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短編私小説「Il malata di Venezia・ベニスのびょうにん」第1話5191字

※5分のお暇がございましたら。お付き合いお待ちしております。   

ベネツィア ポンテ・リアルト

【しっかし、相変わらずよく滑りやがるなミラノの道は…… さて、この辺でいいか】
「みなさぁーん ! !  雨上がりで足元が滑りやすいですから気を付けて歩いてクダサァーイねぇ !。お友達と参加の方はお友達と手をつないでくださいねぇ。ご夫婦参加の方はご夫婦で手を繋ぎましょう ! !  喧嘩中の方は…… 今がチャンスですよぉ ! なになになに ? アハハじゃないのよ ! ! 仲直りに決まってるでしょ ! ! 考え過ぎなのよまったく、今回のお客様 ! !」

 ミラノ、スフォルツァ城に時ならぬ笑い声が勝鬨ヨロシク響き渡る。白人たちの小グループがにこやかに私に微笑みかけながら、軽やかな足取りで追い抜いて行く。【なんだよ、日本語わかるのかよ】と訝ってみる。「ハァーイ」と声を掛ける「ハァーイ」と声が還る。「どうやら日本語がわかるようだ……?? うん。これは使えそうだ」等とボソボソやりながら歩くミラノの石畳。フッ旗は無いのである。流石にヨーロッパで旅行会社の旗は出さない。したがって国内添乗よりも目配りが要求されるのだ。

深まった秋の雨上がり。吐く息は白い。なのに短パンにTシャツでランニングするミラノっ子たちの姿も、この頃では日本でも見慣れたものになってはいたが、この11月も半ばに短パンにTシャツ。短い袖とパンツの膝下はお金が足りなかったのだろう等と納得しながら歩くのが常だった。

にしてもこの石畳がまるで固形のカレールーかチョコレートを想わせる町ミラノ。歩きにくいのである。頗るつきに革靴は歩きにくい。滑るのである。特にミラノはイタリアでも雨の多い街として知られるほどに雨が多いのである。北海道の冬のアイスバーン宜しく革靴だと滑る。そしてさらに転ぶと痛い。【スニーカーを出しておくべきだったか】

私にとってのミラノの思い出となると、この石畳とスフォルツァ城のジプシーとGalleria Vittorio Emanuele II(ビッリオ・エマヌエル二世アーケード)で飲むカプチーノ、そしてドゥオモとスカラ座とスカラ座広場のLeonardo da Vinci像か。
 どちらかと云えば、私にとってのミラノは北の山岳地帯に抜ける中継地か北西のスイスの湖沼地帯に抜ける中継地。はたまた西はヴェネツィアへと向かう出発点、南はフィレンツェへと向かう_________出発点としての印象が強よかった。ただ一つ私の心を掴んで離さなかった場所「Chiesa di Santa Maria delle Grazie・サンタ・マリア・デッラ・グラッツィエ教会」の一枚のフレスコ画を除いては。たった一度だけ。私ですらたった一度だけ見れた。
 今回は、西へと向かう旅、アドリア海の宝石箱ヴェネツィアへと向かうところからの旅である。

                 ■ 

 今から28年ほど前のミラノは兎に角ジプシーギャングが多かった。
 香港のタイガーバームガーデンを根城にしていたスリ盗賊は実に多彩であり知的なスリテクニックを持っていたが、どうしたことか、"正規ルート"で親分筋にアポイントを取ると、パスポートとスラれた財布とクレジットカードの他に「一万円」ほどのキャッシュを残したまま返してくれるという、ある種の美学であり、仁義が生きていた。(財布に入っていた金額にもよる)
「テンジョウインサン、オキャクサンノオサイフモドテキマシタねぇ。ゲンキンダケハかべんしてねぇ。イチマンエンはのこしたそうよ」かなんか云われることになるのだが、こちらもここら当たりが引き時。「チカタあリマシェンネェ~」かなんか云いながら、お客様にオサイフやパスポートを返すことになる。現地ガイドへの「チップ」は私の持ち出しだった。
そのぐらいはどうということは無い。オプションのKBやら、お土産屋さんのマージンやらで懐が寒くなることは無かった。この辺を書き始めると友達を無くすことになるから先を急ぐ。

