幸福追求権は要らない

院長です。

しばらくこのnoteを放置していたが、twitterのフォロワーさんに「面白いのでもっと更新してほしい」とのありがたい言葉を頂いたので、久々にエッセイを書こうと思う

突然だが、このエッセイを読んでいる貴方は幸せだろうか?

この問いに対してはっきりと「Yes」と答えられる人は少ないと思う。
俺もぶっちゃけ幸せかどうかはよく分からない。

では、質問を変えよう。
貴方は今、不幸だろうか?

よっぽどの事がない限りこの問いに対して「Yes」と答える人は少ないと思う。俺も自分の事は不幸じゃないと思う。衣食住は確保されてるし給料は多くないが仕事も出来てる、少ないけど友達もいるし、趣味もある。俺は自分は不幸でないと思っている。

前置きが長くなったが俺は幸福追求権は不要だと思っている。
幸せの追求ばっかりしているからピントがずれてしまい、「非不幸」の有難みを感じられなくなってしまうのではないかと俺は思っている。

ハングリー精神は大切だが、足るを知るのも悪いことじゃない。
安パイ取るのは逃げじゃないと思う。

幸福追求よりもまず先に「非不幸」に気づくことと「非不幸」を維持することの方が大切ではなかろうか?

非不幸に気づかずに幸せを追い求めるから、足るを知ることが出来ずに消耗してしまい不幸になる(自分がみじめになる)

「負けない事」が出来ない奴に「勝つ事」は出来ない(そもそも人生は勝ち負けじゃない)。

長々と書いたが、俺は幸福追求よりも「非不幸」に気づくことと非不幸を維持することの方か大切だと思っている。

幸福追求権を「非不幸維持権」に変えた方が良いんでなかろうか?

次回は「非不幸」の大切さについて書こうと思う。

PS
幸福よりも「非不幸」が大切と本文で散々書いたが、俺にとてつもなく幸福を感じることがある。

嫌いな人間の不幸だ。




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