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寒い街

10年ぶりの北海道は5月だというのに小雨まじりの寒風が刺さるように吹いていた。俺は札幌駅に降りるとだだっ広い大通りを震えながら目的の場所に向かう。コートを羽織っていればよかったと切実に思ったが、もう遅い。俺の人生はいつもこうだ。準備が間に合ったためしがない。

目的の場所は道庁とかいう、缶詰のラベルに描いてありそうな骨董品の建物の真向いにあった。相手が若い女性だということは電話口の声でわかっていた。

いや。

その女がここに現れるかどうか怪しいものだが、少なくとも飛行機に乗ってでも顔を拝みたいと思わせるほどには魅力的な声だった。もちろん顎足はあっち持ちだが。

ときどき飛行機に乗って小樽に鮨を食いに行くといったような与太話を聞くが俺に言わせればそんなやつは鮨の喰い方も金の使い方も知らない人生の初心者だ。上級者は知らない女に誘われて聞いたこともないような店にその女の金で行く。それがきな臭い話で、そして大体ありがたくない何かに巻き込まれるならなおのこと趣深い。

「純喫茶オリンピア」とごてごてした金文字で扉に書いてある指定の店に入るとおかしな金色の安手の壁が張り巡らされた広い店内が見渡せる。まばらに座る客はこの辺のサラリーマンたちばかりで、それらしい女はいない。俺はコーヒーを頼むと、入り口を気にしながら、移動中で吸えなかった煙草をたっぷり味わった。

純喫茶といえばクラッシック音楽かと思ったが北海道の純喫茶はコルトレーンが好きらしい。陰鬱なLove Supremeを聞きながらなんでこんな陰気な曲のタイトルが至上の愛なのかぼんやり考えていると、いきなり金ぴかの壁にそぐわないピンク電話がびっくりするようなでかい音で鳴りだした。

そしてそんな迷惑な音で鳴る電話は、まちがいなく俺宛に違いないと直観が告げていた。 

-札幌 喫茶オリンピアにて