなら観るたびに死ぬほど泣くから。物語や登場人物に共感して泣くのではなく、『君の名は。』という映画が一つの作品としてめちゃくちゃ完成度が高いことに感動して泣けるのだ。

ただひたすらに美麗な背景美術とアニメーション、魅力的な登場人物、ジェットコースターのように緩急のついたストーリー、綿密に張り巡らされ丁寧に回収される伏線、完璧なタイミングで挿入されるRADWIMPSの楽曲、そしてエンドロール前のカットに至るまで、我々観客を全力で楽しませようとしている気概に満ち溢れており、単純にエンターテインメントとして完成されていることに感動した。多分劇場でハンカチをぐっしょぐしょにするまで泣いた映画は後にも先にもこれだけだ。

で、これが新海誠作品との初邂逅だったわけで、それはもう『天気の子』はいったいどんな作品になるのか戦々恐々だったわけですよ。めちゃくちゃ面白い。それも『君の名は。』とは別ベクトルで。ビックリした。

不条理が理不尽を殺すエゴの物語

東京という街が抑圧や理不尽といった負の側面を弱者に強いる構図がもう完全にディストピアなんですよね。そこは我々がよく知る光景なんですけど、特に路地裏やラブホテル街、廃墟のような社会の暗部をこれでもかと見せつけてきて、『君の名は。』では洗練された都会イメージだったのががらりと印象が変わる。主人公たちも社会に対して何かしら息苦しさを抱えていて、でもそれは仕方ないことだと諦観する……なんてことだ!社会の理不尽!

で、その理不尽に対抗するために持ち出したのが天気を操るという神の如き力。つまり不条理。中盤の楽しいシーンはこの不条理の力で社会の理不尽を出し抜いて徐々に事態を好転へと向かう……と見せかけてそうは問屋が卸さない。そんな超常の力を使い続けていいわけでもなく、警察という社会の尖兵も動き出し、陽菜は人柱として空に消えてしまい、帆高くんは取調室に連行されてしまう。

でもちょっと待ってほしい。本来弱者に手を差し伸べるべき社会は彼らに牙を剥き、恋した少女は訳の分からない神様の生贄にされて黙っていられるのか少年。そんな訳ないだろ馬鹿野郎!と言わんばかりの大脱走からの数々の違反行為というか、社会への反逆行為は見ていて胸がすく思いであり、全世界を敵に回してでも陽菜を救わんとする帆高くんの凄まじきエゴ。一人の少年の恋心も叶えられないならこんな世界ぶっ壊れちまえよ!!!というクソデカい感情が凄まじい説得力を持って叩きつけてくる。ヤベえわ。チョー好き。

そして須賀圭介というおっさんですよ。このおっさんは一見だらしがない小栗旬だけど最低限のルールはきっちり守る主人公サイドで唯一の”大人”で、その過去には死にたくなるほど濃密な物語が横たわっており、その経験でもって大人になるよう促すという最大にして最後の障害として帆高くんの前に立ちふさがるわけですが(この時点でめちゃくちゃ層だ)、少年の青草過ぎるクソデカ感情に感化されて理不尽をブン殴るサイドに回るんですよ!娘を引き取らないといけないのに!保身!保身して!!いやブン殴るね!!!やめろ!俺は若者に感化されて衝動的に突き動く大人であることに諦めたおっさんに弱い!

そして天気という神の如き不条理が、人間の生み出した社会という理不尽をブッ壊す。他ならぬ一人の少年によって。異常気象?知るか!東京沈没?知るか!たった一人の人間のために世界を捻じ曲げていいのか?それがどうした!俺は!あの子の笑顔を!もう一度見たいんだよ!!!ウオオオ……これが新海誠……


何だかんだ人生は続く

ヒロインを現世に帰還させたのと引き換えに、3年たった今でも雨は止むことはなく見事に東京は水没してしまっても、別に人類が絶滅するわけでもなく何だかんだ東京に住んでる人はいるし、その気候に順応すらしている。今までの生活が一変するような出来事や事件が起こっても、それが身の回り全てをひっくり返すとも限らないしその後も人生は続いていく。ライフイズゴーオン。この終幕の肯定感がたまらなく好きで、今まさにとんでもない事件やニュースが現実に起こっていることも、どうにか折り合いをつけてやっていくしかない。いや、やっていけるはず。まるでフィクションが現実にオーバーラップしているようでこのご時世に完璧にリンクしていて本当に素晴らしい。エンターテインメントは人間性を救う。

結局帆高くんの家出の理由は具体的に明かされず、なぜ廃ビルの屋上に鳥居があったのかは劇中では説明がなかったけど、それはもうどうでもいいことだ。『君の名は。』のようなものすごくお行儀のいい作品もいいけど、自分は不条理が理不尽を殺す反社会的パンク映画、『天気の子』がめちゃくちゃ好きなのだ。


2019/07/26追記:ついでにふせったーでつらつら書いた散文を掲載しておきます。

天気の子、あの廃ビルでのクライマックス感って、「おまえも傍観者ぶってんじゃねえよ、当事者だろ」って真正面から叩きつけられたのがめちゃくちゃ響いてるんだよなあ。

これってゲーム体験的な話で、それこそ00年代ADVじゃないけど心の奥底に眠っていた自分の経験が頭をもたげてきて、具体的に言うとヒロインを助けるために何度も何度もタイムリープを繰り返したり、妹を助けるために魔王をブチ殺したり、地底世界から脱出するためにモンスターの王様と戦ったり、つまりそういうことなんだよなあ。

手に汗握るっていうのは空の手を握ってるんじゃなくて、それはもう必死の形相で銃を構える帆高くんと全身が痺れるような感覚を覚えながらコントローラーを握ってた自分が完全にオーバーラップしてるし、あの時あの選択ができなかった自分が須賀さんだったし、二重の意味で過去の自分が目の前に蘇ってきて頭がどうにかなりそうだった。

んで、問いかけてくるわけ。「ねえ、どうすんの?あの時の選択肢に戻ってきたけどどうすんの?どうなりたいの?」って。もう黙って座ってられないワケ。銃をぶん投げて注意をそらした隙に非常階段まで走ろうとしたのは俺だし、そんな俺を取り押さえようとする警察をブン殴ったのも俺だし、映画を観ている俺と合わせて3人の俺が鳥居を目指すの。「ここは俺に任せて先へ行け!」「おまえのことはここから全部見届けてやる!」とか言いながら。もうカリッジポイントを使い切ったから次に勇気ある選択を迫られたらマジで膝から崩れ落ちる自信あるわ。

もちろんそれはゲームの経験話なので作り手のレールの上を歩かされているだけとも言えるんだけど、あの時途中で放棄せずに自らの意思でボタンを押していたのは俺自身のわけだし、ロールプレイングゲームは役に成り切るものだから遊びでやってんじゃねえんだよ!こちとら必死でやってんだぞ!世界とヒロインどっちかだと?ヒロインに決まってんだろ!!!

という感情がダバダバ溢れてきたのでもう俺は客観的な目で『天気の子』を観れない。他の誰とも感情を共有できない。俺もあの物語の当事者になってしまったからだ。


(終わりです)

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