ワーホリ奮闘記〜毎晩泣きながら電話してた話①〜


おはようございます☀
ご覧いただきありがとうございます。


突然ですが、私は2023年5月にオーストラリアに飛び立ち
3週間後〜3ヶ月間ほぼ毎晩泣いていたものです(笑)
おそらく一生分泣いた。

なのに今はそんなオーストラリアが大好きになり
大好きな友だちもでき
本格的に移住したい。と思うようになるなんて…

本当に人生何があるかわからないな~。

涙が出てくる理由が明確にある日もあれば、
なんで涙が出てくるのかわからない日もあれば、
日本にいたら泣かないような些細なことで涙が止まらなくなる…
そんな毎日。そしてそのほとんどが夜。
「夜は余計なことは考えるな!」とはよく言ったものですね。

ワーホリの最初1ヶ月間は語学学校に通っていました。
我ながら新しい環境に行くのは比較的慣れている、
むしろワクワクできる方なので
学校は楽しかったです!
すぐに友だちもできたし、何よりも英語を学ぶのが楽しかった!

そして私は語学学校に通いながら家探しと仕事探しを
並行して行っていました。

今思うとなぜか初めから焦っていて、
早く仕事を探さなきゃ!
という毎日。
そして異国の地では人の繋がりも大事だと思い、
Facebookやミートアップなどを使って
いろいろなイベントにも参加しました。


が、これが私にはほんっとーーに合わなかった…。



性格上、こういったイベントは好きだし
ストレスになるようなタイプではなかったけど、
それは日本においての話。
集まりにいる日本人の話を聞いては自分と比べて落ち込んでしまうし、
遠回しにバカにされることなんてしょっちゅう。
行けば行くほどメンタルが壊れていき、
どんどん心を塞いでいく。

同時に仕事探しもしていたので、
オンラインやレジュメを直接渡しに行っていたのですが、
メールが返ってくることはほとんどなく、
レジュメは快く受け取ってくれるところがほとんどでしたが
連絡がくることは9割ありませんでした。


そんなこんなで、
自己肯定感がどんどん下がっていく中で
友人との時間も100%楽しめず…
「家に帰りたい」「1人になりたい」

常にそんなことばかり考える毎日。



そして無事に仕事が決まってからも
壁にぶちあたる毎日…
これに関しては自分の英語力のなさが原因だった。

英語力が心配だったからキッチン希望で出す

採用されたのはホール

トレーニング中メニューも仕組みもわからないままとりあえずホールに出される

お客様が言っている意味が分かってない

わかる人を呼ぶ

明らかに不機嫌な感じでため息つかれる

聞くのが怖くなる


こんな感じの毎日。
そして働き始めたのが、スクールホリデーだったため
ものすごく忙しい。聞く暇もない。
聞いたら不機嫌そうな顔をされる。
ミスをすべて私のせいにされるが言い返せる英語力もない。


そうしてどんどんフラストレーションがたまっていき、
毎回出勤前が本当に鬱で
泣きながらバスを待つ。



心が限界になりそうだったから私は思い切って
一時帰国を決行した。
もう戻ることはないかもしれない…
だけど仕事も休養という形にしてくれたので
心が元気になるまで日本で休むことに。



日本に帰るとすぐに元気になった。
美味しいご飯を食べ、友達や家族と過ごし、
充実した毎日。
だけど私はやっぱりもう一度チャレンジしたいという気持ちになった。
不思議だった。

あんなに苦しい毎日だったのに。
こんなに日本にいると幸せなのに。

なぜそんな気持ちが湧いてくるのか、、、
自分でも自分がよくわからなかったけど、
とりあえず再チャレンジしてみることにした。


今思えば

『帰る職場がある』



というのは最大の強みだったかもしれない。

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