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【感想】映画『哀れなるものたち』

-『哀れなるものたち』における、自由意志からフェティシズム、知の創生まで-

先日、映画館で『哀れなるものたち』という映画を見ました。
とても、感慨深い作品であり、主演のエマ・ストーンの演技力を含めて作品の構成、映像美、演出、音楽なども全てが素晴らしい作品でありました。

物語のあらすじとしては、ビクトリア朝時代のロンドンが舞台であり、天才外科医であるバクスターの治療によって蘇ったベラは肉体は成人女性であり、身籠った赤ん坊の脳を移植されたことにより頭脳は赤ん坊と同様になり、新しい人生を歩むこととなります。
バクスターは彼女を育て上げながら、屋敷で成長するベラの知能は次第に発達していく。
成長過程によって、ベラが最初に目覚めるのは性的快楽によるものであり、性の目覚めはベラの成長を裏付けるものとなります。
物語の中盤でダンカンと出会い、ダンカンとともに世界を巡る旅に出たベラは、外の世界を知り、肉体的にも精神的にも成熟していく姿は本作の見所だと感じました。
社会格差から窺える貧困に苦しむ人々の現実を知り、やがてベラは娼館へ流れ着き、自らの肉体を活かして大人へと自立していく。
性の目覚めから、当時の時代風潮による思想や先入観もベラの生きざまから、自由意志による解放、社会的平等に考えるベラの姿は新しい英雄的存在価値であることを考えさせられました。
現代では快楽による性的嗜好性というものは人それぞれであり、多様性として捉えられ、絶対支配というものは存在しないし、ベラの生きる時代では男性による性の絶対支配という思想は根強いものだと感じられました。
映画で描かれる大胆な衣装やモノクロとカラーの切り替えなども見る側にとっては芸術的だと思いました。
女性の自由意志による自立性やフェティシズムをテーマに、エマの姿は女性像のリアリティーがあると感じさせられました。
ランティモス監督の作品は『哀れなるものたち』が初めてでしたが、とても新鮮味があって面白みもありました。
自由意志とフェティシズムの融和からエマ・ストーン演じるベラが確実に成長していく姿は魅了されるものがありました。
性から知性の目覚めによる生まれた価値創造や哲学的神話論を越えた新たな芸術は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』にも通じるものがあるのではないかと考えさせられるものもありました。
フェティシズムという概念を考える上で、フェティシズムという思想がどのように始まり、どのような文化や宗教的背景が関係して影響を与えたのかということも考えたり、フェティシズムが現代社会にどのように影響を与えたのかということも感慨深い点なども浮き彫りになるのではないかと感じました。
フェティシズムによる心理的側面は間違いなく関係性があり、一種の性的嗜好としても考えられます。
フェティシズムの特性として、特定の対象に対して強い興奮や愛着を感じる要因としましては、やはり個人における心理的な‘‘あるもの’’が関係しているのではないかと考えられます。
そして『哀れなるものたち』による、エマの性的欲望は、人間の本来持つべき性欲の証であり、本作ではそれを赤裸々に描いて見せているところも興味深いものがありました。
物語の終盤になると、エマの関心事は性欲から文学、哲学への知の学びへと発展する。
学ぶという行為もまた、人間の本来あるべき価値の本質だということを描いているのではないかと考えさせられました。

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