 不条理だと思ったところで、郷に入れば郷に従え。それが彼らの商売。のちのちのことを考えると、ことを荒立てて警察介入させると戻ってくるものも戻ってこなくなり、後々に遺恨を遺すことになる。
 スラレタお客様にしてみるならば、パスポートやクレジットカードまで入っていたオサイフがスラレ、意気消沈。途方に暮れてるわけだが、そこに諦めていたオサイフが戻ってくる。それはもう感激するやら、有難がるやら、お年寄りなどは手を合わせる始末となるのが常だ。
「奥さん、ごめんね。抜かれたお金は諦めてね。どこで、誰に抜かれたか分からないのでごめんなさいね。でもねぇ~奇跡のような話ですよね。一度スラレタものが帰ってくるなんて… ガイドさんにもお礼を云っときましょうね」こんな話である。ガイドとスリの盗賊団がつるんでいる等と考えるのはやめた方が良い。ガイドさんは頑張って取り返してくれた恩人なのだ。

ところがである。
イタリアの盗賊団には仁義が通用しないのだ。さらにやり口はスマートからは程遠く、数の優位をかさに着た実に積極果敢な攻め方をしてくるのである。ドゥオモ周辺は人も多い。ツーリストポリスの目も光っている。あのころ、ジプシーギャングはスフォルツァ城周辺を根城として活躍していた。年齢層が低いのが特徴的だった。大体、5歳ぐらいから精々10歳、12歳ぐらいまで。この子供たちを取り仕切るのが歳のころなら40歳ぐらいまでのヤリ手〇〇ぁ。

そのやり口はと云えば、凡ての子供たちが手には段ボールを持ち、一斉にターゲットを前後左右から囲み上げる。手にした段ボールを腰の位置の鞄やポシェット、尻財布の位置まで持ち上げ、あらゆる方向から手を延ばすのである。お年寄りなどは「あらあらあら」と云ってる間にやられることとなる。
子供たちは仕事をコンプリートするとヤリ手〇〇ぁが居るところまで走ってゆくと、守備を報告、ブッを渡す。
 このおばはん。一つの特徴がある。大概赤ん坊を抱いている。ブツの隠し場所が実は赤ん坊のオシメの中なのだ。
 ここが臭い。臭うぞと思ったら。やはり"その中"にあった。
私はたまたまツーリストポリスをみつけることが出来たから、すぐにこのおばはんを取り押さえてもらい、オシメノ中からむき出しになった米ドルと私のお客様のお財布をとりかえすことができたが、これは余程の"運"が居るだろう。


幸い、この時のツアーではスーパー添乗員の私のお客様がその餌食になることは無かったのだが、出国前の空港出発ロビーで感じた「要チェック」は見事にその予想を裏切ることの無い存在感を示してくれたのだった。
 この物語は、そんな添乗員からマークされた女子短大生5人の数奇な物語の断片である。

 ミラノの街中、3スタークラスのホテルの朝。出発前の朝食はコンチネンタルブレックファースト。パン。ヨーグルト、チョットしたフルーツ、コーヒーと紅茶と淋しい。四つ星慣れしたお客様にとっては如何にも"安いツアー"に参加した実感が否応なしに感じられる朝食である。
 この朝食を見た瞬間、エキストラ払うからホテルを変えてくれ…… と私なら云いたくなるのが常だった。
【朝食は辛抱してください。その代わりに私が居るのですから】
などと独り言を呟きながら朝食会場の入り口でお客様を迎え入れる。
「よく眠れましたか?」「今日は移動が長いですから、無理せず車中やすみながら参りましょうね」などと声を掛ける。朝食の中身については基本的にスルーが鉄則である。

 すると朝食会場の中からやにわに「何してるんですか!!」というチョイとヒステリックな声が飛ぶ。私のお客様の一大事か!! 私が踵を返し朝食会場の中へと歩み入ると、他所のツアーの女性添乗員が自分のお客様を𠮟りつけているではないか。
【ヤバイ ! ! 伝播する ! ! ここはシカトだ。関わってはいけない。こういう空気に関わるとろくなことがない。まして一日の始まりを決定付ける朝食会場での出来事】私はテーブルに置かれた食塩ポットから一握りの塩を握り、廊下へ出ると肩口から背中へ向けてその塩をふりかけパンパンと肩を叩く。
悪いものは落としてておくに限るのである。

どうやら、お年を召したご婦人が、回転式のトースターの使い方が分からなく、おかしな方向からパンを入れたために回転が止まり、トーストが焦げ付き煙が立ち上っていたようだ。
それに慌てた添乗員、思わず「何してるんですか!!」とやったようだが……ご婦人は慌てておろおろするばかり。言葉一つも返せずにいた。
【こっちへいらっしゃい♬私のバスへ。大切にして差し上げましょう。御気の毒に】と呟いた。

【うん……俺のマークは朝食に来たのか? いやまだ見てないな。おいおいまさか寝てはいまいな。やっぱりマークは外せないか。移動初日から俺の仕事の足だけは引っ張るなよ。女子短大生諸君】と舌打ちしながらフロントへ向かうと、丁度エレベーターで降りてきた。
「おはようございます。朝食は済みましたか ? 」 済んでるわきゃぁねぇわなぁ。「今からです。場所は何処ですか !」と慌てた様子を見せるだけまだ宜しい。「お連れしますね」私がそう云い、朝食レストランまで案内をし「空いてる席でどうぞ」と告げると「5人なんですけど……」と、最後の最後にご登場のこちらのお客様が仰る。「だからなに」と云いたくなる言葉を飲み込むと「狭くなるけど、椅子を一つ足しましょうか」と告げた。
返事が返ってこない。誰からも返事が返らないのである。
【この子達はヤバイ】
私の頭の中に問題児という言葉が浮かんで流れた瞬間である。
【確実に何かが起きる。それも今まで私の経験したことの無い何かが】
女子短大生のお客様たちは、結局、2/3に分かれてご朝食を取っておられた。バスの出発時間には間に合うようにお運び頂けたのである。

チョイとこぼれ話
出来の良い添乗員というものは、日本の空港で、出発前のブリーフィングをお客様たちに向けて行った時点で帰国時の「着地のイメージ」が固まるものである。
お客様を前にしたとき、打ち合わせ時に手にしたネームリストとルーミングリストで感じた違和感は「本能」に「注意」を告げるし、ここを抑えれば、着地はこうなる。着地は纏まる。そうイメージが決まる。

まずは、最初の時点で強烈なインパクトを植え付ける必要があるのだが……わたしの技は、40人のPAXの名前と顔を「出発前ブリーフィング」で覚えきることだった。それと、40人がパスポートを何処へ仕舞っているか。これを覚えきること。これがなかなか大変なのだ。位置的に見えない位置に立つお客様もおられた。そういう場合は、そのお客様を名指ししてパスポートを開いてもらったり、搭乗券や出入国カードを挟んでしまってもらったりをした

出国審査場を通ったところが一発目の勝負どころとなる。
「〇〇さん、畏れ入ります。パスポートですが、ジャケットの内ポケットに入れてらっしゃいますね。今日は腹巻は着用してらっしゃいますか? でしたら、アチラの国に入国したら、腹巻に入れておきましょうか」
「〇〇さん、畏れ入ります。パスポートはリュックに入れてらっしゃいましたね、何か、体に巻き付けるようなポーチやポシェットはありますか? さすが旅慣れていらっしゃる。では、アチラの国に入国したらそれを使いましょうか」

これで大体つかめる。
「この添乗員さんは安心できる。ベテランだ。既に名前も覚えてる。財布やパスポートをしまっている場所までチェックしている」と"噂"は広がるのである。
自分の仕事をやり易いようにするためには、裏付ける努力が必要なのだ。40人。時には120人から160人の命に責任を持たねばならない。
手を抜けばどこまでも手を抜けるのだが、一度神経を張り始めると緩められる場所は限定的となる。
寧ろ、ホテルの中よりもバスの中の方が緩めやすいと知ることになったのが、今回のお話しなのだが。
 今では出国のシステムも変わっている。当時の私の技が通用するかは懐疑的だ。そしてなによりも、40人のPAXの名前を受付からの1時間、2時間では覚えることはできないだろう。まして今の歳になってから「人の名前」が最も憶えずらいのだから。

第二話につづく



最後までお付き合い有り難うございました。
あまりの長物だと、読み疲れするでしょ?
多分、3話に分けます。
あのね、綺麗な話しばかりだけではなくてね、ドロドロした話もあるのよ。

多分ね、外から読みに来ている私の古い知り合いも居るはずだからね。
その内、かいちゃるから楽しみにしていてね♬
大丈夫。私は他人の悪口をネタに楽しむタイプの人間ではないから。
読めばわかるでしょ。私の書いたもの。
他人の悪口は書きません。薄汚くなるのが嫌だから。
自分軸で書くからね♬ 



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